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神様のおそばにそっと控えていること、それが宮司の仕事です――第231回目(下)

千人回峰(対談連載)

2019/04/05 00:00

西本和俊

西本和俊

播磨国総社 射楯兵主神社 宮司

構成・文/浅井美江
撮影/掛川マサヤ

週刊BCN 2019年4月8日付 vol.1771掲載

 神職と教師、二足のわらじを34年間履き続けた西本宮司は、53歳の時「解離性大動脈瘤症」に襲われた。生存率が極めて低いとされるその大病を宮司は克服されて現在に至るが、闘病中は幾度も死の淵に立たされた。その時、自分の命がなくなるという恐怖とともに強く思ったのは、人の役に立てなくなる悲しさだったという。そして、こうも思ったそうだ。「宮司として神様の近くを掃除したい。神様にお供えをしたい。神様とともに毎日を過ごしたい」。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.1.24/播磨国総社 射楯兵主神社にて

瀕死の病に襲われたのは母の葬儀の前日だった

奥田 西本宮司はかつて大病をされたそうですが、病名は?

西本 解離性大動脈瘤症。石原裕次郎さんがかかった病気です。発症した時点で3分の1が亡くなり、病院へたどりつくまでに3分の1が、そして病院で手術をしてもらう前に3分の1が亡くなるとされている病気です。

奥田 そうすると命が長らえる人は残り10%……。

西本 その10%のうち、手術をしてもらった時点で3分の1が亡くなり、手術が成功しても3年以内にまた亡くなる率が極めて高い。僕のように手術をしてから、16年も生きていられるというのはとても珍しいんだそうです。

奥田 おいくつの時ですか。

西本 2002年、53歳でした。

奥田 どういう状況で発症されたんですか。

西本 母の葬儀の前日です。その2日前に母が脳幹出血で倒れて救急搬送したのですが、手当の甲斐なくみまかりました。母の死からあわただしく自宅に戻り、葬儀の打ち合わせをして、母の遺影を探していた時でした。夜の9時頃でしたか。妻に呼ばれて立とうとしたらその場で。

奥田 立てなくなった……。

西本 ものすごい痛みでした。そのまま救急車で運ばれて救急ICUで緊急治療即入院になりました。

奥田 お母様のご葬儀の前の日ですよね。ということは、ご葬儀は喪主がいないまま……。

西本 そうです。僕はICUにいましたから。

奥田 西本さんも大変でしたけど、皆さんが大変でしたね。

西本 本当にそう思います。一時はお葬式が二つになりそうでしたから。でもおかげさまでこうして今、ここにいます。

奥田 どのくらい入院されていたんですか。

西本 一度退院はしたんですが、瘤が大きくなって手術のために再入院。結局約半年ほど入院していました。

奥田 死も意識された。

西本 しました。最初発症して病院に運ばれた時もそうでしたし、術後に空気中に含まれている雑菌が体内に入った恐れがあるとのことで、抗生物質の点滴を24時間打ち続けた時もそうでした。

奥田 ご病気の前と後で変わったと思われることはありますか。

西本 (しばらく考えて)変わりましたね。ものごとのとらえ方が変わりました。病気になる前は可としていたものが不可になったり、またその逆もあったり。

奥田 ほかにはどうでしょう。

西本 人間が幸せな時というのは、満たされて満足な時だけだと思っていたんですが、そうではないと。「あれが食べたい」「これがしたい」と、“不足”を考えている時も幸せなんだと思うようになりました。

奥田 考えが変わったのは何に影響を受けていると思われますか。読んだ本なのか、見舞いにいらした誰かなのか、それとも自分の中から芽生えたものなのか。

西本 本は相当読みましたが、うーん。どうでしょう。分かりませんねえ……。そうそう、分からないと言えば、以前は「分からない」ことを放置するのがとてもいやで、突き詰めていたところがありました。分からない自分を責めてつらくなったりもしていたんですが、それが「まあいいか。分からないということもあるな」と思うようになりました。

奥田 ちなみに、どんな本を読まれたんですか。

西本 全部を紹介すると長くなるので一部になりますが、『神道 見えないものの力』『神道 <いのち>を伝える』葉室頼昭、『マキャヴェッリ語録』塩野七生、『孔子』井上靖、『ノルウェイの森 上・下』村上春樹などです。

教誨師になって分かった教え子たちの幼さ

奥田 話は少し変わりますが、現在、教誨師をやっておいでですよね。

西本 はい。神社本庁駐在教誨師と兵庫県神社庁宗教教誨師を。ほぼ同時に依頼書をいただいて2006年から務めています。神職としての教誨師は兵庫県神社庁では8人め。当時は現役の教師でもあったのですが、教師をしながらの教誨師は僕が初めてだったそうです。

奥田 教誨師というのはご存じだったんですか。

西本 いや、知りませんでした。

奥田 どんなことをするんですか。

西本 塀の中にいる人たちのいろいろな悩み事を聞いたり、宗教について分からないことがあったりした時に、宗教的な見地からサポートに入るというのが仕事の一つです。

奥田 話の内容は?

