神野哲州さんが30代目の住職を務める島田地蔵寺は、名古屋市天白区の島田交差点近くに立地している。今春、この交差点角のスペースに「地蔵寺メモリアルパーク」が完成する。同寺の墓地の出入口に直結する樹木の小公園で、昨年逝去したメルコホールディングス創業者の牧誠氏が、郷里に対する強い思いからここに公園を設けることを提言し、土地を提供したものだ。神野住職は、牧さんを追慕するとともに、地域の方々の憩いの場所にもなればと考えているそうだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.9.26/愛知県名古屋市の島田地蔵寺にて

相手から反応があることが何よりもうれしい

奥田 このお寺を継ぐまで、神野さんはどのような人生を歩まれたのですか。

神野 この寺は曹洞宗ですから、高校を出た後は駒澤大学に進みました。卒業後は、この島田地蔵寺の本山が福井の永平寺と横浜の總持寺ということもあって、永平寺で修行したのです。

奥田 永平寺で修行される方は多いのですか。

神野 この辺りでは多いですね。

奥田 永平寺では何年くらい修行されたのですか。

神野 私は短くて1年ほどです。その後、駒澤大学に戻り、結局、学生時代を含めて10年ほど東京で過ごしました。

奥田 それは僧職としてですか。

神野 そうですね。駒澤大学の仏教学部を出た学生はお坊さんになるのが当然みたいなところがあって、私は曹洞宗の給費生制度を利用して、しばらく東京で勉強していたのです。

奥田 どんな学生時代を過ごされたのですか。

神野 当時は学生運動が盛んで、ヘルメットをかぶってデモに行ったりしましたね。あとは寮生活やクラブでけっこう忙しい学生生活を送っていました。

奥田 なるほど、70年安保の頃ですものね。クラブでは、どんな活動をしておられたのですか。

神野 私は児童教育部という文化系クラブに入っていました。とても伝統のあるクラブで先輩も多く、毎週日曜日は丸一日、その活動で子どもたちと遊んでいた感じですね。

奥田 こちらに戻られたのはいつ頃ですか。

神野 28歳のときです。

奥田 戻ってからは、どんなことをしておられました?

神野 毎日お経を読むのはもちろんですが、当時の住職である父親の仕事が忙しくなっていたので、その手伝いをしたりと、いろいろやっていましたね。

 パソコンは下手の横好きですが、お坊さんの青年会のような活動にも力を入れました。曹洞宗の会は全国曹洞宗青年会というのですが、そこの会長を務めたときに、仏教の各宗派が集まる全日本仏教青年会の理事長も務めました。

奥田 お寺の隣で保育園もやってらっしゃいますね。

神野 私や幼馴染みの牧誠君が出た保育園ですが、こちらの理事長も務めています。こちらにも日本仏教保育協会という全国組織があるのですが、1000以上のお寺が加盟しているんです。

奥田 保育に強い思いを持っておられるのですね。学生時代も児童教育部ですし。

神野 そうですね。いままで40年間ずっと、毎週、「日曜会」という子どもさん向けの「お経の会」を開いています。日
曜日の朝8時から9時までの1時間、お経を読んで法話を行うんです。以前は100人以上のお子さんが集まっていましたが、最近は少子化の影響で40~50人の大人が集まる会になっています。

奥田 法話をされるのは、お得意なのですか。

神野 話をして、相手から反応があるというのは、うれしいじゃないですか。それから、もう10年以上、「こころの絆創膏」という名古屋市のホームページに載っている電話相談もやっているんです。

奥田 「こころの絆創膏」ですか。うまいこと言うなぁ。でも、かなり深刻な相談が多いのではないですか。

神野 法務省の人権擁護委員をやっていた関係で依頼されたのですが、死にたいという人も含め、いろいろな人が相談の電話をかけてきますね。昔は、3月、4月頃が圧倒的に多かったのですが、いまは季節を問わずという感じになってきてしまいました。

髪の毛が美しくなる毛替地蔵伝説の地

奥田 お坊さんの一日というのは、どのような形になっているのですか。

神野 ほとんど毎日変わりませんが、法事がある土曜・日曜は比較的忙しいですね。

奥田 朝は何時くらいに起きられますか。

神野 私の場合は、だいたい5時ですね。

奥田 それは、曹洞宗で決まっているのですか。

神野 いや、決まっていません。何時に起きても何時に寝ても自由です。

奥田 起床後のスケジュールは?

