1996年、林会長は販売3社と協力して日本コンピュータシステム販売店協会を設立した。会員15社の任意団体として発足した協会は、今や会員社数200社超。今年6月、長男の宗治さんが大塚裕司会長の後任の会長として就任された。父親が設立に尽力した協会を、23年を経て息子さんが引き継ぐ。こうした形の事業継承もあるわけだ。不動産からパソコンショップへ、そしてプロダクトビジネスまで、折々のタイミングで先見の明を生かしてきた林会長に、現在とこれからをうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.7.11/ソフトクリエイトホールディングス 会長室にて

インターネットの波に乗って念願のプロダクトビジネスを開始

奥田 今年6月にご長男が会長に就任された日本コンピュータシステム販売店協会は、林会長が設立に関わっておられましたね。

 発起人です。設立を思い立ち、当時の上新電機・藤原常務、ラオックス・鈴木専務、オムロンマイコンシステムズ・岸社長に声をかけました。

奥田 設立の理由は何だったのですか。

 91年当時は、NECの全盛時代でした。特約店になりたかったんですが、オフコンが先行していたこともあって、なれなかったんです。

奥田 直接仕入れることができなかったと。オフコンじゃなくて、パソコンでもダメだったんですか。

 ダメでしたね。既存店が優先されていて。あと、マイコンショップ会が強い勢力を誇っており、彼らは既得権益を守るため、新規の零細ショップは入会を阻止されていました。

奥田 そこで、その垣根を打ち破ぶるための、設立なのですねえ。

 NECに行っていろいろお願いしたんですが、どうしてもダメで。そうこうしているうちに「そうだ。協会をつくろう」と思い立ちまして。その頃、私はパソ協(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会=CSAJ)で理事をやっていたので、専務理事の清水洋三さん(2019年3月21日逝去)に相談したんです。

奥田 なるほど。

 最初はパソ協の中に販売店の部会をつくろうと思っていたんですが、清水さんに「いや、協会をつくったほうがいい」と言われて、藤原さん、鈴木さん、岸さんの3人に声をかけて。

奥田 そうだったんですね。じゃあ今回の息子さんの会長就任はうれしかったでしょう。

 まあそうですね。感無量です。

奥田 その後、ソフトクリエイトは業態を転換されますよね。

 パソコンショップから撤退しました。理由はうちの店のすぐ近くにビックカメラやヨドバシカメラが進出してきたことにあります。

奥田 いつ頃のことでしょう。

 97年頃ですね。価格の安さに加えてポイント制にやられました。太刀打ちできない。それで撤退を考え始めた時、当時大学生だった次男が「どうせ閉店するのなら、インターネットで売ってみたらどうですか?」と言い出して。

奥田 ネット販売の走りですね。

 「それはおもしろい」ということで、その97年に次男がプログラムを書いて「特価コム」というECサイトを立ち上げると、びっくりするくらい売れました。

奥田 97年! それは早い。

 ちょうど楽天の創業と同じ時期ですね。で、その後、ネットショップのシステムをパッケージ化しようと、99年にecbeing第1号を制作し、販売いたしました。

奥田 それだと競争相手が増えることになりませんか。

 いや、パッケージソフトを作り、販売したいとずっと思っていました。当時はほかにECシステムのパッケージを作っている会社はほんのわずかでした。ずっと機会をうかがっていましたから、まさにチャンス到来でした。

奥田 ソフトの開発にこだわるのはなぜですか。

 パソ協の皆様を見ていたからでしょうね。パッケージソフトの成功者が集まっていた。売上高はパソコンショップが大きいけど薄利。ソフトの人たちは利益率50%とかね。うらやましかったです。

奥田 それで満を持して、ネットショップの構築システムをパッケージ化して販売したら当たった。

 当たりました。おかげさまで大成功。以来、右肩上がりでここまできました。

書類選考から大学回りまで採用のすべてを担当

奥田 05年には上場されました。上場の理由は何ですか。

 金看板がほしかったからです。長年事業をやっていても、ソフトクリエイトの知名度は低いままで、後ろ盾もありません。ですから、上場というお墨付きがあればと。特にBtoBには威力を発揮します。

奥田 なるほど……。僕は林会長を見ていて、すごく上手に“他”の力を使われる方だなあということを感じます。

 どうなんでしょうね。意識してやっているわけではなくて、たまたま「あっ」と気づくんです。あの人にこれをお願いしようかとか。だから感性なんでしょうね。

奥田 ビジネスの感性ですか。

 あとはね、パソコンショップも協会もネットショップも、みんな“先発の優位”なんです。広まる前にいち早く気づく、そしてすぐにやる。成功の要因はこれだと思います。

奥田 なるほど。そうやって会長が立ち上げた会社をご子息たちが成長させて……。

 いやいや、承継はまだ過渡期ですよ。今も毎日、朝8時からの会議に出ていますし。

奥田 ソフトクリエイトホールディングスの会長職としてはどのような役割を?