西本 他愛のないことが多いですね。「神様はいるんですか」とか「日本全国にお宮さんはどれだけありますか」とか。

奥田 そんな話をどこでされるんですか。

西本 僕が担当しているのは姫路少年刑務所。基本的には月1回の割で行きます。僕のところは個人応接で、相手は同じだったり違ったり。最初すごくビックリしたんですが、彼らはものすごく僕の話を聞いてくれます。

奥田 え!? 素直に聞いてくれるのですか。

西本 そうです。聞きたいと思う心は確かにあるかもしれませんが、それだけではないんです。例えば、僕と応接している間は作業をしなくてもいいとかね。いろいろです。そうしてみると僕が教えていた高等学校の生徒たちは、なんと頓着のない子どもなんだと。

奥田 なるほど、そう見えるようになった。

西本 そう、本当に幼い。言うことは全然聞きませんけど、聞かなくてすんでいること自体、ある意味子どもでいられる、幸せなことなんだと。刑務所にいる子どもたちと話していると、実にいろんなことを抱えている。まもなく出所するという人に嫉妬して、少しでも出所を遅らせようという話が起こることもあるんだそうです。

奥田 ふーむ。

西本 教誨師には、もう一つ役割があります。死刑の求刑を受けた人の最期を看取るという仕事。僕はまだ経験していませんが、教誨師を引き受けた限りはその覚悟が必要です。

奥田 でも少年刑務所だと死刑はないですよね。

西本 そうですね。ただ、そこで会った人が先々大きな罪を犯して死刑ということになった時、「西本さんに最期を看てもらいたい」となったら、僕が行かなければなりません。

奥田 そうした覚悟を持って教誨師を務めていらっしゃると……。なかなか聞けないお話ですね。そういえば、もう長い付き合いですね。大学時代の部活からですからね。最後に宮司から何かおっしゃりたいことがあれば。

西本 僕は人生で辞めなかったことが三つあります。一つは嫁さんと結婚して別れなかったこと、一つは学校勤務を最後まで務めたこと。これは定年までではありませんでしたが。

奥田 最後の一つは?

西本 嫌いだと思っていた神主を今も続けていることです。

奥田 え!? 神主はお嫌いだったんですか。

西本 僕は神主の子ですから、神主にはなりたくないと思っていました。ついでながら、実は教師にもなるまいと若い時分は思っていました(笑)。

奥田 それが結局、神主と教師の両方に。

西本 嫌だと思っていた両方の仕事に就いて長く続けて、それを幸せと思い楽しんでいる。そして、そんな自分が好きだということが、まあ実に不思議なことだなあと思っています。

奥田 神様のおかげということでしょうか。興味深いお話をありがとうございました。

こぼれ話

 西本和俊さんは長い教員生活に終止符を打って、姫路市内の射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)の宮司に就任。いま流にいえば再就職にあたる。神社には歴史的な格があって、この神社は播磨国総社だから一目置かれる存在である。かつて黒田官兵衛が旗揚げする時に祈願したという。それほどに重要な役割を担う神社の一つだ。

 西本さんと私は10代からのつき合いだ。私が大学3年生の時に新入生といった関係で、漢詩を吟ずる吟道部という部活の先輩・後輩の間柄。かれこれ50年のつき合いだ。付かず離れずの関係で、時折会ったり、人づてに活躍ぶりを聞いてうなずいたり驚いたりしていた。教員生活の流れで校長就任の話ならば「頑張ったな」で、納得する出世話だ。ところが、いくら実家の神社の神主を兼務しているとはいっても、射楯兵主神社の宮司就任と伝え聞いて、「何があったのだろうか」といぶかるような驚きを覚えた。大学のOB会報で人事の記事を読んで、何か大きなお役を期待されたのであろうと推察した。と当時に、彼と過ごした伊勢の青春時代を振り返ったりしたものだった。

 大病は人の生き方を変えるきっかけになるとは聞いているが、西本さんは自らの体験に基づいてそれを語る。「生かされています」「生かされているんですよ」といった言葉を会話の中で頻繁に使う。青春時代とは別の西本さんがそこにいる。神職の友人たちと触れ合っていて思うのは、他の宗教人に比べて宗教くさくない人が多い、ということだ。西本さんもその一人だった。しかし大病を潜り抜けて以降、別人になった。母親の葬儀の準備をしていた時に大動脈解離を発症して救急車で病院へ担ぎ込まれ、死の淵を半年間さまよった。「退院して自宅に帰り、改めて母にお別れしました」。深刻な話を明るい口調で語る。彼は、生きることの意味を何回考えたのだろうか。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
 主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

Profile

西本和俊

(にしもと かずとし)
 1949年6月生まれ。皇學館大学文学部国文科卒。神職身分・浄階一級。73年から実家がお守りする中臣印達神社禰宜を務めつつ、翌年より東洋大学付属姫路高等学校国語科教諭に就任。平日は教諭として、週末と祝日は神職として精勤。2008年4月より播磨国総社 射楯兵主神社宮司。13年には、兵庫県無形重要文化財に指定されている20年に1度の大祭「三ツ山大祭礼」を宮司として斎行する。06年からは神社本庁駐在教誨師と並行して兵庫県神社庁8人目の宗教教誨師を委嘱されている。