今年、JOC(日本オリンピック委員会)会長に就任した柔道家の山下泰裕さんとの交友については記事の中でも触れている。その山下さんが道場開きに駆けつけてくれた豆蔵柔道クラブで、鍛錬する社員がいるかどうかを荻原さんに尋ねると「残念ながらいない」とのこと。IT業界ってそういうのってやらないじゃないですか。腹が立つくらいクールですよと、ちょっと不満気だ。でも、柔道の話をするときも、業界の話をするときも同じような熱をもつ。それは、生まれながらのエネルギーに違いない。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.6.7/東京都新宿区の豆蔵ホールディングス本社にて

いかなるときも「対お客さん」で物事を考える

奥田 荻原さんには、夢というか構想を次々に実現するイメージがありますね。

荻原 私は、夢を現実化しないと気がすまないタイプなんです。

奥田 そうした夢はどのように描くのですか。

荻原 ときどき思いつくんです。ふと降りてくる。

奥田 それはどんなときですか。

荻原 いつも、朝風呂に入って身体を洗おうとした瞬間なんですね。そういうときに「あれ?」と。不思議なことに、それがだいたい当たるんです。

奥田 ところで、会社の創業を実現させたきっかけは?

荻原 会社設立前、私は公認会計士・税理士の仕事をしていました。豆蔵の創業は、そのクライアントにいたエンジニアからビジネスプランについて相談されたことがきっかけです。そのとき、彼はじっくりとプランを説明し、私は「これはまだ誰も取り組んでいないから当たる。絶対やるべきだ」と助言したのが42歳のときです。それで彼と一緒に起業することにしました。「ただし、大手SIerからはすごくにらまれるよ」と言うので、「それがいいんじゃない」と返したんですよ。

奥田 荻原さんらしいですね。それでその通りになったんですか。

荻原 なりました。

奥田 すごい。これが第一の当たりですか。

荻原 第一の当たりは28歳のときですね。外資系の会計事務所にいたときに、あまり上司の言うことを聞かなかったので左遷されたんです。そのとき、一人で出向するか残って新しいプロジェクトに入るか選べと言われました。何十人のチームの中の一人よりも、一人で出向するほうが絶対いいと思ってそっちを選んだんですよ。それが大正解。

奥田 どうしてですか。

荻原 そこで出会った人たちとはいまだにおつき合いがあって、ずっと私の税理士法人のお客さんでもあるわけです。つき合って33年ですよ。

奥田 出向先には何年いたのですか。

荻原 10年です。

奥田 ずいぶん長いですね。

荻原 もう、楽しんでいましたね。

奥田 全然、左遷とは思わなかった、と。

荻原 はい。なぜかというと、会社という組織にいると、その中で出世とかを考えますよね。だけど、私はいつも、対お客さんで考えます。お客さんから信頼されていれば、それ以上に強いものはない。ずっと、私はそういう考え方なのです。

奥田 その考え方はいつ頃、身につけたのですか。

荻原 子どもの頃からです。私の父親も祖父も三越の呉服部に勤めていました。親父は、当時、月曜日が休みだったのですが、日曜日の夜になると反物を背負って帰ってくるんです。月曜日の昼から、知り合いのお金持ちの女性たちを呼んで、和室でそれを見せるわけです。まだヨチヨチ歩きの私が立ったまま挨拶しようものなら、思いきりひっぱたかれました。だからお客さんが見えたら、いつも手をついて土下座して挨拶したものです。

奥田 幼くして、商人の根性を叩きこまれたわけですね。でも、休みの日まで家で商売とは……。

荻原 親父には、休みという概念がなかったんです。常に仕事なんです。

奥田 代々三越だったら、荻原さんも三越に入れと言われませんでしたか。

荻原 逆に、入るなと言われました。実は、親父は私が中3のときに亡くなったのですが、亡くなる前に「おまえの好きなことをやれ」と。

 それで、大学に入って2年目に、お金がなくてすごく苦労していましたから、早くお金を得るためには資格が必要だと思って、公認会計士になろうと決意しました。会計士に受かれば税理士は届け出だけでできるので、とりあえず会計士になろうと思って勉強したんです。当時、合格率は4%くらいで、受かったのが25歳のときです。だから、ガソリンスタンドで10時間くらい働いて、寝て、深夜12時頃に起きて朝まで勉強して、そのまま働きに行くみたいな生活でしたね。