神野 起きたら、まず戸を開けて、お経を40分ほど読みます。

奥田 朝、読むお経は決まっているのですか。

神野 だいたい決まっています。ちゃんと読むと40分かかりますが、状況によっては15分くらいで済ませることもあります。

奥田 そういう形でも構わないのですか。

神野 それぞれの住職の感覚でやっていますから、それは自由です。短いからいけないということはないですね。6時半になると保育園の職員さんたちが出勤してきますので、6時には保育園の鍵を開けるようにしています。

 普通のお寺では、午前中は檀家さんの月参りに行くのですが、この島田地域には月参りがありません。昔は、この一帯(現在の名古屋市天白区島田)は農村で、昼間、家に行っても誰もいなかったからです。月参りがあるのは、大須などの商人の町だけでした。

奥田 なるほど、昼間は田んぼや畑に出ているから、誰もいないと。

神野 そうした事情もあって、私の場合は、午前中は保育園の事務をやって、昼からはお寺の様子を見ながら、日によってはお葬式などに対応する形ですね。

奥田 ところで、こちらの地蔵寺には面白い伝説があるそうですね。

神野 毛替(けがえ)地蔵という話で、昔、この辺りにいた熊坂長範という大泥棒が金持ちの馬を盗んだものの、それを市場で売ろうとしても怪しまれて売れない。そこでお地蔵さんに馬が売れるよう一心に祈ると、一夜にして馬の毛色が変わり、怪しまれることなく売ることができた。これに恩義を感じた長範は、そのお金を貧しい人に分け与えたというお話です。

奥田 泥棒へのご利益とは面白いですね。お金持ちから盗んで、貧しい人々に分配したと。それで、現世の人間へのご利益はあるのですか。

神野 髪の毛がきれいになるというご利益です。私が子どもの頃は、芸者さんがたくさんお参りにきていましたね。

奥田 髪の毛がきれいになるだけでなく、生えるようになる伝説だともっとよかったのに(笑)。
 

こぼれ話

 ありがたいことに神野住職から『島田地蔵寺同行勤行聖典』というお経の本をいただいた。発行所は島田地蔵寺。平成二十八年正月 第五版とあるから、長い年月を経て多くの方の心の形成に役立っているに違いない。表紙を開くと、「わたしたちの宗旨は」で始まる。宗名は曹洞宗(禅宗)。福井県の永平寺、横浜市鶴見区の總持寺が大本山で、800年ほど前の鎌倉時代に道元禅師が開宗した。島田地蔵寺ができたのは1442年で、メルコの創業者・牧誠さんの先祖が創建に関わったという。牧家のルーツは当時に遡るわけだ。

 この話は牧さんのお通夜に参列した折、読経を終えた導師が故牧誠さんとの思い出話を語った中で知った。椅子から立ち上がり僧衣を整えて「私と故人とは幼稚園からの同級生で…」。幼馴染みを亡くした寂しさのせいなのだろうか。僧衣を脱いだときの話のように伝わってきた。この勤行聖典には般若心経もあるが、修証義(曹洞宗の教書)という5章からなる「人の存在、人の役割、人の生き方」を説く法話も掲載されている。牧さんも輪読していたという。輪読ではお経や法話を読み上げるので、いつの間にかことばが言霊となって心に染み込んでくる。
 

 島田地蔵寺は名古屋市天白区島田3丁目にある。隣には島田神社が建つ。この一帯はその昔から島田村といい、斯波高経(しばたかつね)の命で牧家が島田城を築城したという。島田の名は現在では全国区になっている。スーパーの商品棚に並ぶ“うどんのシマダヤ”。あの製麺大手のシマダヤの創業者は故牧誠さんの実の親で、親御さんは島田村を後にして戦後に東京で事業を拡大し、回りまわって養子に出した実の子が創業したメルコグループの傘下に入る。1442年の島田地蔵寺の創建から2018年のメルコグループの統合まで、ざっと600年の間に、どれほどのドラマが繰り広げられてきたのであろうか。600年先の島田村を想像しながら、このコラムを締めよう。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
 主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 
  • 1