山中さんはグラビアカメラマンの頃から、「モデルさんをきれいに撮る」ためにどんな光を当てるかということを常に考えてきた。それは奄美の100歳を超えるお年寄りに対しても同様で、被写体となる方と仲良くなり、元気にし、その魅力を引き出してきたのだ。「光を当てる」ということは、物理的なライティングだけを指すのではなく、人として誠実に向き合い、相手の心のひだに寄り添い、相手を尊重することではないか。おそらく、そうした中から「生」に向かう表現が生み出されるのであろう。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.2.13/東京都墨田区の一般社団法人 分子整合医学美容食育協会
ファスティングマイスター学院にて

被写体となる人の心と身体を「開かせる」

奥田 ヌードグラビアのカメラマンになるといっても、それなりの修業を積まないと難しいですよね。それとも、感性で撮れるのですか。

山中 そうですね。正式に誰かについて学んだことはありません。ですが、うちの女の子たちのグラビア撮影のときに、篠山紀信さんや野村誠一さん、数多くのカメラマンの横で光の当て方を見たりカメラをさわらせてもらい、写真集やグラビアのロケのお手伝いをして身体で感じ学んだことは大きいです。あとは、撮影で知り合った先輩グラビアカメラマンに現場に来ていただき、セッティングやライティングをしてもらい、教えてもらったことも多々ありました。

奥田 なるほど。

山中 プロダクションでは宣材撮影を一番大切にします。カメラマンを雇っていたのですが、自分で撮ったほうが本人を引き出すことができ、なおかつ経費削減になるということもあります。私が撮らないとモデル(の心や身体)が開かず、いい写真が撮れないということが多々あったので必然的に。

奥田 撮影テクニックだけでなく……。

山中 私が撮ったほうがうまいというわけではなく、結果的に私のほうがコミュニケーションで開かせる間合いに長けていると感じました。さまざまな仕事を若い頃からしてきましたら、多くの人と話し、見えるようになっていたので、そこは私がやるべき仕事=使命=責任だと思ったんですね。

奥田 新しい技術を身につけるということは、自分の中にその欲求がないとできないと思いますが、その源はどこにあるのですか。

山中 出会った方の一瞬のきらめきを見逃さずに、その人の少し奥や先にあるものをきれいに撮ってあげたいという欲求ですね。あるいは、自分が思い描く世界感をその方の表現に投影し、きれいに撮りたいという思いでしょうか。きっと、その人にはその人に似合った光を当てたら輝く、そうした黄金比のようなことを撮影の際にはいつも考えます。

奥田 ところが、ヌードカメラマンから奄美の「100歳」を撮る写真家になるわけですね。

山中 私にカメラマンになれと勧めてくれた編集者に、グラビアカメラマンではなくて「山中順子」という名で高齢社会へのメッセージとなる100歳長寿や日本の民俗学を撮る写真家になりますと言ったら、おまえは自殺する気かと笑われました。それでは食えないよと。

 でも、30歳で奄美と出会い100歳の方々に出会ったことと、格闘技の写真を撮るきっかけをいただき山中順子という本名を使って写真家になるということなどが、私の中でたくさんコンスタレーションしました。奄美の風習、風土、言語、シャーマニズム、旧暦、人の視点を誰かが伝えていかないと風化してしまう。もしかしたら私は、そのためにこの島に来たのかもしれないと思えたのです。

奥田 2000年に初めて奄美大島に行って、17年までは奄美にも家があったということですが、それほど長くかかわると思っていましたか。

山中 いいえ、最初は島とかかわりたい、ここなのよと感じたことに向き合っただけ。そして100歳の方々の生き神様に出会い、また会いにいこうと思っただけでした。そこで見たのは、裸足で自転車をこいでいる元気なおばあちゃんだったんです。

奥田 それは一人で行ったのですか。

山中 はい、最初のロケハンのときですね。海辺を散歩していたとき「ここなのよ」いう声が海から聞こえてきたのです。シャーマン的な声が聞こえたのか自分に内在している声だったかは分かりませんが、どちらにしても自分自身が「開いた」んだなと感じました。

 それは女性の声で右後ろから聞こえたのですが、それに導かれるように国道ではなくて集落の中に入って行ったんです。道路から外れて歩いていたときに、いろいろなヒントが浮かんできました。だから、逸れて、寄り道をして、島を自由にめぐってみようと思ったのです。

「100歳のお年寄りが死ではなく生に向かっている」ことを表現

奥田 もっと多くの100歳に会おうと?

山中 最初は奄美大島で一人だけ100歳に会おうと思っていたのですが、奄美群島で人が住んでいる島は八つあることに気づき、一人だけでは知ったことにはならない、だったらすべての島に行って全員に会おうと思い、行動しました。観光課の連携協力で各島に声をかけていただき、奄美大島から最後の与論島まで回ることができました。まさに、20歳のときにお墓を見て衝撃を受けた与論島と、ここでつながったわけです。

奥田 100歳を撮る魅力は?

