およそ10年前に高須さんが出会った「メイカームーブメント」。誰もが参加できるテクノロジー系のDIY活動だが、その展示会「メイカーフェア」は、世界の約400カ所で開かれている。高須さんは東南アジア地域のメイカーフェアには世界一、足を運んでいる人で世界一その内容に詳しい人だ。中国・深センに軸足を置き、世界をエネルギッシュに飛び回り、ビジネスや情報収集のかたわら本の執筆にも取り組む。そのあり余る熱量に、いささか圧倒されがちな対談となった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.2.6/東京都新宿区のスイッチサイエンス本社にて

1年のうちの6割は世界中を飛び回る

奥田 高須さんは、中国の深センを本拠にしておられますね。

高須 はい、ぼくの場合はちょっと変わっていて、1年のうち4割ほどは深センにいるのですが、残りの6割は本当にいろいろな場所にいます。

奥田 例えば、どんなところに行かれるのですか。

高須 今年に入ってからですと、1月4日までは深セン、5日から13日まではラスベガスのコンシューマーエレクトロニクスショウ、それから一度深センに戻り、18、19日がバンコクのメイカーフェア、その後、香港経由でそのままロンドンのBETT(ブリティッシュ エデュケーション テクノロジーショウ)に行って28日まで滞在し、30日から2月2日までは広島でのイベントに参加するといった具合です。

奥田 まさに東奔西走ですね。ところで、高須さんの本業は何になるのでしょうか。

高須 ビジネス開発です。ぼくたちスイッチサイエンスは、日本で一番多くの電子工作部品を売っていますが、電子工作は日々進化しており、新しい道具や材料がどんどん出てきます。そういう材料や道具を世界中から仕入れるのが私の仕事ですね。

奥田 具体的にはどんなものですか。

高須 たとえば電子工作に使うマイコンボードです。電子工作は、趣味としてはかなり昔からあるもので、かつてアマチュア無線をやっていた人が、最近はロボットを作るようなことが多いですね。IoTのように、ちょっと生活の役に立ちそうなものが最近の流行りです。部品数は約3000種類で、それをセンサーやテスターというように分類すると、およそ20~30カテゴリあります。

奥田 お客さんはどんな人ですか。

高須 一つはアマチュア無線時代からのベテランを含めて、ずっと趣味でやっている人、二つめは高校、高専、大学など技術系の教育関係者と学生さん、三つめは大企業の研究開発部門にいる人です。昼間は会社で研究開発をして、夜は趣味でロボットを作っているという人はいっぱいいます。大学の先生にもそういう方が多いですね。

人文系の読書家がインターネットの専門家に

奥田 ところで、高須さんはどんな学生時代を過ごされたのですか。

高須 人文学部で比較文化を専攻しました。でも、大学時代は山にばかり登っていてあまり勉強しなかったですね。

奥田 コンピューターとの接点は?

高須 大学3年生のときに、初めて自分のコンピューターを買いました。機種はマッキントッシュのパフォーマで、価格がようやく20万円くらいまで下がった頃です。

 もともと私は、なにかしら書くことが好きだったのですが、字がすごく汚かったので、自分が書いたものを人に見せるのが嫌だったんです。でも、ワープロを使えばきれいな字が打てるじゃないですか。

奥田 わかりやすい(笑)。

高須 だから、昔はワープロ専用機がすごく好きでした。ワープロを使い始めたのは中学3年のときで、パソコンに移行していく時代にマッキントッシュを買ったわけです。

奥田 そのワープロで、どんな文章を書いていたのですか。

高須 高校生の頃ですから、本の感想などですね。当時は粋がっていて、難しい本を読むとカッコいいと思っていたんです。

奥田 どんなジャンルの本ですか。

高須 高校の社会科の先生に感化されて、マクルーハンやマイケル・ポラニーなども読みました。

奥田 当時から知的好奇心が強かったのですね。

高須 頭がいいと思われたいという気持ちはありましたね。でも、頭がいいと思われたければ、もっとちゃんと勉強するはずなんですけど(笑)。

奥田 そんな人文系の青年が、どんな道をたどって現在のお仕事にたどり着いたのですか。

高須 1998年3月に大学を卒業して就職したのがメーカー系の広告代理店で、そこでインターネット関係のエンジニアのようなことをやっていました。98年というとインターネットの黎明期で、ネットの専門家なんていませんでしたし、ホームページを持っていない会社の方が多いくらいでした。エンジニアのバックグラウンドはありませんでしたが、コンピューターが好きでしたし、会社で半年くらいいじっているうちに、その会社では私が一番詳しくなっちゃったんです。そんな経緯で、専用のインターネット回線を引いたりサーバーを運用するといったことも全部私の仕事になってしまいました。今の水準ではともかく、黎明期のインターネットはそんな感じでした。

奥田 なるほど、はからずも専門家になってしまったと。

高須 そうですね。この会社で3、4年働いた後は中古車流通の会社で、ECサイトのマネジメントとマーケティングの仕事に携わりました。ここで5、6年仕事をした後、オンラインショッピングサイトやコンテンツマネジメントサイトやコンシューマ向けのシステムなどの受託開発をするソフトハウスに移ります。ここには10年ほど在籍し、現在のスイッチサイエンスに入ったのが2017年、一昨年のことです。

奥田 電子工作の世界に入ったきっかけは何だったのですか。

高須 メイカーフェア東京(以前はMake:Tokyo Meeting)というテクノロジー系DIYの展示会があり、08年に初めて行ってみたのですが、それがきっかけですね。それまでも、機械学習やデザインなどいろいろな勉強会に出ることが好きで見て回っていたのですが、Make:Tokyo Meetingのときに、実際にさわれるものを自作している人がこんなにたくさんいるのだと驚きました。これはめちゃめちゃ面白いと思って、それ以降はまりましたね。

奥田 深センとの縁も、メイカーフェアと絡んでいるのですか。

高須 はい。深センを初めて訪れたのは14年ですが、そのときはまだ前職でインドネシアのジャカルタに勤務していたのです。当時のジャカルタにはあまりエンジニアがおらず、大好きなコンピューターの話ができる相手が全然いなくて、すごくフラストレーションがたまっていたんです。だから、メイカーフェアに早く行きたいと。

奥田 それは、東京のメイカーフェアですか。

高須 いいえ、メイカーフェアは世界400カ所くらいでやっています。このとき、一番近くて、時期も直近のメイカーフェアはどこかと調べたら「おっ、来月、深センで開かれる!」と。それが深センとの出会いで、それ以来、ずっとメイカーフェアにコミットし続けているんです。
(つづく)
 

高須さん翻訳の『ハードウェアハッカー』

 高須さんが1年半をかけて翻訳し、昨年秋に出版した本書。監修者の山形浩生さんはわずか2週間で内容をチェックし修正してくれたそうだ。「原稿が真っ赤になるほど直してくれたんです」と、高須さんはうれしそうに話してくれた。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 
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