新卒で入社し、美術という世界にかかわることになった岸本さん。すばらしい先輩に恵まれ、オイルショックとバブル崩壊という時代の荒波を乗り越えながらも、組織の中ではさまざまなご苦労を経験してこられた。百貨店を定年退職された後、必然ともいえるタイミングで出会った美術館館長の仕事だが、瀬戸内市の人口は3万7000人ほど、美術館は最寄りの駅からでも9kmという悪条件の立地である。予算もなければ知名度もない中で、岸本さんの新たな挑戦が始まった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.1.24/瀬戸内市立美術館にて

画家だけでなく、詩人や書家まで多彩なテーマの展覧会

奥田 今回、岸本さんに取材をお願いすることになったきっかけは、昨年開催された“小林陽介”さんという木彫家の遺作展でした。

岸本 わざわざおいでいただいたのですね。ありがとうございます。

奥田 うかがった甲斐がありました。尋常ならぬ迫力でした。遺作展を開くことになったきっかけは?

岸本 陽介さんと初めてお会いしたのはある受賞パーティーの席上です。岡山県内の美術家のご夫妻が設立された基金で若手を育成するために始められたものです。このパーティーは10年間続き、陽介さんは第3回の時に受賞されました。私はその当時、天満屋に在籍していたのですが、パーティーでお会いした陽介さんに魅了されて、その場で「ぜひ個展をやらせてください」と口説きました。

奥田 いつのことですか。

岸本 2009年ですから、今から10年前ですね。

奥田 小林さんとは初対面だったんですよね。それをいきなり口説かれた。

岸本 もう圧倒的な存在でした。作品もそうでしたが人柄もすばらしい。あんな純粋で澄んだ目は、それまで見たことがありませんでした。私だけでなくあの場に居合わせた全員が魅了されていましたね。

奥田 個展が実現したのはいつでした?

岸本 11年の年末から翌年にかけてです。天満屋ではなく当館での開催、私が館長になった翌年でした。その時は陽介さんの全貌を私自身が早く見たかったので、一部屋だけを使う量の個展でした。木彫だけでなく壁面を使ってのドローイングなども展示しました。

奥田 その後、小林さんが早逝され、昨年の遺作展になったのですね。それにしても、実にいろいろなテーマで展覧会を企画されています。ざっと挙げるだけでも、熊谷守一さん、平山郁夫さん、加山又造さんなどの著名な画家をはじめ、さくらももこさんのデビュー30周年記念や長渕剛さん、そして詩人のまど・みちおさん、金子みすゞさんの展覧会まで。ダウン症の女流書家として有名な金澤翔子さんの書展は二度にわたって開催されています。

岸本 そうですね、ジャンルの幅は広いと思います。

奥田 開館されてから9年。どのくらいの数の展覧会を開催されたのですか。

岸本 9年間で70余りです。

奥田 それはすごい。ほとんど全部岸本さんが企画をされているわけですよね。その豊かな発想はどこからやって来るのでしょう。

岸本 天満屋にいた時のことになりますが、絵を買っていただくためには、単にその絵のことだけではなく、歴史的な背景や変遷などさまざまな知識が必要になります。そのためにずいぶん本を読むようになりましたが、実は50代の数年間、岡山以外の店で修業するという時代がありまして……。その当時、通勤時間が長くなったのを利用して、1週間に1冊ずつ読もう、と。結果的に主に美術ではない様々なジャンルの本200冊を読破したのですが、それが結構効きました。

奥田 今につながるということですね。

岸本 以前から、中原中也のファンでしたので、詩の世界は好きだったのです。まど・みちおさんや金子みすゞさん、書家の井上有一さんを知ったのもその頃です。万物に対する深い愛情や独特の表現に感銘を受けました。お三方とも当館で展覧会を開催し、大きな反響をいただきました。普通の方は美術館で詩をテーマにするのは無理だと思われているかもしれませんが、それは違う。やろうと思えば、結果はついてくるものです。

ものを観る目を養うにはとにかく現物に接すること

奥田 既成概念にとらわれないということでしょうか。

岸本 そうです。それと、そうせざるを得ない事情もありまして(笑)。

奥田 というと?

岸本 予算がないのです。瀬戸内市の人口は3万7000人ほど。小さな市です。そして当館へは最寄りの駅から9kmも離れています。

奥田 確かに。正直に言うと、最初うかがった時は、本当に美術館があるのかなと不安になりました(笑)。

岸本 でしょう(笑)。ご来館いただくのに時間もお金もかかります。以前、岡山の駅に直結する美術館での同じような展覧会と比べると、当館への来場者数はその4分の1でした。

奥田 ハンデがありますね。

岸本 ですから、とにかくオリジナルカラーを打ち出さないといけません。そのためには頭を使う。例えば19年には八つほど展覧会を予定していますが、お金をかけるのはそのうちの三つです。

奥田 え!? じゃあ、ほかの五つは?

