石田さんは自らを悪運の強い男と評する。そして「すんでのところで救ってもらってばかり」とか「先祖代々、業(ごう)を積んできた」とか、およそ一流のシンクタンクに勤務する理系エリートらしくない言葉を口にする。そして、石田さんが大切にしているのは人の縁だ。ビジネスにおいても「縁をつないでなんらかのお助けをする」と表現する。会話を重ねる中で、そうした「情」と明晰な「理」に裏打ちされた強さがじわじわと伝わってきた。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.5.30/BCN22世紀アカデミールームにて

流れに逆らっても自分が納得できることをやる

奥田 石田さんは子どもの頃からスポーツ万能で、大学は慶應、そして野村総合研究所(NRI)と、すべてがそろった人生を歩まれているようです。

石田 いやいや、何もそろっていませんよ。まだ何も成し遂げていませんし……。

奥田 それでも、自己形成というか、いまの自分をつくりあげるためのモチベーションやコツのようなものがあるのではないですか。

石田 そういう意味ではハングリー精神というか、自分にとって満足できないことや納得できないことがエネルギーの源泉なのかもしれません。

奥田 納得できないこととは……。

石田 自分のやりたいことについて、現状がそれと異なるのであれば、不可能かもしれないけれど、少しでもいいほうに変えていく努力をしたいということですね。

 たとえがいいか悪いか分かりませんが、昔の画家は、生きているうちに自分の絵が評価されなくても、それが100年後、200年後に評価されることがありました。だから私も、ソフトウェアという仕事に携わっていますが、結局、自分が書きたいから、あるいは既存のソフトウェアに納得がいかないから、自分の表現としてソフトウェアを書いているわけです。

奥田 短期的な評価にはとらわれないと。

石田 そうですね。一つは、流されないこと。みんなが期待することをやっていれば、平凡な日々を送れるかもしれませんが、それだと自分が納得できないことは分かっています。だから、流れに逆らってでも納得できるようにやる。逆らえば軋轢も生みますし、嫌われて叩かれます。でも「出過ぎた杭は打たれない」じゃないですけど、私がとことんやることで応援してくれる人もいます。そういう人が一人でもいればと思ってやってきたことが、いまの自分につながっているのかもしれないですね。

奥田 エリートというよりは、反骨精神の人という感じですね。

石田 全然、エリートじゃないですよ。高校受験のときも、うちの母親は塾をやっていたのですが、うちに通っていた7人中6人が合格し、落ちたのは私だけ(笑)。

奥田 でも、大学受験には成功しましたね。

石田 私が行った國學院栃木高校は神道系の学校なので、当時は理系に行く生徒が少なく、慶應の理工学部に進んだのは開校以来私が初めてでした。でも、実は模試では合格率20%未満で、記念受験のようなものだったんです。ところが、前日に試験問題が盗まれるという事件があって出題傾向が変わり、どうもそれが有利に働いたようです。

奥田 努力もあるでしょうし、運が強いんですね。

石田 悪運ですね。私は1999年から2001年まで米国の大学院に留学していたのですが、日本に帰国したのが01年の8月11日、その直前の7月に私はツインタワーに上っているんです。その後、9.11の同時多発テロが起き、そこでNRIの社員が2人が亡くなっています。9月のテロでは、私が住んでいたピッツバーグやその年の10月に行く予定だったワシントンDCのペンタゴンにも飛行機が落ちていますし、そういうことがすごく多いんですよ。

奥田 ちょっと待って。明日、ここに何か落ちないでしょうね(笑)。

早いうちにたくさん失敗したほうが強くなれる

奥田 ところで、幼い頃から剣道を続けてこられたということですが、始めたのは何年生からですか。

石田 剣道を始めたのは保育園からですが、早朝の稽古を始めたのは小学4年生からですね。

奥田 早朝の稽古というのは?

石田 毎朝4時半起きで、江戸時代に行われていたスタイルの稽古をするんです。ふつう、剣道は建物の中でやるじゃないですか。そうではなく、屋外で土の上に太い木を立てて、その木を木刀で叩くんです。叩いているうちに木が減っていくのですが、その木が折れるまでひたすら木刀で叩き続けるというもので、その剣道の愛好会から10人ほどの選りすぐりの者だけを集めてやっていたんです。

奥田 すさまじい稽古ですね。

石田 それで、私は中学校でも剣道を続けて、県の強化選手になりました。でも、県のトップになっても全国に行けば、強い選手がゴロゴロいます。そして、私が進学した國學院栃木はインターハイに出るのは当たり前で、全国何位というレベルの選手が集まってくるため、私なんか歯が立たなくて挫折するわけですね。

奥田 上には上がいる、と。それは何歳くらいのときですか。

石田 高校1年生ですから16歳ですね。そのとき、つらい剣道から離れることでただ遊んでしまうのが怖かったので、今度は勉強をとことんやろうと思ったんですよ。

奥田 なるほど、それは一種の自我の目覚めですね。自分で自分のことを知ったんだ。

石田 振り返れば、これが1回目の挫折ですね。

奥田 それで、新しい自分の道を見つけると。

石田 何事も思い切りやってみてダメだったら、別の道に進めばいいと思います。そして、うちの息子にも言っているんですが、「自分で選んだ道なのだから、決して誰かのせいにしてはいけない」と。

奥田 挫折して、その道が閉ざされたと思っても別の道が開かれていると。

石田 そうですね。転んでも、起き上がり方を知っていれば大事には至らないと思うんですよ。でも、挫折を一度も知らず、ずっと順調にきた人が転んでしまったら、大怪我につながりかねません。本当に大事な場面で起き上がり方を知らなかったら、体力が失われるとともに気持ちも萎えて、再起できない可能性も出てきます。

 だから、早いうちにたくさん失敗したほうが強くなれる。失敗する前に親が守ってやったりとか、企業も失敗しないように安全策ばかり取っているとダメになってしまうことが多いと思いますね。

奥田 知識より生き方を先に学んだほうが、人生は成功するかもしれませんね。

石田 私は、会社に入ってからコンピューターの世界でもいっぱい失敗しています。だから、どうすると失敗するかということは経験知で分かっています。耳学問ではなく、もう本能的に「これはまずい」というのが分かるので、だからこそ、ここまでやってこれたのかもしれません。(つづく)
 

石の文化と木の文化

 カーネギーメロン大学のソフトウェア工学クラスの同窓会で石田さんが話したのは、「石の文化」と「木の文化」の対比。永遠にそびえ立つかのようなピラミッドと遷宮によって20年ごとに建て替えられる伊勢神宮のどちらが“ソフト”なのかを論じたそうだ。(面白いですよ…)
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第242回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。