2019年総集編 人には物語がある。

2019年総集編 人には物語がある。

構成・文/奥田喜久男
週刊BCN 2019年12月23・30日付 vol.1806掲載
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
感動は物語を生み、人は共鳴する。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
225人目

成都ウィナーソフト 総裁兼CEO
CSIA(China Software Industry Association)
常務理事 日本事務所所長
China Association of Trade in Services
常務理事 日本事務所所長
日本のおばあちゃんに育まれた感性を生かし、中国と日本のビジネスを成功させる
『週刊BCN』vol.1758(1/7) 『週刊BCN』vol.1759(1/14)
226人目

代表取締役社長
中村憲司
Kenji Nakamura
目指すのはワクワク感のある会社 必ずしもコンピューターにこだわらない
『週刊BCN』vol.1760(1/21) 『週刊BCN』vol.1761(1/28)
227人目

chairman
小間裕康
Hiroyasu Koma
ヒト・モノ・カネを通じて、「わくわくすること」を生み出したい
『週刊BCN』vol.1762(2/4) 『週刊BCN』vol.1763(2/11)
228人目

代表取締役社長
鵜飼裕司
Yuji Ukai
日本のサイバーセキュリティーの世界でゼロからイチを生み出す
『週刊BCN』vol.1764(2/18) 『週刊BCN』vol.1765(2/25)
229人目

代表
木村宏之
Hiroyuki Kimura
毎日生きていることが今はとても幸せです
『週刊BCN』vol.1766(3/4) 『週刊BCN』vol.1767(3/11)
230人目

住職
神野哲州
Tesshu Jinno
いまも脳裏に浮かぶ幼馴染みの言葉「マニュアルのないパソコンをつくりたい」
『週刊BCN』vol.1768(3/18) 『週刊BCN』vol.1769(3/25)
231人目

神社本庁駐在教誨師/
兵庫県神社庁宗教教誨師
西本和俊
Kazutoshi Nishimoto
神様のおそばにそっと控えていること それが宮司の仕事です
『週刊BCN』vol.1770(4/1) 『週刊BCN』vol.1771(4/8)
232人目

Global Business Development
高須正和
Takasu Masakazu
簡単に理解されず真似できない 「変なもの」を作ることこそが先進国の役割だ
『週刊BCN』vol.1772(4/15) 『週刊BCN』vol.1773(4/22)
233人目

館長
岸本員臣
Kazuomi Kishimoto
美術が与える感動を一人でも多くの方に伝えたい
『週刊BCN』vol.1774(4/29・5/6) 『週刊BCN』vol.1775(5/13)
234人目

(JCSSA)
専務理事
松波道廣
Michihiro Matsunami
「ザ・コン」の仕事はいい思い出挫折感も喪失感もない
『週刊BCN』vol.1776(5/20) 『週刊BCN』vol.1777(5/27)
235人目

山中順子
Junko Yamanaka
世紀を超えて生きる「いのちの輝き」を私が「100歳」になってもずっと撮り続けていきたい
『週刊BCN』vol.1778(6/3) 『週刊BCN』vol.1779(6/10)
236人目

代表取締役社長
高 京徹
Kyotetsu Koh
「翻訳」という世界において確固たる存在であり続ける
『週刊BCN』vol.1780(6/17) 『週刊BCN』vol.1781(6/24)
237人目

代表取締役
仙波克彦
Katsuhiko Senba
生まれ育った松山を未来の見える街にしていきたい
『週刊BCN』vol.1782(7/1) 『週刊BCN』vol.1783(7/8)
238人目

代表取締役社長
大塚裕司
Yuji Otsuka
企業会計原則に則った経営と社員の成長が長期的な繁栄につながる
『週刊BCN』vol.1784(7/15) 『週刊BCN』vol.1785(7/22)
239人目

代表取締役社長
井芹昌信
Masanobu Iseri
コンピューターの進化とともに新しい出版事業の姿を追い求める
『週刊BCN』vol.1786(7/29) 『週刊BCN』vol.1787(8/5)
240人目

代表取締役社長兼CEO
村内伸弘
Nobuhiro Murauchi
大正時代のアントレプレナーだった曾祖父、その「利他の精神」を引き継ぎ発展させる
『週刊BCN』vol.1788(8/12・19) 『週刊BCN』vol.1789(8/26)
241人目

代表取締役会長兼社長
ファウンダー
荻原紀男
Norio Ogiwara
“時の流れに身をまかせ”つつも日本のIT産業発展の道を探り続ける
『週刊BCN』vol.1790(9/2) 『週刊BCN』vol.1791(9/9)
242人目

産業ITイノベーション事業本部
産業ITグローバル事業推進部
上級アプリケーションエンジニア
石田裕三
Yuzo Ishida
自分にとって納得できないことがエネルギーの源泉になる
『週刊BCN』vol.1792(9/16) 『週刊BCN』vol.1793(9/23)
243人目

代表取締役会長
創業者
林 勝
Masaru Hayashi
よき友人たちに恵まれパソコン販売に業態転換
『週刊BCN』vol.1794(9/30) 『週刊BCN』vol.1795(10/7)
244人目

