大塚社長は、「そうしないと自分が負けちゃうから」とか「それをやると自分が弱くなっちゃうから」とつぶやくように語る。いずれも、経営者として、あるいはリーダーとしての自身を律する言葉であり、安直な選択を戒める文脈で付加されるフレーズである。マッチョなタイプの経営者が武勇伝を語る姿とは対極にあるが、それがむしろ凄みを感じさせ、その一言が心の中にじわじわとしみ込んでくる。ふと、真のリーダーシップはこうしたところに宿るのではないかと感じた。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.4.23/東京都千代田区の大塚商会本社にて

「ITで日本を元気にしたい」という気持ちがJCSSAの原点

奥田 日本コンピュータシステム販売店協会(JCSSA)の会長を退任されるとうかがいました。

大塚 ええ、就任してもう13年になりますから、そろそろ退かないと……。

奥田 13年ということは2006年の就任ですね。まず、これまでのJCSSAとのかかわりについてお話しいただけますか。

大塚 私の前任者は丸紅インフォテックの梅崎哲雄さんですが、梅崎さんの体制でも常務理事をやっていましたから会長になってもそれほど違和感はありませんでした。実は、90年代に初代会長を務めたカテナの小宮善継さんの時代にも理事を務めているんです。ただ、小宮さんの後、うちの父(大塚実相談役名誉会長)が会長になったため、その間はあまりかかわらないようにしていました。

奥田 なるほど、会長就任前からずっと尽力されていたのですね。

大塚 環境的には、私がJCSSAの会長になる前、9.11(米国同時多発テロ事件)が起こったりネットバブルがはじけたりしたことで、景気が不安定になりました。それで、JCSSAの会員数もだいぶ少なくなっていたんです。私が会長職を引き継いだ後、2期ほど赤字を出したこともありましたから、「清く正しく美しく」というか「清く正しく貧しく」といった感じでしたね。何もないけど、みんなの気持ちをまとめて「ITで日本を元気にしたい」とか「ITを使うことで便利で楽しい世の中にしたい」という気持ちを大事にしていました。

奥田 就任当初、JCSSAをこういう形にしようという構想はすぐに湧いてきましたか。

大塚 いきなり会長になったから大きな構想を打ち出すという感覚ではなく、全体の流れや状況を見ていく中で、どう盛り上げていこうかと考えました。ですから、かなり細かな部分を見ないといけませんでしたね。

奥田 会社や組織の役割、本質について、いつ頃から考えるようになられたのですか。

大塚 小さい頃から「将来は社長になるんだから、こういうことには気をつけなければならない」ということは言われていました。上に立つ人間はちゃんと責任をとらなければならないといった部分は暗黙のうちに学んだ気はしますが、それがそのまま役立つというわけではありません。

 私は学卒時に、父から「銀行に行って勉強してこい」と言われて横浜銀行に入行したのですが、そこでお金のすごさと怖さを味わいました。銀行には、客観的に自分の会社を見て、強いか弱いか判断できるメジャーがありますし、バブルの時代とは異なり、当時の銀行には「担保さえあれば貸す、というわけではない」といった哲学がありました。例えば、社会的にあまり認められないビジネスでも、担保があれば貸していいのかといったことや、数字だけでなく社長の人柄を見るといったことを学んだのは銀行ですね。もっとも、当時は銀行強盗も多く、物騒なこともありましたが。

奥田 なるほど、いろいろ経験されたんですね。

大塚 しましたね。そのときの経験が、大塚商会の社内改革をやるときに生きたのです。

銀行での経験を生かして抜本的な経営改革に取り組む

奥田 銀行での経験と社内改革は、どのように紐づくのですか。

大塚 例えば、1993年にスタートさせた経営改革プロジェクト「大戦略」の基本構想は、構造的には商社のモデルではなく金融型のモデルです。大塚商会のビジネスのようにつくり変えていますが、銀行の本部が営業店を集約するやり方や考え方とほとんど同じなのです。

奥田 具体的には、どのように改革を進めていったのですか。

大塚 バブルがはじけて、利益が大きく落ちる非常に苦しい時期でしたが、まずは、上場を目的にしていたわけではないけれど、上場基準が満たせるくらい財務内容をきれいにしようと考えました。

 銀行員時代、目の前で会社がつぶれるケースをいくつも見ましたが、倒産するということが一番悲しいことなんですよね。会社はなぜ倒産するかというと、最終的にはバランスシートが汚れるから。バランスシートがなぜ汚れるかというと、企業会計原則どおりに経営をしていないからということになります。現金に替わらない資産が増えていって、最終的に資金がショートするわけですから、企業会計原則に則った構造をつくることで体制をつくり変えたということです。

奥田 それは、かなりドラスティックな改革だったのですか。

大塚 ふつうの商社であれば、受注とか売上計上について、現場サイドでの裁量が多少あると思うのですが、うちはそれを全くなくしましたから、そういう見方もできますね。

奥田 本部がすべてを管理すると?

大塚 どの商品を、どのお客様に、いつ納品して、いつ代金回収する、という四つの項目がそろったものを「受注」と呼ぶことにしたわけです。それ以外は仮なので、受注とは呼びません。その内容をシステム計上すると、エンドユーザーに集中倉庫から直送するという仕組みにして、直送された段階で売上高を自動計上する。つまり、現場には売上機能を持たせていないんです。

 この構造が銀行的な感じですし、全部センター化をしたことで、恣意的な判断が入る余地はありません。その面では、厳しいといえば厳しいですが、基本的に現場に在庫機能も売上機能もないので、カラ計上などはまず起こらないわけです。

奥田 それは銀行在職の頃から、会社の仕組みに取り入れられると思っていたのですか。

大塚 漠然とですが、センター化すると非常に効率がいいと思っていました。仕組みを「センター化」とか「一気通貫」というキーワードで考えていたんですね。

奥田 そうした組織をリードしていく人間の資質というものは、もともと備わっているものなのか、それとも、後から自分で身につけていくものなのでしょうか。

大塚 難しい質問ですね。おそらく、30代半ばくらいまでに何かチェンジできる人は、そこで変わっていきますし、そこで変わらないとなかなか変われないでしょう。

 それぞれの育った環境など、いろいろ複雑に絡んでいるのでしょうが、それぞれの立場で何を考え何を発見していくかは、個人のスキルと気持ちによると思います。組織における課題に突き当たって悩むのはみな同じですから、おそらく最終的には本人の気持ちがいちばん大事なのだと思いますね。(つづく)
 

ユニット交換式デジタルカメラ「GXR」

 大塚社長愛用の品は、ユニット交換式で、自動開閉式レンズキャップという、とても珍しいタイプの高級コンパクトカメラ。大塚さんは昔から写真を趣味とし、カメラの収集家としても有名だが、このモデルは自らリコーに提案し、製品化されたものなのだ。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第238回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。