コンピューターの進化によって産業が発展し、仕事に省力化と効率化を、生活に利便性をもたらしたことは誰もが認めるところだろう。そうした革命の歴史と未来についてしばし語り合った後、井芹さん自身の関心事についてうかがうと、「世界平和」という少し意外な言葉が飛び出した。以前はインターネット接続している国と戦争をしていない国がかなり符合したが、現在は平等なネットによるコミュニティーとそれを規制する国家の綱引きになりつつあると井芹さんは分析する。理想の旗を降ろしてはならないと思う。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.3.19/東京都新宿区のインプレスR&Dにて

パーソナルツールの革命とコミュニケーションの革命

奥田 井芹さんは、何年アスキーにおられたのですか。

井芹 11年です。私が辞めたのは1992年2月で、インプレスができたのがその年の4月です。塚本さんが辞めたのは、その1年ほど前で、経営上の意見の相違によって袂を分かった形ですね。

奥田 あの頃のアスキーは伸び盛りだったのに、どうして分解していったのでしょうか。

井芹 惜しいですよね。それに関してはいろいろな意見があると思うのですが、上場したものの、会社をうまく成長させ、運営していくことができなかったといえるでしょう。いろいろな事業がある中で、会社としての方向性やリソースの配分を決めていくにあたって、あまりにも自由度が高すぎたというか、みんなが好きなことをやって進んでしまったということがありました。ある意味では、大人になれなかったことがその原因だったように思います。

奥田 その後、井芹さんはインプレスでご活躍されるわけですが、70年代後半以降、産業の進化という意味で、パソコンが世に出てからの節目は何だったのでしょうか。

井芹 まず、それまでマイコンと呼ばれていたものが、80年に出たNECのPC-8001からパソコンといわれるようになったことが大きかったと思います。この段階でオフコンとかメインフレームといったオートメーション系のものが、パソコンのほうにシフトしていき、そこにマイクロソフトやアップルが出てきて、officeなどのビジネスアプリケーションが登場します。いまでも、ワープロ、表計算、データベースという「三種の神器」は変わっていません。この流れは80年からつくられた。だから、アスキーは、その流れに乗ったのだと思います。

奥田 なるほど。BCNもそうかもしれません。

井芹 業態は違いますが、乗ったトレンドは同じですね。私はこの変化を「パーソナルコンピューター革命」と呼んでいるのですが、これはパーソナルツールの革命であり個人のスキルの革命なんですね。例えば、電卓と紙でやっていた伝票作成や予算づくりは、スプレッドシートで簡単にできるようになりました。ワープロもそうですが、パソコンとアプリケーションが、人間に対して大きな能力アップをもたらしたわけです。

奥田 その次の革命は?

井芹 インターネットです。IIJが93年にできて、私が「iNTERNET magazine」を創刊したのが94年。正式なインターネット接続メニューも94年にオープンしたんです。このインターネット革命は、パーソナルツールの革命に対して、コミュニケーションの革命といえます。人と人、人と会社、会社と会社のコミュニケーションであったり、または国内だけでなく外国とのやりとりだったり、あらゆるコミュニケーションが革新されてきたわけです。最近は、IoTなど、物と物のコミュニケーションまで進化しているわけですね。

奥田 なるほど。

井芹 もう一つの革命はモバイルです。NTTドコモの携帯電話がインターネット接続をできるようにしたところまではよかったのですが、日本の悪い癖で、最初にある程度の規模のマーケットをつくり国内で満足して世界に出ないから、最終的にはGoogleやAppleなどに市場を奪われてしまう。そこは残念なところですね。

奥田 その次は何?

