生まれ育った松山を未来の見える街にしていきたい――第237回(上)

千人回峰(対談連載)

2019/06/28 00:00

仙波克彦

仙波克彦

アイサイト 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/山中順子

週刊BCN 2019年7月1日付 vol.1782掲載

 仙波さんが社長を務めるアイサイトは、昨年からU-15プロコン松山大会(現プログラム・コンテストin愛媛)の後援をしている地元IT企業である。故郷松山をこよなく愛し、その産業振興や活性化に尽力する仙波さんの家系は、350年ほどさかのぼることができるという名家だ。松山では「石を投げれば仙波に当たる」というほど仙波姓は多いそうで、その中で最も古い「古家(ふるや)」という屋号を持つ家に生まれた。それだけに、地元愛にも人一倍の熱さがあった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.4.10/BCN22世紀アカデミールームにて

サラリーマン社長からオーナー経営者に

奥田 仙波さんは経営者として長い経験をお持ちですが、最初に社長になったときはどんなお気持ちでしたか。

仙波 アイサイトの前身は、松山のゼネコン二神組のグループ会社でした。その二神組の電算室が独立してできたのですが、経営的にはなかなかうまくいかず、私が32歳のとき、いきなり親会社からおまえが社長をやれと命じられたのです。お恥ずかしい話ですが、そうした経緯もあって、夢やビジョンを大きく掲げて社長に就任したというわけではなかったのです。

奥田 なるほど、経営の立て直しを託されたわけですね。そのときの会社の資本は?

仙波 親会社100%です。実は、二神組は四国では一番の老舗ゼネコンなのですが、わが仙波家も二神家の親族で、そうした関係から経営者の勉強をさせてもらったという部分もあったのです。

奥田 二神組は創業して何年くらいですか。

仙波 大正2年(1913年)創業ですから、もう100年以上になりますね。ところが、公共工事の発注が絞られた2000年代前半、厳しい経営状況に陥り、当時15社ほどあったグループ会社の統廃合を行いました。これをきっかけに私たちは親会社から独立し、アイサイトという会社をつくったのです。

奥田 サラリーマン社長からオーナー経営者になられた、と。

仙波 そうですね。幸いなことに、親会社も取引先に迷惑をかけることなく立ち直ることができました。

奥田 それはよかったですね。ところで、私が理事長を務めるITジュニア育成交流協会では高専と工業高校のプログラミングコンテスト(プロコン)に優勝した子どもたちを13年前から表彰しているのですが、3年前から16歳以下のプロコンを全国に広めようと活動しています。旭川高専と旭川工業高校の先生が草の根的に始めた「旭川モデル」を見て「これだ!」と思ったのですが、47都道府県でこれを成立させるのは簡単ではありません。ところが、初めて仙波さんにお会いしたときに「素晴らしいです」と協力を申し出てくださった。このとき、私は本当にうれしかったんです。

愛媛で育った人が愛媛で働いてくれることが一番

仙波 たまたま弊社の東京オフィスにITジュニア育成交流協会事務局長の市川正夫さんがお越しになり、U-16プロコンのお話をうかがいました。それを聞いて「なんでもっと早く教えてくれなかったの」(笑)と。それで松山に帰ったときに、早速、U-15プロコン松山大会(現プログラム・コンテストin愛媛)の運営に尽力されている松山工業高校の山岸貴弘先生にコンタクトをとったのです。

奥田 そこで初めてお会いになったんですね。

仙波 せっかくこういうご縁をいただいたので、その大会に当社も協賛させてくださいと。私にも地元に知り合いがおりますので、愛媛県庁に行って知事のコメントをいただいたり、松山市役所に行って市長の協力を仰いだり、愛媛大学工学部の先生にも支援をお願いし、快諾していただきました。それから、愛媛県、松山市をはじめ、県や市の教育委員会、愛媛県市町教育委員会連合会からもご後援いただけることになりました。

