現在、ムラウチドットコムの社長を務める村内伸弘さんは、ECサイトの「murauchi.com」、ブログサービスの「muragon(ムラゴン)」、ブログポータルサイト(まとめサイト)の「にほんブログ村」、そしてスポーツメディアの「Spolete(スポリート)」を運営している。醤油屋に始まる村内家のビジネスは、テレビ、家電、パソコンと、時代の流れとともに変わってきた。しかし、そこで揺らぐことなく変わらなかったのは、脈々と続く利他の精神だった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.5.14/東京都八王子市のムラウチドットコムにて

村内家の商売のルーツは醤油屋だった

奥田 村内さんといえば、この八王子を中心に古くから事業展開されてきたというイメージがあります。

村内 現在のムラウチドットコムは、電子商取引(EC)事業とメディア(ブログ)事業という二つの事業を展開しています。法人としてはつながっていないのですが、うちの商売は曾祖父からの流れがあって、今年で創業107年になります。

奥田 ほ~~! 古いですね。それでひいおじいさんはどんな商売を?

村内 曾祖父は、1912年(大正元年)にすぐ近くの大和田町で醤油屋を始めたんです。

奥田 大正元年ですか。醤油というのは、当時儲かったでしょうね。

村内 すごく儲かったんですよ。

奥田 醤油屋をやるということは、かなり村内家には財力があったということですね。

村内 そのあたりはよく分からないのですが、聞いたところによると、曾祖父が小さい頃、親に連れられて新宿に行ったとき、その道中、甲州街道沿いにすごく大きな家があって、それが醤油屋さんだったそうです。それを見た曾祖父は、百姓じゃなくて醤油屋をやりたいと志を抱いたという話なんです。それで、長男なのに家を飛び出しちゃって、千葉県の野田に修業に行ったんですよ。

奥田 起業家の血ですね。

村内 曾祖父はみんなで雑魚寝するような作業場で醤油の醸造法を苦労して学んで地元に戻り、醤油屋を始めたようです。それが大正元年ですね。

奥田 それが、ムラウチドットコムのルーツなんですね。

村内 その醤油で儲かったお金で、息子(大叔父)が無線学校に行かせてもらっていたんですが、醤油屋がだんだんダメになってきた頃、大叔父がテレビを自作しました。NHKの本放送が53年(昭和28年)に始まるのをきっかけに、祖父と大叔父でテレビ屋に転身したんです。

奥田 醤油屋からテレビのメーカーですか。

村内 はい。ただ2、3年でメーカーはすぐにダメになってしまったため販売に舵を切り、東芝ショップの1号店になったんです。でも、その後は混売にしました。専売のままの店はあまり成長せず、混売にしたところは大きくなりましたね。その後、父親も入社して、テレビ屋から電気屋、それからパソコン、インターネットと続いて、いまの会社に続いていくんです。

奥田 お父さんの時代には、もうパソコンを?

村内 当時、パソコンは儲からないからやらないという方針の販売店がけっこうあったのですが、うちの父親はマイコンの時代から真っ先に扱い、時流に乗ってインターネットにも進出しました。

 こうしてみると、東芝しか売らなかった店がダメになって、マイコン・パソコンを扱わなかった店がダメになって、インターネットをやらなかった店がダメになってと、大きなところではおおよそ選択を間違えてこなかったのだと思います。

奥田 まさに、世の中の最先端の需要に応じ、業種業態の転換を繰り返してきたわけですね。

村内 おっしゃる通りですね。新しいもの好きというか、変化対応というか(笑)。

会社を存続させることよりもいかに社会に貢献できるかを考える

奥田 そうすると、村内さんは4代目。家業なんですね。八王子の名家じゃないですか。

村内 名家でも何でもありませんし、この会社に村内家の人間は私しかいないので、家業でもありません。八王子にはすごい会社がいっぱいあるので、細々とやっているというところでしょうか。

奥田 でも、4代続いていることは誇りになるでしょう?

村内 まあ誇りの一つですね。ただ、それを続けようと執着するのではなく、自分の会社がどうなるというよりも、世の中の方々にどのような貢献ができるかといったところを主にしていきたいですね。

 もちろん将来的に会社を存続させることは大事ですが、それ以上に、いまこの瞬間、お客さんやユーザーさんのお役に立つことが大切だと思います。

奥田 代々、村内家の頭領はそういう考えの方が多いのですか。

村内 そうですね。私利私欲より社会奉仕とか社会貢献ということを大事にする人ばかりですね。時代によって、そのスタイルはいくぶん変わっているのでしょうが、貫くものは一本なのかなと。

奥田 遺伝子ですね。

村内 そう思います。そうでないと、なかなか説明がつかない気がします。

奥田 社訓とか家訓のような、何か言葉になっているものはありますか。

村内 いまの会社にはありませんが、前のムラウチ電気のときは「良品・誠意・奉仕」という社訓がありました。電気屋だったので「よい品物を、誠意を込めて、お客様に奉仕する」という分かりやすい社訓でしたね。

奥田 社長としてみんなの前で話す、哲学のようなものはあるのですか。

村内 哲学というほどかっこよくないですが、よく話すのは「お客さん視点」「ユーザーさん視点」といったことですね。あとは「社会のために」ということです。

 私は、いまはなくなってしまった第一家庭電器で修業したんです。平成が始まる寸前に第一家電に入って、まだ10代後半の頃にいろいろ教わりました。その中で、創業者の永長左京さんの語録に「私利私欲を捨てた時、人間は必ず社会から報われる」という言葉があったのです。

奥田 利他の精神ですね。

村内 自分ではなくて相手をまず優先するといった、そういう商売の考え方だと思うのですが、実は永長家とも親戚付き合いがあって、これも遺伝子なのかもしれません。

奥田 でも、それでは損しませんか(笑)。

村内 「損して得取れ」といいますし、得をしたいという気持ちもあります。でも、奥田さんのBCN AWARDでのITジュニア賞の表彰なんて、私利私欲とは真逆のところにありますものね。

奥田 損しています(笑)。

村内 やっぱりそうですか(笑)。結局、膨大な利益を得てすごい財宝を貯め込んだとしても、それは墓場に持っていけませんし。もちろん、あまり貧乏すぎるのもいけませんが、お金以外に得られるものもあると思うんです。(つづく)
 

名キーボード「NMB RT6652TWJP」(ミネベア製)

――「さむらいにおける刀、手塚治虫におけるペン、イチローにおけるバット」ということで、ブロガーである僕の大切なものはキーボードです。僕はどんな音楽よりもキーボードの音が好きです。キーボードが奏でる音色が僕を高ぶらせてくれるんです。このキーボードは手ざわり最高、タッチが滑らかで打ち心地がよく、カチャカチャと鳴る音はまるで軽やかな音楽のようなのです。――と、村内さんは事前にコメントを寄せてくださった。現物を拝見すると、長崎の孔子廟でひいた大吉のおみくじがついていた。そこには「事業:幸運なめぐりあわせで必ず成功するでしょう」とあった。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第240回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
  • 1