井芹 さきほどちょっとお話しした、物と物(マシン・トゥ・マシン)のコミュニケーションですね。例えば車の自動運転って、物と物のコミュニケーションがないと絶対にできません。前を走っている車が拾ったカメラやワイパーのセンサーデータなどを後ろの車に送ることで、道路の前方がどうなっているか後ろの車が分かるというように、センサーの技術によって情報を共有させるのです。人間が介在しないマシン・トゥ・マシンのコミュニケーションが縦横無尽に張り巡らされて、初めて自動運転が可能となるわけですね。そして、そこにAI(人工知能)がからんでデータ処理の要素が加わるため、より高度なテクノロジーが実現するというわけです。

在庫を持たない出版事業を可能にするプリントオンデマンド

奥田 ところで、インプレスR&DでやられているPOD事業について、教えていただけますか。

井芹 PODはプリントオンデマンドの略で、7年前からやっています。これまで出版業界は、通常の書籍では数千部あるいは数万部を印刷するのが普通で、売れなかったものは大量に在庫が残るという宿命的な問題がありました。その中にあってPODは、必要に応じた部数の本を1部からつくれる技術で、最近はコスト的にも合うようになってきました。

奥田 7年前というのは早いほうですか。

井芹 早いほうです。出版業界ではだいぶ前からPODを導入したいという話があり、国内の大手印刷会社が研究してきた歴史があります。でも、結局はコスト高で、なかなか品質も上がりませんでした。だから、ビジネスになりにくかったという経緯があったのです。

奥田 それが商売になるようになった、と。

井芹 そうですね。普通のオフセット印刷と比べても、いまは品質レベルでまったく問題はありません。PODをビジネスとして最初に始めたのがAmazonで、われわれはその日本でのファーストユーザーなんです。

奥田 Amazonのシステムを利用して、インプレスR&Dの本を出すということですか。

井芹 そうです。Amazonの倉庫の横にプリンタールームがあって、オンデマンドの場合は注文がきてからそこで印刷するのですが、製本されるまでだいたい数十分。出来上がった本は、横にある流通ラインに流されるのです。

 Amazonがつくったプリントオンデマンドはとてもよくできていて、それを使うと、電子データをAmazonに入れるだけで紙の本が生産できます。つまり、われわれとAmazonの間は電子出版で、Amazonから先の工程は紙の出版なんです。言い換えると、3Dプリンタと同じ原理で、本という物体のすべてのスペックを電子で送り込んで、それをある機械にかけると本が復元されるということですね。ということは、世界中どこにでも本を届けることができるわけです。技術的にはすでに完成しており、ビジネス化も目前です。

奥田 この事業は軌道に乗っているのですか。

井芹 6年経って黒字化できました。大量印刷・大量頒布ではない純粋な電子出版事業で黒字化できたのは、おそらく初めてではないでしょうか。私はNextPublishingと呼んでいますが、この新出版モデルを黒字に導けたことはとても意義あることだと思っています。

奥田 なるほど、楽しみですね。次のイノベーションにも期待しています。



こぼれ話
 井芹さん、メールをありがとう。今年の年賀状に対しての返信メールの話である。私は昨年末に「グキッ」と音のするギックリ腰をやってしまった。逡巡はしたが、翌日の上海出張には車椅子で出かけた。この旅で、人々の国境を越えた思いやりを感じ、その様子を写真付きで賀状とした。いただいたメールはいたわりの言葉だった。仲間というのはありがたいものだ。よく読むと彼も病気をしたという。念のため、病名を聞いてみた。すると「ガンなんですよ」。

 井芹さん! 病といってもギックリ腰とガンとでは深刻度合いがまったく違うでしょう。大慌てで返信した。会わなくてはいけない。状況も聞きたい。励ましもしたい。もう10年前になるが、私は仕事上のかけがえのない相棒を亡くした。井芹さんと彼は同郷で仲が良かった。そういえば二人とも年下だ。年下の人との別れはずっしりと堪える。いろいろなことが頭に浮かんでは消えた。まず会うことだ。顔が見たい…。

 井芹さんと会うと昔話に花が咲く。「アスキーにいたみんな、今どうしてる?」「元気にやってるよ」。アスキーとは角川アスキーの前身だ。その昔々のアスキー編集長が塚本慶一郎さんで、その後独立してインプレスを創業する。井芹さんは塚本さんの右腕として半歩先のメディア商品を世に発信している。過去形ではなく現在進行形であることに注目してほしい。アスキー文化が彼の中に流れている。歴史として残したい。というわけで、『千人回峰』への登場を促した。写真撮影の時に微笑みながら「この写真、つかいたいなぁ」と、彼は言った。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第239回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
  • 1