奥田 すごい援護射撃ですね。

仙波 愛媛の県民性は非常に慎重なので、草の根活動ではなかなか根付かないところがあります。それならば、自治体に動いてもらおうと思いました。それにより子どもたちも安心して来てくれますし、当然、保護者の方たちにも安心していただけます。

奥田 さすが経営者ですね。事業を成功させるポイントを押さえていらっしゃる。

仙波 実は愛媛県で、ITスキルズ向上事業というものを平成30年度から開催しています。これは3年間限定で行われるのですが、プログラム・コンテストin愛媛と同じように愛媛全県下の児童を対象にしている事業なんです。

 そこで私は「3年後はどうするのか」というところに着目し、それならば、ITスキルズ向上事業とプログラム・コンテストを融合させたらいいのではと考えました。自治体としてもそうした事業を民間に委託したいという思いがあるので、先日、県の担当部署にそういう話をさせていただきました。私のできる範囲で、できるだけにぎやかな大会にしていきたいな、という思いでやらせていただいています。

奥田 『週刊BCN』は38年前に創刊し、それ以来、全国のソフトハウス、パソコンショップ、量販店、官庁などを取材してきたわけですが、松山にはソフトウェア企業が少ないんですね。それで心配したのが、U-15プロコン松山大会をいかに継続していくかということでした。山岸先生の情熱で成り立っている部分はあるのですが、企業に応援していただかないとなかなか続かないものです。こういう形で仙波さんに支援していただいたのはとても画期的で、大きな力になると思います。

仙波 本当に微力ですけれど、愛媛を活性化できればいいという思いだけは強いですね。やはり、地元が活気づくことになれば、子どもたちが将来、地元で働きたいと思うことにつながります。愛媛で育った人が愛媛で働いてくれることが一番だと思うんです。

奥田 同感ですね。

仙波 いま、毎年、何千人も県外に人口が流出しています。自然減ではなくて流出減ということで、愛媛県も松山市も頭を抱えています。本当の意味で地方創生を果たすためには、子どもたちの地元への意識を変えることが必要です。そのために、まずはITからという思いがあり、そうした志だけは強く大きく持つべきだと考えています。

奥田 おっしゃる通り、夢は大きく、ですね。16歳以下のプロコンの全国大会をつくろうと思ったのは、先ほどお話しした「旭川モデル」ですが、その中心人物である旭川工業高校の下村幸広先生に「そんな大会をやっても、子供たちは札幌に出て行ってしまうのではないですか」とたずねたら、「全員が都会に出て行きたいというわけではなく、できたらずっと地元で両親と生活したいと思っている子どもたちも半分以上いるんですよ」と話してくれました。「地元を出なければいけないのは、雇用の機会がないからです。仕事があれば地元に残りたいという子どもはたくさんいるんですよ」と。

仙波 それはよく分かります。

奥田 プログラミングだったら地域は問わないし、元手はパソコン一台と自身の頭脳だけですから。

仙波 そうですね。私たちもそのために力を尽くしたいですね。(つづく)
 

大好きな片岡球子の作品

 仙波さんは富士山が好きで、よく河口湖まで行ってそのパワーをもらうという。そして、片岡球子の富士山を描いた作品も大好き。リトグラフだけでなく、本画も数点所有するコレクターだ。会社の各拠点に飾っているそうだ。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第237回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

仙波克彦

(せんば かつひこ)
 1960年、愛媛県生まれ。大学卒業後、ITが「電算」と言われた時代から一貫してIT営業に携わる。92年、システムズえひめ株式会社(後の株式会社ふたば)社長就任。2005年、有限会社アイサイト(現在の株式会社アイサイト)を設立し、 06年、代表取締役に就任。現在、松山、東京、福山、大阪の4拠点を中心にビジネスを展開している。若手社員の積極登用に力を入れており、今年は新卒3年目の社員を新製品開発のプロダクトオーナーに任命した。座右の銘は「縁尋機妙 多逢聖因」。ご縁を大切にし、地方創生、若者支援等の社会活動も積極的に行っている。