仙波さんと話していると、「ご縁をいただく」とか「ご縁のおかげで」というフレーズがしばしば飛び出す。とても穏やかな表情であくまで謙虚に語る仙波さんだが、子どもの頃からお父様に言われ続けてきたのは「筋を通せ」ということだったという。仙波さんにとって筋を通すとは、人を大切にし、ご縁を大切にするという自分の信念を曲げないということなのだ。「でも、人に言えないようなやんちゃな時期もあったんですよ」と話してくれた。その武勇伝は、次の機会にうかがうことにしよう。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.4.10/BCN22世紀アカデミールームにて

自社だけでなく地元企業全体でスクラムを組む

奥田 失礼な質問ですが、仙波さんはどうして中学生以下のプログラミングコンテストがすごいことだと気づかれたのですか。

仙波 前にも少し触れましたが、やはり若い人材の流出を防ぐ必要性を痛感したからですね。残念ながら愛媛のIT産業は、ほとんどが請負の仕事です。東京、大阪、名古屋など都会のお仕事をいただいて、松山でこなすか技術者の派遣をするビジネスモデルしかないというのが、愛媛におけるこの業界の実情なんです。

奥田 地元IT企業が、魅力的な存在になることが必要だということですね。

仙波 当社は日本の有力ソフトウェアベンダーが集結するMIJSコンソーシアムに参加させていただいていますが、そこでプロダクト展開やグローバル展開など、今後IT企業としてやるべきことを学んでいます。私は、そこで学んだことを松山に持ち帰って、地元の同業者と共有したいと考えているんです。

奥田 同業者にも?

仙波 はい。松山にも大手IT企業のサテライトオフィス的なものがありますが、そういったところに優秀な人材を吸い上げられてしまわないように、地元企業が力を合わせなければいけないからです。

奥田 自社だけでなく、地元企業全体でスクラムを組むと。

仙波 そうですね。そのためには、まず子どもの時分から、松山にはこんなすてきな会社があるんだということを知ってもらわなければなりません。認知度が低いということは、地元企業にとって一番の致命傷になります。子どもたちに地元IT企業の存在をアピールしつつ、彼ら彼女らの成長を支援できるということは何物にも代えがたいことと思い、もう二つ返事でU-15プロコンに協力させていただいたわけです。

奥田 地域への思いと子どもたちへの思いですね。

仙波 昨年の大会で思ったのは、来年はもっと大きな大会にしたいということでした。要はもっと大勢の子どもたちの笑顔が見たいと思ったんです。勝って喜ぶ顔と負けて悔しがる顔を見てあげたい、と(微笑み)。

奥田 私もそう思います。ところで、大きな大会にするための場としてどんなところを考えていますか。

仙波 これまでU-15プロコン松山大会は松山工業高校で開催してきましたが、今後、多くの後援がつくようになれば、例えば、えひめ産業振興財団のテクノプラザ愛媛や愛媛大学のキャンパスを使わせていただくことも考えています。今年はちょっと厳しいかもしれませんが、来年か再来年であれば実現できるのではないかと思っています。

東京ではなく地元松山から株式上場を目指す

奥田 会社のほうのお話を少しうかがいますが、今、いくつの拠点を持っておられるのですか。

仙波 国内4拠点、海外1拠点です。国内は、松山の本社、東京支店、福山支店、大阪オフィスで、海外拠点は香港に設けています。

奥田 それぞれの拠点の役割は?