岸本 経費ゼロです。もちろん、ポスターなど制作する多少の経費はありますが。ゼロでできることはなにか、ということを常に考えています。ちなみに、昨年の小林陽介遺作展の経費は20万円です。

奥田 ええっ!? 

岸本 だって本当にお金がないんですから(笑)。経費は作品を運搬する物流費だけです。作品を貸していただいたところも何件かありますが、そこは手土産のまんじゅうで我慢していただいて。頭を下げる回数は、誰にも負けません(笑)。

奥田 驚きです。

岸本 もっとも、それだけではなく、展示自体のクオリティを高めているのはもちろんです。陳列やスポットの当て方など、どこにも負けないようなディスプレイを心掛けています。とにかく、来館していただいた方々に何らかの感動を与えなければ、二度と来てもらえませんから。私の背後に、この美術館を作ってくれた人々の熱意があると思うと、手を抜くことはできません。

奥田 シビアですが、それが現実ですよね。ところで、岸本さんに教えてほしいことがあります。「モノを観る目」というのは、どうやって養われるのでしょうか。

岸本 これは天満屋時代、木口先輩から教わったんですが、絵を観るにあたっては、本を読んで知識を得るのは必要条件ではあるけれど、十分条件ではないと。モノを観るというのは、LOOKではなく、 UNDERSTAND。観るのではなく、理解するということですね。目を養うには、実際に接して観ないとダメだと。

奥田 観ていれば、分かってくるものですか。

岸本 いやいや、最初は観ても何も分かりません。でも、何かを一つ詰めて観ると分かってくることがあります。

奥田 どういうことでしょう。

岸本 例えば、フェルメールの作品に「真珠の耳飾りの少女」という有名な絵があります。以前、神戸で展示会があった時に私が観に行ったのは、少女が巻いている青いターバンの色でした。当時の青はラピスラズリという宝石を粉にしたものを使っているのですが、画集によってその青が全部違う。で、本物の色はどれなんだと。それだけを観に行ったわけです。

奥田 なるほど。そう教えられると分かりやすいです。最後に、岸本さんがこれから取り組みたいことを教えてください。

岸本 美術が生み出す感動を提供することが自分のやりたいことでもあるし、また使命なのかなと思っています。当館で出会った本当に感動を与えてくれた作家さんたちを全国各地でいろいろな形で紹介していきたいし、今もそしてこれからも、やりたいことは山のようにあります。

奥田 感動の伝道師ですね。

岸本 一人でも多くの方に感動を与えたい。ただそれだけです。

奥田 いやあ、本当にすごい方です。お話をうかがえてよかった。今日はありがとうございました。

こぼれ話
 どんなことを考えたら、こんな木彫が彫れるのだろうか。幾度見ても吸い込まれてしまう。やはり異様な輝きを放っている。小林陽介の遺作「空ニウカブ顔(平櫛田中像)」だ。当の平櫛田中も彫刻家で、ずっしり重みのある彫り物を遺した。最初に出会った時は作品にも気を引かれたが、名前の読み方が分からなかったので印象に残っている。「ひらぐし でんちゅう」と読む。

 小林陽介と平櫛田中は109歳の年齢差だ。時を超えて陽介は幾度、平櫛の作品を見たのだろうか。幾度考えたのだろうか。どれほどの時間を考え続けたのだろうか。思えば思うほど、陽介に会いたい。心のひだに分け入ってみたい――と思うのだが、出会えたのは陽介が36歳で早逝しておよそ1年後の遺作展だ。その遺作展も異様な輝きを放っていた。これほどの遺作展はどんな人が企画したのだろうか。その人が今回の『千人回峰』に登場してもらった岸本員臣さんである。

 瀬戸内市立美術館はどこにあるのか。JR岡山駅から支線に入る。バスに乗り換える。長閑な風景の中を縫ってバスは走る。ほんとうにたどり着けるのかしら、と思わずつぶやく。岸本館長を通して小林陽介に会った。「彼は目が澄んでいた。こんなに澄んだ目の人には初めて出会いました。その目に魅了されました」と。小林はその後平櫛田中像を超える作品は、作れなかった。すべての力を出し切る、ということができるのだろうか。早逝するとはそういうことなのか。異様な輝きはやはり尋常ではない。人にはいろいろな役割がある。そう思った…。  
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 
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