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よき友人たちに恵まれ パソコン販売に業態転換――第243回(上)

千人回峰(対談連載)

2019/09/27 00:00

林勝

林勝

ソフトクリエイトホールディングス 代表取締役会長 創業者

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2019年9月30日付 vol.1794掲載

 今春、一通のご案内をちょうだいした。ソフトクリエイトの子会社が東証一部に上場された記念とのことで、創業者の林会長と二人のご子息が笑顔でクオカードに収まっていた。事業を始めるのはたやすくはないが、続けていくことはさらに難しい。後継者がいないせいで、黒字経営にもかかわらず廃業を余儀なくされる企業が少なくないとも聞く。クオカードの中の会長は、ご子息に囲まれて実にいい顔をしておられる。無性に話をうかがいたくなった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.7.11/ソフトクリエイトホールディングス 会長室にて

大学の同期生たちに背中を押されパソコンショップをオープン

奥田 少し前になりますが、「エイトレッド」の東証一部上場、おめでとうございます。

 ありがとうございます。

奥田 エイトレッドは、林会長が創業された「ソフトクリエイト」の子会社にあたるのですね。

 はい。2007年にソフトクリエイトの「X-point」事業部門を分社化し、当時の住商情報システム(現SCSK)に資本参加していただいて、始まった会社です。

奥田 会長がソフトクリエイトを創業されたのは。

 パソコンショップとして誕生したのは1983年です。渋谷の宮益坂に第一号店を出しました。38歳の時でした。

奥田 それまではどんなお仕事をしておられたのですか。

 大学を卒業して三井造船に入社したんですが、69年に両親が不動産業を始めて、それを手伝うようになりました。72年に田中角栄の「日本列島改造論」が世に出る少し前のことで、不動産業は活気にあふれていました。

奥田 不動産業からパソコンショップとは、ずいぶん方向が変わりましたね。

 80年代になると土地の価格がピークにさしかかり、そろそろ次の事業をと考えていた頃に、パソコンが世に出始めました。そこでパソコン業界にちょっと興味を抱きまして……。高校時代の親友に胸の内を明かしたところ、リード・レックス創業者の梶山桂君を紹介してくれました。彼の話を聞くうちに「これだ!」とピンときたんです。

奥田 うーむ。80年代初頭ですよね。商才に長けているというか、勘が鋭い。

 いいあんばいに、大学の同期生がIBMのパソコン部門にいたんです。NECの早水潔君とかもね。

奥田 えっ、PC-9800プロジェクトに参画しておられた早水さんもそうなんですか? 慶応義塾大学の同期生? 梶山さんもですよね。

 そうです。で、みんなに「パソコンを商売にしたい」と言ったら、口をそろえて「それはいい」と。いろいろな人に多くのことを教わりましたが、やはり一番は梶山君ですね。業者とのつき合い方から仕入れのルートなど、具体的な各論は彼が一番詳しかった。

奥田 それで83年に渋谷に第一号店を。手応えはありましたか。

 渋谷駅から歩いて3分という立地のよさもあったのか、月ごとの売上高は倍々で伸びていきました。翌年には横浜駅の西口に2号店を出しました。

奥田 順調ですね。

 おかげさまで。この横浜店を出した翌年にシステム開発部門をつくり、システムエンジニアを採用して受託開発に乗り出したんです。

奥田 ということは、BtoCではなくBtoB。それはなぜですか。当時はBtoCが華やかでしたよね。

 もともとソフトウェア開発を事業の中核にしたいと思っていたんです。それと、渋谷には法人のお客様が結構多かった。ジャストシステムの浮川さんやOBCの和田さん、PCAの川島さん。そのうち仲良くなってみんなで飲みに行ったりゴルフをしたり……。

奥田 ああ、懐かしい名前が出てきますねえ。それにしても、システム開発が85年とは取り組みが早い。

 ただ、ソフトウェアの開発は難しくて、立ち上げてから7年間の収支は真っ赤でした。パソコンショップの利益を全部開発に持っていって。そのうちソフト開発の質が向上してきて何とか採算ベースが合うようになってきました。

奥田 黒字化したのはいつ頃ですか。

 93年ですが、転機はその前年です。米国のノベル社が出しているNetWareというソフトにいち早く着目して、社員に資格を取らせたり、ノベル社と共同でセミナーを開催したりして、ゴールドリセラーになったんです。おかげでネットワークに強い専門ショップということでアピールすることができたのです。

