中国の人と接するたびに思うのが、家族の絆の強さだ。日本人のそれとは比べものにならないほど家族や親戚を大事にする。中国の長い歴史の中で、王朝が替わるたびに庶民の生活も激変することから、唯一信用できる血縁者との絆が深いのだと馮さんは教えてくれた。馮さんは上海の人だが、祖父母は寧波から上海への移民なのだそうだ。それもまた戦乱から逃れるためだったという。「おじいちゃんは上海への移民一代目、私は日本への移民一代目。だから私も頑張らなくては」と馮さんは語る。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.8.28/東京都港区のキングソフト本社にて

勉強に明け暮れた少女時代日本に先進国のイメージを抱く

奥田 馮さんが日本に関心を持ったきっかけは何ですか。

 上海の高校生のときから、日本のドラマが好きでした。当時「東京ラブストーリー」といったドラマが中国でヒットしていたんですよ。

奥田 フジテレビが放映したドラマですね。日本では、月曜日の夜9時は街から女性たちが消えたと言われるほどのブームとなったものです。

 それと、私が通っていた高校には、将来、海外で活躍するために勉強している人がたくさんいたことも刺激になりました。私も海外に行くことを思い描いていて、高校時代からどこの国に行くかを考えていたんです。当時、選択肢として私が考えていたのは、米国、ドイツ、日本の三つの国でした。

奥田 進まれたのは中国の大学ですか。

 はい。第一志望の上海交通大学で機械工学を専攻しました。

奥田 一流大学ですね。

 中高一貫の進学校だったので、多くの同級生はレベルの高い大学に進みます。学校は全寮制だから、12歳から親元を離れ、家に帰れるのは週末だけ。二段ベッドが4台ある8人部屋で24時間ルームメイトと一緒に過ごす生活でした。

奥田 じゃ、中学から勉強、勉強……。

 確かに奥田さんがおっしゃる通り、その頃は趣味が勉強でしたね(笑)。理系の勉強が好きだったので機械工学を専攻したのですが、外国に行く場合、ロボットや自動車関連の産業が発達しているドイツや日本に行く人が多いのです。そのため、大学に入ってからドイツ語を勉強するか日本語を勉強するかを考えました。

奥田 日本を選んだ決め手は?

 日本は中国に近く、同じアジア人であること。それから、お話ししたように日本のドラマや文化が好きだったこともあります。当時、私は少女でしたから、服装がおしゃれだとか生活環境がきれいだとかといったことに憧れていて、日本にはいろいろな面で先進国のイメージがありました。だから大学卒業後は、日本の大学院に進もうと考えていました。

奥田 先進国ということでは、米国でもフランスでも同じではないのですか。

 ちょっと違います。米国やフランスはスケールは大きいのですが、大雑把なところが多いのです。それに対して、日本には極める部分があるんですね。

奥田 日本のほうが繊細だと。

 はい、やはり同じアジアの民族ですから、日本の繊細な部分が好きなのです。米国やヨーロッパにはないところですね。

奥田 馮さん自身が繊細なんですね。失礼ながら、中国の方では珍しいタイプではないですか。

 出身地の上海の文化は日本に近く、上海人はけっこう細かいところにこだわります。品格を重んじ、デザインや考え方も洗練されているところに、日本との共通点があると感じます。

結婚・出産を経てから自身のキャリア形成に挑む

奥田 それで、日本の大学院に進もうと……。

 大学4年生のときに日本語検定1級に合格したので、卒業後、日本で修士号をとろうと思っていたのですが、ラッキーなことに上海でインターンシップをしていたのが日系の会社でした。その会社に評価され、日本で仕事をしないかと誘われたのです。

奥田 どんな会社ですか。

 日本人向けに中国の情報を提供するポータルウェブサイトの会社です。

奥田 ウェブ系だと、機械工学とは少し違いますね。機械工学からITの世界に代って、違和感はありませんでしたか。

 特にありませんでした。機械工学といっても実際の勉強の内容はロジカルなことが多く、ベースは共通しています。C言語とかプログラミングの基礎も勉強していましたし、仕事と比べて大学の勉強のほうがはるかに難しかったのです。仕事のほうがちょっと楽でしたね(笑)。

奥田 インターンシップをしたのは、何年頃ですか。

 2000年です。

奥田 2000年だと、もうウェブ業界は立ち上がっていますね。

 中国ではこの業界が成長し始めた頃で、私はその会社でホームページの制作やデザイン、コンテンツの取材まで経験しました。主に日本人向けのサイトだったのですが、そこで学んで、その後はシステムのバックエンドの開発にも興味があったので、SEとして日本のシステム開発会社に正式就職しました。

奥田 06年にキングソフトに入社されますが、その前に結婚されているんですね。

 私は仕事が好きで、常にナンバーワンを目指す性格です。当時は組織のトップになるという夢があり、自分で起業するか会社で出世するかという、二つの道があると考えていました。

 その一方で、女性にとって結婚・出産は人生の大きなイベントです。それを早めにして、次は長いスパンで仕事を頑張れば、起業しても、どこの組織に入っても、上に行けると信じていました。それで、当時、日本人の彼氏がいたので早めに結婚し、出産したのです。そのため、キングソフト入社前の3年間は、家でSEの仕事をしていたとはいえ、ほぼ専業主婦でした。

奥田 すごい!その人生設計どおり、組織のトップになられましたね。

 思いついたらすぐ行動するという私の性格に関係があると思います。自分はまだ若く、両親にも育児を手伝ってもらえた時期でした。

奥田 それは上海のご両親?

 東京にいる夫の両親です。実は義理の父と母と同居していたんです。日本人の嫁として。

奥田 ほう!うまくやれましたか。

 うまくやれたと思います。そこで、日本人の考え方がよく理解できました。伝統的な日本人家族と生活した経験は、私にとって貴重なものでしたね。

奥田 日本人の生活そのものを経験したわけですね。

 そうですね。「こういう場合は、日本人はそういうことを口にしないんだよ」とか「それは中国人の考え方で、日本人はそういうふうに考えないよ」というように教えてもらいました。その経験は人生や仕事に役立っています。今でもとても感謝しているのです。(つづく)
 

大切な高校のルームメイトと12年間使い続けている名刺入れ

 上の写真は、高校の卒業式の直後に仲良しのルームメイトたちと撮影したもの。18歳の馮さんは左から4番目、先生の隣だ。そして下の写真は、12年前、エンジニアから製品マネージャー職に転身した際、商談の場で自信を持つために購入したボッテガベネタの名刺入れ。馮さんはこれを見るたびに、20代の向上心あふれる自分の姿を思い出すという。
 
 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第245回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。