仙波 松山の本社は、地の利を生かした技術者集団です。インテグレーションを行う部隊とフィットネスクラブの基幹システム、これはパッケージですが、それを全国展開する部隊があります。東京支店では、主に製造業や建設業、要は図面などを取り扱う顧客へのドキュメント管理の仕組みを展開しています。福山支店はほとんどがメーカー系と地元企業の請負で、大阪オフィスは営業マン数人で運営している拠点です。香港は拠点を置いているだけで、現地採用はしていません。出張ベースで行って、そこに軸足を置いて営業に回るという形をとっています。

奥田 香港での営業は、具体的にどんなことをするのですか。

仙波 グローバルでも、日系企業、とくに製造業向けにドキュメント管理の事業を展開しています。情報の流出や漏えいが頻繁に起こっているため、会社の大切な財産をそうしたことから守っていきましょう、というソリューションの展開です。

奥田 それは、国内顧客の香港拠点が対象になるのですか。

仙波 いいえ、香港で新たにご縁をいただくケースもありますし、香港だけでなくタイのバンコクやベトナムなどにも日系の製造業の拠点は多いですから、そうしたところが顧客となります。

奥田 社員は何人おられますか。

仙波 プロパーで62人。契約社員などを含めると70人強です。そのうち松山に勤務しているのが40人くらいですね。

奥田 ということは、今まで話してこられたように、東京に本社を移すのではなく、松山の地元企業として大きくしていくということですね。

仙波 はい。地元を捨てるつもりはありません。
それに松山から上を目指したいという思いを持っていますので、地方の企業でもここまで到達できるんだぞ、ということをいずれ見せたいと……。

奥田 「上を目指す」とは、上場するという意味ですか。

仙波 そうですね。

奥田 もう具体的なプロセスに入ったのですか。

仙波 いいえ。オリンピック前で景気の動向が見えないので、もう少し時間をかけようと思っています。5年後の20期を目指して、じっくり腰を据えてやっていこうと。

奥田 5年後でも63歳ですね。まだガンガンいけますね。

仙波 はい。75歳くらいまではやりたいと思っていますが、まあどうなるか分かりません。

奥田 仙波さんにとって、仕事上の喜びはどんなところにありますか。

仙波 中小企業は大手企業のように分業制では成り立たず、何でもできるスタッフにならないといけないという部分があります。そのため従業員は非常に苦労するわけですが、苦しみながらそのレベルに達したメンバーの喜ぶ姿を見ると、自分にとってそれが何よりのご褒美だと思っています。もちろん、お客様から信頼していただいたときも、非常にありがたくうれしいですね。

奥田 松山にこだわり続ける理由は?

仙波 やはり、生まれ育った場所ですから。その生まれ育った場所が、もっと未来が見える街になってほしいですね。県や市は地元企業育成を掲げていますが、実際のところ、育成にまで至っていないのが現状です。それを根本から変えていきたい。だから松山にこだわり続けるんです。


こぼれ話

 いろんな方にお会いして思うことがある。それは「人相はその人を物語る」である。もちろん男女を問わずにだ。『千人回峰』に登場していただく方と対談を進めるうちに、二人を隔てる垣根が消える瞬間がある。そこから会話は“盛り上がる”という表現で伝わりますよね。話題はあちらこちらに飛びながら表層的な話、中層的、あるいは深層的な話題。今の出来事、ずっと前のこと、自分が生まれる前のことなどと、話題は時空を超えて飛び回る。どの話をしていてもすべてがその人なのだ。

 話題が変わると人相も変化する。中国の京劇にお面を素早く変える演し物がある。その早業と仮面の織りなす人相模様は、頷いたり、気づかされたり、笑ったりしながら、永く記憶に残っている。能のお面は少し角度を変えることで喜怒哀楽を人に伝える。正直なところ分かりにくい。しかし、思い入れと雰囲気で伝わってくる。

 さて、仙波さんとの会話で記憶に残る人相がある。「私はね、ある時期、松山の街にあるすべてのお店にボトルをキープしていたんですよ」「すべてって、全部ですよね」「はい、そんなヤンチャな時期もありました」。言葉を交わしていた瞬間の仙波さんのお顔のステキなこと。そうだ。人は自分のお面をいくつも持っているのだ。能面師のようにつくり続け、京劇の演者に似て早業で付け替える。生きていることは芸術だと思った。「今も当時のボトルが残っていると思いますよ」。そうですか、では松山に芸術の足跡を確かめに出かけてみよう。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第237回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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