柔道にもITにも求められるグローバルな視点と行動

奥田 荻原さんは、柔道でずいぶん鳴らしたとうかがっています。

荻原 会計士を目指したため、柔道は大学1年でやめました。もともと私は高校野球をやりたくて、中学から神奈川の桐蔭学園に入ったんです。ところが、中2のときに肩を壊してしまいました。それでちょっと荒れているときに、たまたま柔道の先生につかまって、おまえは団体競技より個人競技に向いているのだから、柔道をやれと。

奥田 もともと身体は大きかったのですか。

荻原荻原 そうですね。相撲大会などで優勝していましたから。

奥田 柔道の戦績は?

荻原 個人戦では、同じ神奈川の東海大相模に山下泰裕がいましたから優勝は無理でしたね。重量級の猛者がいっぱいいましたから、団体戦で頑張るしかありませんでした。

奥田 山下さんとは同世代ですか。

荻原 まったく一緒で、高校時代は対戦しましたし、いまでもつき合いがあります。4年前にうちの豆蔵柔道クラブをつくったとき、道場開きに来てくれて、みんなびっくりしていました。

奥田 やっぱり強い?

荻原 強いなんてもんじゃない。グッと引きつけられると、身体が持ち上がっちゃうんですよ。力が尋常じゃないですから。

奥田 でも、これはちょっと自慢ですね。

荻原 そうです。山下泰裕は素晴らしい男ですからね。彼は、ものすごくグローバルに物事を考えています。柔道は日本発の競技だけど、それを世界に普及させなければいけないと。でも、道着も買えないし、畳もないような国がたくさんあります。彼はそれをアシストするために、道着を集めたり畳を送ったりしているんです。それで少しずつ、世界中に柔道をやる子どもたちが増えてきました。でも、日本の柔道人口はどんどん減っている。ちょっと皮肉ですね。

奥田 柔道もグローバル化の中で日本の立ち位置が問われているということですが、ITの世界でも日本が勝てる時代は、本当に来るのでしょうか。

荻原 前にも言いましたが、国内市場だけで満足していてはいけないということですね。「今年は景気がよかったね」というレベルにとどまっていてはダメだと思います。

奥田 そこを変えるには、どうしたらいいのでしょうか。

荻原 この業界全員の意識改革です。もっと未来を見据えて、いま何をしなければいけないかということを考え、実行に移さなければいけないと思います。


こぼれ話

 「優柔不断」という言葉とは全く無縁の人ではないか。良し悪しを言っているのではない。生き方の姿勢を感じたままに述べたまでのことだ。瞬時の判断を連続して求められる柔道にのめり込んだ人なのだろうか。そうであればスポーツをする人や柔道家は皆、荻原さんのようになるはずだ。しかし、荻原さんは特異に映る。だから幼少期からの“育み”ではないかと思った。

 全身からエネルギーを発散するには“力”がいる。全速力で突っ走るほどの力がいる。以前、山の牧場で憤って鼻息を荒くした牛に遭遇したことがある。怖かった。荻原さんには叱られそうだけれど、ときおりそれに似たものを感じる。この力は尋常ではない。話を聞きながら、彼は13歳の時の父親の死を境に自分の生き方を鍛え続けたのだと思った。と同時に無理をしているのではないか、とも思った。

 あれこれ意地悪な質問をするのだけれど、真正面から答えが返ってくる。なんて自分に素直な人なのだろうか。返答の内容は実に個性的だ。だけど「そうだ、そうだ」とうなずく私がいる。そうだ、これが自然体なのではないか。期待することは成就しないことが多いから、自分から仕掛けることには期待しないという。それは境遇も含めてのことではないか。結論を言えば、荻原流自然体を身につけたといえる。ときおり物議をかもす発言も自然体なのである。さて、若き日に柔道家の山下泰裕氏と試合で向かい合った時の心境はいかなるものだったのだろうか。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第241回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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