山中 私は女性のヌードを撮ったり、ヌードというか格闘技やメジャーなアスリートたち、モデルの等身大の写真を撮らせてもらっていました。だから、私は裸という「素」に魅力を感じるんでしょうね。飾らないきれいさ、真実はそこにしかないと思いますし、「100歳」というのも、それに通じるところがあると思ったからです。奄美に導いてくれた仕事仲間に感謝しています。お年寄りに会って写真を撮るのは難しいといわれますが、お年寄りが死に向かっているのではなく、生に向かっていることを表現できるのは君しかいないと皆さんがおっしゃってくれました。

奥田 生に向けた光の当て方ができると。

山中 むしろ、100歳というよりは、100年という世紀を超えたメッセージ、世紀を超えて生きるといういのちの輝きを私は撮り続けていこうと思ったのです。

奥田 ところで山中さんは、今日の取材場所であるファスティングマイスター学院(分子整合医学美容食育協会)の顧問も務められていますが、ファスティングとはどんなことを指すのでしょうか。

山中 第二の脳といわれる腸を休ませるため断食をして、身体の細胞をリセットし、自分の持っている内在している力を最大限に引き出すことです。副産物として痩せる効果はありますが、体内の細胞がきれいになることによって頭の中もすっきりし、思考や考え方、ひいては心までが断食、捨てることによって成功脳を得ることができるというものです。食べないことを知ることで「足るを知る」というか、感謝や自分が何者なのかを感じることができます。携わっている仕事にしても、今は自分自身を磨き直して削いでいきながら集約させて、たとえて言えば、やってきたことの糸を縒って10本を1本にしようという感覚でいます。協会と出会ったのは昨年5月ですが、私が仕事をしていた「格闘技通信」の元編集長がこちらにいらして、季刊誌での協会の阿部ひとみ代表と志穂美悦子さんとの対談カメラマンとして声をかけられたことがきっかけです。その縁で、協会が発行する季刊誌の撮影だけでなく編集や“足し算の栄養学”も学び、さまざまなお仕事を兼務させていただいております。

奥田 ここでも、縁の力が出会いに結びついたのですね。

山中 私は奄美で暮らして以来、奄美群島の食材や添加物のない自然食しか摂らず、写真を撮りながら長寿・予防の料理研究や奄美群島の長寿の要因などを調べてきましたが、私がやってきたことがすでに協会では仕組み化されていることに、とても驚きました。だから、これまで私が奄美群島とかかわった19年間で学んだことが、ここで生かされると思ったんです。

 そしてもっと驚いたのが、こちらの代表夫妻が奄美のご出身で、新極真空手の緑健児代表理事は、実は阿部代表の弟さんなのです。撮影でご縁があったり、そのご親族のほとんどの方に私が奄美でお会いしていたご縁などがあったということです。

奥田 それも偶然とはいえ、何か必然的な力が働いているようですね。

山中 ここに来るしかないねという感じと引力でした。なんといっても、協会のみなさんが面白くて愛情深いんです。協会の根幹にいらっしゃる阿部ひとみ代表とご主人の阿部先生がとにかく温かい方だから皆さんきれいな心なんです。私の好きな奄美の島そのもののDNAを感じました。

奥田 なるほど。新たな居場所を見つけられたわけですね。これからも、ますますのご活躍を期待しています。


こぼれ話

 写真家・山中順子。本人は自分のことを「写真家です」という。ところが話を聞き進むうちに、十指でも数え切れないほどの特技を持っていて、何でもやってみようと挑む人であることに驚かされた。“好奇心”をはるかに超えたものを感じた。山中さんとの出会いはミス日本の選考前夜祭の場であった。翌日のグランプリを控えて緊張感を漂わせる女性たち、昨年受賞した余裕の立ち振る舞いを見せる一群……。会場はそんな女性たちのオーラで充満する。この圧倒される雰囲気の場でビールを片手に、他人事のように遠目で様子を見ている人がいる。この人はドレス姿ではない。ということは彼女はミス日本にエントリーした人ではないのだ?

 山中さんとの会話に垣根はなかった。ビールを飲みながら、旧知の人であるかのごとく話が流れていく。ずいぶん人馴れしている女性だと感じつつ、話題はあちらこちらに飛んだ。そこで「私は写真家です」という言葉を聞いて、なるほどと頷いた。気軽な会話で被写体の心を開き、内面に潜むその人らしさを引き出して「シャッターを切る」。そう感じた途端、心が震えた。私がホストを務める『千人回峰』のインタビューと同じ思いで相手に接している人物がいる。それも目の前にいる。

 山中さんの被写体は100歳の人間像だ。生き物は環境の中で育まれる。奄美大島という環境で100年を生きた人に接して、20年に近い歳月を経た今も被写体を撮り続けている。山中さんは人の心の中に何を見ているのだろうか。何を見たのだろうか。今回の『千人回峰』ではその解をたぐり寄せることができなかった。それは山中さんも私もお互いにまだその解に行き着いていないからではないか。そう思って前に進むことにした。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。