取材当日は見事な秋晴れだった。押上の駅を降り、迫りくるようなスカイツリーの威容に圧倒されつつ八島さんの会社を目指す。ネットで確認した住所に到着したが、会社が見つからない。ふと見ると、あるビルの前に子供用の青いサンダルがぽつんと片方ぶら下がっている。引き寄せられるように近づくと、サンダルとは逆側の引き戸に小さく「株式会社うちゅう」の文字を発見。何やら面白くなりそうな予感がムクムクと沸いてきた。 (本紙主幹・奥田喜久男)

2019.9.25/SEKAI CAFE 押上店にて

宇宙との出会いはスペースシャトルのノズルスカート

<近隣のカフェでインタビューを開始>

奥田 先ほどお邪魔したのが、株式会社うちゅうの社屋ですか。

八島 そうです。木造?3階建てで、1階と2階は「Chance For All」という会社が運営する学童保育のスペース。うちは3階です。

奥田 3階の奥に寝泊まりしておられる。

八島 いえ。僕は学生時代からの住まいがあるので、そこから通っています。

奥田 通勤は毎日ですか。

八島 会社にやって来るのは週に1日か2日くらいです。来ない日は外で打ち合わせをしたり、仕事先を訪ねたりしています。

奥田 会社の事業について教えていただけますか。

八島 宇宙に関する教育の企画や開発、コンサルティングを手がけています。子どもを対象としてモデルロケットや天体望遠鏡を作成する教室も開催しています。

奥田 八島さんの役割は?

八島 代表取締役社長で、事業計画から会社の運営まで担当しています。

奥田 では、八島さんご自身についてお聞きします。お生まれはどちらですか。

八島 三重県の桑名です。小中高と地元で過ごして、東京工業大学に入学しました。

奥田 東工大を選んだ理由は?

八島 志望は理系で、東工大を選んだ理由は二つあります。一つは、母が「いい大学に行っておけば、学歴云々を問われなくなるから、あとあと選択肢が広がる」と言っていたこと。

奥田 なるほど。分かりやすい。

八島 僕も得心して調べたら、当時理系の単科大学で一番優れていたのが東工大だったんです。もう一つの理由は地元から出たかったこと。

奥田 そこ、聞きたいですねえ(笑)

八島 なんというか、しがらみが多くて。

奥田 高校生ですよね。18歳のしがらみって何ですか。

八島 僕、小中時代が人とかなり違っていたんです。授業を普通に受けていなかったというか。

奥田 不登校ということですか。

八島 いや、学校には行っていたんですが、みんなが勉強しているときに、授業と全然関係ない分厚い大人向けのファンタジーを読んでいたり、飼育小屋でうさぎの面倒を見ていたり。あと、上履きを履くのがいやで裸足で走り回っていたり……(笑)

奥田 相当個性的だったんですね。そのあたりのことがしがらみに関係してくるんですか。

八島 地元だと、高校生になっても小学校の頃のことを持ち出されて「あいつ、やばい」とか言われるんです。小学校を出てからずいぶん時間が経っているのに、今さらそんなことを言われたって……。そういうのがちょっと面倒でした。

奥田 それで上京された。東工大の学部は?

八島 工学部です。学科は機械宇宙学科。

奥田 そこですでに宇宙が出てきますね。宇宙への関心はその頃からですか。

八島 いえ、小学校の高学年からですね。スペースシャトルのノズルスカートに魅せられました。

奥田 ノズルスカート?

八島 ロケットの下についているスカートみたいな形をした機械なんですが、あれを見て「わあ、かっこいい!」と思って。

奥田 かっこいいんだ……。

八島 いいんです。テクノロジーのかたまりで、これは「すごい!」と。

奥田 宇宙に飛んでいくための技術が、ノズルスカートに凝縮されて詰まっている、と。

八島 その通りです。とにかく魅了されて、卒業文集には宇宙飛行士になると書いていました。

奥田 そこから八島さんの宇宙が始まったんですね。

「君は大企業には向いてない」その忠告に思わず納得

奥田 八島さんはノズルスカートがきっかけで宇宙に興味を抱くようになり、桑名の進学校から東工大に入った。おおまかにはエリートですね。それがなぜ、今のようなよく分からない道に(笑)

八島 よく分からない道(笑)。うーん。東工大に入った時は三菱重工に行きたかったんです。それで大学2年生のときに、実家の近所で三菱重工に勤務している人に話を聞きにいったんです。

奥田 就活前のリサーチということですね。

八島 「何をやりたいの?」と聞かれて、考えていることをあれこれ話したら「君は三菱重工には向いていない。来ないほうがいいよ」と。

奥田 って、言われたんだ。どんな話をしたのですか。

八島 細かいところはあまり覚えていないんですが、その頃、大学ですでに宇宙関係のサークルの代表をやっていたので、ロケットを作って、それを使って新しいことをあれこれやりたいとか話したんだと思います。

奥田 それを聞いて、君には向いてないと。

八島 はい。その方曰く「三菱重工はロケットを作る会社であって、ロケットで何をするかという会社ではない。八島くんのようなタイプは入社しても片身が狭いし、やりにくいんじゃないか」って。

奥田 聞いてどう思われましたか。

八島 「なるほど」でした。確かにそうかな、と。自分がやりたいことや性格からいって、大企業じゃなくて中小企業もありかもしれない、と考えるようになりました。

奥田 今の会社とのご縁は?

八島 修士1年生のときに、ロケットの打ち上げがきっかけでうちの創業者と知り合い、社長をやってくれと言われて引き受けました。

奥田 自分で起業しようとは思わなかったんですか。

八島 選択肢としては考えていました。ただ、社長にと言われたときは修士1年生。そのタイミングで起業できるかとなると、研究やサークル運営に忙殺されているなかで、それは無理だろうと。それより、今すでにあるものを使ったほうが僕としては楽だったということですね。

奥田 そのことは後でもう一度うかがうとして、代表をされていたという大学のサークルの活動についてもう少し教えてください。

八島 主な活動はロケットの製作と打ち上げです。年3回、3月、8月、11月に実施していました。

奥田 結構なペースですね。打ち上げるのはどこで?

八島 3月と11月は伊豆大島。噴火で真っ黒になった裏砂漠と呼ばれる場所です。8月は秋田県の能代市。男鹿半島のちょっと上のあたりですね。

奥田 東工大のほかに参加している大学は?

八島 秋田大、東北大、名古屋大、東京農工大、九州大、高知工科大などですね。一応競技会の形は取っていますが、大学間の競争ではなく、各校それぞれが自分たちの課題に沿ってロケットを作って打ち上げて仮説を検証していくというものです。

奥田 八島さんはそのサークル以外にも代表を務めていましたよね。

八島 大学宇宙工学コンソーシアム(UNISEC)です。「宇宙を本気で志す」大学・高専の活動をサポートするNPO法人で、2003年に認可されています。現在は50の大学・高専から70の団体が参加していて、学生の会員は800人超。僕は16年度の学生代表で、ロケットの実験運営をしていました。

奥田 なるほど。もうその頃から大きな組織のマネジメントをされていたのですね。(つづく)

大学受験のときに使っていた参考書

 読み物としても面白く、「高校の内容と大学の内容の橋渡しもできるような一冊でした」と八島さん。分子や原子の動きなどが好きだったため、高校の範囲ではない部分についても先生に質問していたとか。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第247回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。