元専務取締役
加藤忠行
Tadayuki Kato
写真に興味のなかった青年が巨大量販店とともに人生を刻む
『週刊BCN』vol.1796(10/14) 『週刊BCN』vol.1797(10/21)
245人目

代表取締役社長兼CEO
馮 達
Feng Da
ナンバーワンになるために仕事も日本での生活にも全力で挑む
『週刊BCN』vol.1798(10/28) 『週刊BCN』vol.1799(11/4)
246人目

Founder&CEO
赤畑 渉
Wataru Akahata
「普通の日常生活」をワクチンで守る私を信じてくれる人たちの期待に応えたい
『週刊BCN』vol.1800(11/11) 『週刊BCN』vol.1801(11/18)
247人目

代表取締役社長
八島京平
Kyohei Yashima
「宇宙」に魅かれた小学生がそのまま大人になって夢を叶える
『週刊BCN』vol.1802(11/25) 『週刊BCN』vol.1803(12/2)
248人目

代表取締役社長
和田成史
Shigefumi Wada
敵と味方が入り乱れる社会でも変えない五つの「OBCの原点」
『週刊BCN』vol.1804(12/9) 『週刊BCN』vol.1805(12/16)
こぼれ話 番外編
あの日、出会わなければ、心の底から湧き出る哀しみに溺れることはなかった。それは偶然の鉢合わせだった。脚の不自由な老人が前を歩いている。ぶつかりそうになって、思わず左手でその人の右ひじを支えた。横顔を見るなりオヤッと思った。「久田さん! ジミーじゃないですか」「おー!おくだくん」。その瞬間から支える腕が再会の喜びに変わった。目の前には挨拶すべき喪主である大塚裕司さんが立っておられる。本堂には大塚商会創業者の大塚實さんの大きな写真、穏やかな顔でこちらを見ておられる。そんな状況での出会いだった。10月29日の築地本願寺は雨。冷たい中を傘をさして550人の弔問客が社葬に参列し、實さんに焼香した。私の番は400人目ぐらいだった。順番が来て椅子から立ち上がり、焼香に向かった。おだやかで自信に溢れた表情の實さんの写真に、感謝の念をお伝えした。BCNは大塚商会に育ててもらって成長した。特に創業期の恩恵は大きなものだった。「ありがとうございました」。
いずれはこんな時が来ると覚悟し、ご高齢であるがゆえに心の準備はできていた。それでも同じ世界におられないことに、心にスッポリと穴があいた感じがする。亡くなられたのは9月7日だ。お別れの記事を書いて社葬の日を待った。雨なのでタクシーで会場に向かった。すでに多くの会葬者が實さんの写真と語らっていた。やがて焼香を終え喪主のほうに移動した。ジミーとはその直後の出会いだった。よく出会えたものだ。新年にいただいた賀状に「今年こそ会いたいね」と添え書きがあった。それ以来、ずっと気になっていたものだから、会えて嬉しかった。ジミーはジミーで「今日は来てよかった。もう知った人もいないしね」。「よかった」「よかった」と、お互いに顔を見合わせては、葬儀の席にもかかわらず、嬉しそう。二人とも實さんとのご縁を深く意識した。こんなこともあるのだ。
会場の出口で大河原克行さん(週刊BCNの元編集長)がツーショットを撮ってくれた。この写真が最期の思い出になるなんて……。「ジミー、この階段降りられる?」「大丈夫だよ」。見れば、すり足歩行しかできない。片手に傘、もう一方に杖。雨足は強い。「大丈夫?」「大丈夫だって」「こんな天気なんだから、内田洋行の秘書室に電話して車を回してもらったらいいじゃないですか」「そんなことしてはいけないの。もう辞めたんだから、関係ないの」。久しぶりに見る顔つきだ。唇を“への字”に噛み締めて、きつい口調で言い切る。懐かしい顔つきだ。築地本願寺の交差点はごった返していた。どうにかタクシーをつかまえ、大丸東京店に向かった。「今日はすし鉄に行こう。もう、この年になるとうまいものを食べることが楽しみなんだよ」「いいですね」。「昔、天ぷらの稲ぎくへも行ったね……」。
他愛のない話をしながらジミーはビールをお替りした。「飲んでも歩けますか?」「この駅は家に帰るのに始発だし、座れるから便利なんだよ」。ジミーとたわいもない会話をしながら、この時を楽しんだ。12階には、蕎麦の永坂更科、天ぷらのつな八、すし鉄、鰻の伊勢定がある。「ジミー、おヒマなら月例会をこの階の店でやりませんか」「いいねぇ」。で、11月の例会は26日午後1時に決まった。当日は鰻屋の前で30分待った。おかしいなぁ。体調が悪いのかな。姿を見せなかった。12月2日、實さんを偲ぶ会にもジミーの姿はなかった。二日後の4日、BCNの佐相記者から訃報メールをもらった。「元内田洋行社長・久田仁さんが亡くなられました。11月25日です」。呆然とした。私はジミーに育まれた。駆け出し記者のころコンピューターと流通の仕組みの基礎を教わった。これが私の背骨になっている。さようならジミー。

【注】登場していただいた方々の肩書きは取材当時のものです。