根は同じながらタイプの異なる長男と次男

奥田 ネットワークに強いという肩書はいつくらいまで続いたのでしょう。

 現在も続いています。(株)ソフトクリエイトのビジネスはネットワーク構築やセキュリティ、インフラ事業はその延長線上と言えますね。

奥田 ソフトクリエイトの本業はそこだと。

 本業というか本流ですね。

奥田 ご子息のことについて、うかがいましょうか。ご長男は宗治さん。ご次男が雅也さん。それぞれどんな性格ですか。

 そうですねえ。長男は家内に似ています。家内は食通なんですが、どうやら受け継いだようで……。ワイン好きが高じてワインエキスパートの資格を取ったりしています。

奥田 ソムリエのようなものですか。

 そのようですね。日本酒も何かの資格を持っているみたいです。

奥田 弟さんは?

 弟はやや不器用かな。仕事1本で私に似ています。

奥田 えっ、そうですか!?

 ほんと、ほんと。仕事一筋。お酒も弱くてね。飲むとすぐに赤くなります。そこも次男は似ています。ただ二人とも商才は確かにありますね。

奥田 商才は同じく持っているけれど、タイプが違う。

 長男は神輿に乗るほうです。ある程度組織ができあがってから上に立つタイプ。だから2代目としてちょうどいい。一方、次男はまさにベンチャー。自分が神輿を担ぐほうです。うちの会社は今、ホールディングスの下に(株)ecbeingと(株)ソフトクリエイトの二社の基幹産業が有ります。ソフトクリエイトのほうはネットワーク構築やインフラ、クラウド、セキュリティが主体で、長男が統括しています。ecbeingはECとWebビジネスで、こちらは次男が統括しております。

奥田 ICTといっても全然異なる分野を担当しておられるのですね。

 そう。次男は突撃型で率先垂範。長男はある程度人に任せて上手に管理していく経営スタイルです。この6月に日本コンピュータシステム販売店協会の会長に就任しましたが、そういう役回りが性にあっているようですね。

奥田 産み分けがうまいということですか。

 いやいや(笑)。まあ、結果的にね。全然違うタイプの経営者が二人できたわけです。

奥田 会長はどちらのタイプですか。

 私は次男のほうですね。

奥田 ご子息たちには幼い頃から何か教育とかしてこられたのでしょうか。

 うーん。ずっと私の背中を見て育っているとは思うので、まあ安心ですね。タイプは違うけれど、根は同じ。二人とも仕事熱心で真面目です。

奥田 なるほど。父親は子どもを信頼し、子どももまた父親を信頼していると、あのクオカードのような写真になるんですね。

 エイトレッドが東証一部に上場した時のカード?

奥田 そうです。会長が真ん中で両脇にご子息がいて。ご自身が起こした会社が大きくなって、長男と次男が継いでくれている。今回さらに一社が東証一部に上場することができた。こんなしあわせな経営者で父親はいませんよ。あのカードを見ていて「最高だ!」と思いましたね。それでお話をうかがいたくて電話をさしあげた次第です。

 それは、それは。ありがとうございます。
 

「エイトレッド」東証一部上場記念のクオカード


 取材のきっかけとなったクオカード。林会長の左・赤いネクタイが長男・宗治氏、右・青いネクタイが次男・雅也氏。会長が手にしているのは、上場記念のセレモニーで鐘を打つのに用いる小槌。㈱エイトレッドの東証一部上場は、親会社㈱ソフトクリエイトホールディングスに続きグループで2社目となる。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第243回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

林勝

(はやし まさる)
 1945年5月生まれ、新潟県出身。68年3月、慶応義塾大学工学部電気工学科卒業。同年4月、三井造船入社。退社後、米国留学を経て、71年、父親が起業した「有限会社白坂産業(現ソフトクリエイト)」に入社した。83年、パソコンショップ「ソフトクリエイト」渋谷店をオープン。以降、「株式会社ソフトクリエイト」として、ソフトウェア開発、ネットワークサービスなど事業を拡大し、2005年、大証ヘラクレスに株式上場。11年、東証一部上場。12年、ソフトクリエイトホールディングス会長に就任、現在に至る。