 ホールディングスでは人事総務と経理財務、そして法務。要するにコーポレート関係は全部やっています。ちょっと自慢になりますが、人事採用はすべて私が責任者です。

奥田 会長はどこを担当されるんですか。

 書類選考から面接まで全部やります。あと、地方の国立大学を回って技術系の新卒採用も行います。

奥田 そうでしたか。今年はどのくらい採用されたのですか。

 85人です。辞退者も考慮して少し多めに採用したら、全員来てくれて、少し多過ぎて困りました(笑)。

奥田 来年は?

 75人くらいですかね。数年前に優秀な人事採用担当者が入社してくれて、実にうまくまとめてくれるんです。おかげで非常に優秀な学生が採用できるようになりました。

奥田 それは何よりです。ところで、先ほど事業継承はまだ過渡期とおっしゃいましたが、山に例えると何合目くらいですか。

 (少し考えて)7合目くらいですかね。

奥田 頂上につくのはいつ頃を想定されていますか。

 まあ、10年後くらいでしょうか。

奥田 ということは、会長は御年85歳。

 そのくらいですかね(笑)。身体が元気であればね。だって、仕事ほどおもしろいものはありませんから。ゴルフだの何だのやるけど、やっぱり一番おもしろいのは仕事です。

奥田 会長にとって“会社”はどんな存在ですか。

 うーん。分身ですかね。

奥田 分身。では息子さんたちは?

 当然分身です。だから、会社が長男ですかね(笑)。

奥田 おお。そうなると三兄弟ということになりますね(笑)。では最後にうかがいます。創業から今までで一番心に残っているうれしかったことは何ですか。

 やはり最初の株式上場ですね。大証ヘラクレスに株式を上場した時、とにかく感激しました。自分の中で一つの区切りに到達できたと。あとは息子たちに「必ず上場する」と言った手前もあったので、約束を守れたことがうれしかったですね。

奥田 どのくらいうれしかったか覚えていますか。

 家内にプロポーズしてOKをもらった時と同じくらいですかね(笑)。

奥田 でき過ぎの答えですねぇ。(笑)。10年後、会長が引退される時、ぜひもう一度インタビューさせてください。今日は本当にありがとうございました。
 

こぼれ話

 ずいぶん文化的な場所の勉強会に招かれたものだ。四谷駅下車。さて、“番町文人通り”はどこにあるのかなぁ。秋分の日が過ぎて朝夕は涼しくなってきたが、昼の陽射しは強い。日陰を探しながらスマホで位置を確認する。近そうだ。少し先に藤田嗣治の住居跡とある。左側に史跡案内板が見えてきた。期待に反して住居はビルになっていた。間もなくして会場であるギャラリーレストラン 『カフェ・アマルフィ』(飯田弥生美術館)にたどり着いた。

 その日の勉強会は「君が代の文化史的考察」である。“君が代とはなんぞや”という深掘りのテーマでもあった。この間、およそ90分は話を聞きながら、林勝さんの『こぼれ話』のストーリーを考え続けていた。今日の講演者は、慶應義塾大学出身の林さんと同窓の人。慶応で思い出すのは相磯秀夫先生の存在だ。藤沢キャンパスの役割、仕掛けについて一緒に歩きながら説明を受けた。実は分からないことが多かったのだが、これから「何かが変わる」と肌で感じた。マイコン、パソコン、インターネットをつくる人たち、売る人たち、使う人たちの層が厚くなり、情報はすべてがデジタル化に向かう。

 情報は時空を超えて蓄積され、そのデータベースは明日を予測する資産となり、明日にはマイコンのチップよりもデータのほうが高い価値となる。林さんは自身のことを「商売上手」という。きっと価値の変遷の読みが早く、事業の衣替えも、こだわりを持たずに素早く決断する人なのだ。(さて原稿の流れはできた)。帰路の電車内でのこと。座っていた私に「奥田さん」と呼びかける声がする。見上げると林さんだった。この偶然には驚いた。林さんは予知能力も備えておられるようだ。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第243回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。