ある時、テレビから高京徹さんの声が聞こえた気がしてふと見ると、そこには今年の大河ドラマの主人公を務める歌舞伎役者がいた。男性にしては、少し高めで柔らかな独特のトーン。この声で高さんは4カ国語を操る。ふだんはシャイでもの静かな印象だが、多言語を使い分けて積極的に現地の人たちと交流することが楽しいのだとか。翻訳とは、異なる言語をベースにしたコミュニケーションでもある。高さんが生まれもって備える能力なのかもしれない。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.3.13/BCN 22世紀アカデミールームにて

現地の言葉を話すことで生まれるコミュニケーション

奥田 高さんとは、ソウルへご一緒しましたね。

 そうです。もう7年前になります。

奥田 ソウルの会社を3社くらいでしたか、訪問して。高さんに通訳をしていただきました。高さんの韓国語は幼少時に覚えられたんですか。

 いえ、違います。小さい頃は「おはようございます」とか「おやすみなさい」などの挨拶程度でした。あとはずっと日本語で。

奥田 あれ、そうなんですか。ご親戚とか周りに韓国の方はいらっしゃるでしょ。そういう方々と生活の中で会話することはなかったんですか。

 韓国の方はたくさんいましたけど、皆さん日本にいる限りは日本語で生活していますから……。

奥田 確かに。ではどこで覚えたんですか。

 NHKのハングル語講座です。

奥田 おお、そうでしたか。

 それと、ソウルに2年ほど駐在していたことがあって。その時に会話がしっかりと身につきました。

奥田 じゃあ、中国語は?

 NHKのラジオ講座です。あと、高電社には外国語を話す社員も多くいるので、社員から中国語のレッスンを受けていた時期もありました。

奥田 ほかに勉強している言語とかあるんですか。

 ポルトガル語です。語学に関しては多少なりとも勉強するようにしています。仕事のこともありますが、その国の言葉を話すことに対する相手の方のリアクションがすごく楽しくて……。海外では現地の言葉を介して、積極的に現地の方と交流を楽しんでいます(笑)。

奥田 それは本業としてすごくプラスですよね。そういえば、英語も堪能で。

 英語は大学時代、米国に留学していましたから。

奥田 留学はどこに。

 マサチューセッツ州にあるウースター工科大学というところです。日本にある米国の大学からの編入です。実は、高校を卒業して一度働きに出たんですが、日本で入学できる米国の大学があるということで受験して入り、1年間、そこで一般教養課程を受けた後に編入しました。

奥田 どんな大学なんですか。

 こぢんまりした大学ですが歴史は古く、米国内では3番目に古い工業専門の大学で、カリキュラムがハードなことで知られています。

奥田 学生生活はいかがでしたか。

 とにかく、真剣に勉強しました。英語は得意ではありましたが、何しろ授業がすべて英語なので、最初は教科書を読むだけでも大変でした。

奥田 専攻は何を?

 機械工学です。

奥田 どんなことを勉強されましたか。

 基本的には機械工学ですから、数学や力学、制御工学。難しかったのは宇宙工学でしたね。衛星が地球を出て、どこかの軌道を回る時のスピードや角度を学んだのですが、ついていくのが大変でした。

奥田 それらの勉強は、今に生きていますか。

 宇宙工学が直接生きているかとなるとノーになりますが、遅ればせながらきちんと勉強するということを体得したおかげで、細部を詰めたり、確かめたりすることが身につきました。仕事にはそういうステップがすごく大事ですから。

奥田 勉強以外には何をされていたのでしょう。

 スノーボードです。最近はやっていませんが、それなりに滑れます。

奥田 それはちょっと意外な特技ですね。かっこいい。

自社製エンジンで翻訳をしぶとく究めたい

奥田 高電社の社長に就任されておよそ1年。高さんがやりたいと思っておられることを三つ挙げてください。

 まずは海外メーカーとの提携強化。現在、音声関係で中国や韓国と取引をしています。

奥田 世界で食べていけそうですね。

 少なくともアジアでは(笑)。

奥田 二つめは。

 海外からの人材採用。日本のIT業界は深刻な人手不足なので。

奥田 今、どの会社もそうおっしゃいますね。

 日本で人を採用しようとすると、やはりネームバリューのあるところが強い。でも今、世界には日本という国が好きだという方がたくさんいらっしゃいます。そういう方々に、うちで働けば少なくとも日本には住めますよと言えますから。

奥田 どんな能力を持った人材を希望しておられますか。

 高電社は基本が翻訳ですから、言語処理の経験がある人たちを考えています。

奥田 なるほど。今、社員は何人くらいでしたっけ。

 45人ほどです。

奥田 この先3年から5年くらいの間で何人くらいにしたいですか。

 うーん。先に人数を何人にしたいというのはあまりないんです。会社自体の存在意義を高めていくことが先決。で、それを実現し、会社を伸ばしていくために人が増えるというのはあり得るんですが……。

奥田 やりたいことがあっての人数というわけですね。では三つめを教えてください。

 かつて翻訳というのは、一部の人だけが利用する、とてもニッチな市場でした。それが近年、ものすごく市場規模が拡大し、それに伴って参入してくるプレイヤーが格段に増えています。

奥田 確かに、今、翻訳に光が当たっていますね。

 総務省は一昨年、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)と組んで、自動翻訳システムのさまざまな分野への対応や高精度化を進めるために、翻訳データを集積する「翻訳バンク」の運用を開始しました。目的は、社会・経済活動のグローバル化が進む中、日本の国際競争力を強化するためです。

奥田 国が翻訳システムを推進している、と。

 そうです。また、海外の検索エンジンで有名な企業が開発した翻訳エンジンを利用して、安いロイヤリティーでビジネスを展開することができるようになっています。そのため、これまで翻訳とは縁のなかった会社、例えば、見た目のいいウェブサイトをつくれるような異業種の会社が参入して有名になっていく。そうした状況は、何十年と翻訳会社を運営してきた弊社のような会社からすれば、悔しい思いもあるわけです。

奥田 分かります。

 こうした状況にあって、自社で独自開発する会社はどんどん少なくなっていくと思うのですが、私はへばりついてでもしぶとく続けていきたいんです。あくまでメーカーであり続けたい。

奥田 その理由は?

 他社が開発した翻訳エンジンを、みんなが共有する。それはそれでいいのですが、結局は自社で独自に持っていなければ、どこかで融通がきかなくなると私は考えます。自社で確たる技術や商品を持っているからこそ、海外の有力企業とも対等につき合える。自分のところに何もなくて、ただ売らせてくださいというのではあまりにぜい弱。揺るぎようがない自社の存在意義があってこそ、世の中に「うちの会社はいかがですか」と問いかけることができると思っています。

奥田 高さんの熱い想いが伝わってきますね。応援していきます。今日はありがとうございました。


こぼれ話

 まずは高さんにお礼を言わなくてはならない。それはお父さんの高基秀さんにである。お互いに会社の創業時期が近いこともあって親しくさせていただいた。とはいえ、高基秀さんは私より15歳も年長だったから、先輩に対する尊敬の念があった。それ以上に、戦後の韓国から留学に来られて日本で受けた体験が土台となって醸し出す人間力の、その深みに行き着いてみたいと思っていた。とにかく“コツコツ”と“黙々”と働いて仕事を積み上げていく生き方に感銘を受け、毎年、数回はお会いするために大阪に出向いた。

 ベンチャー企業の創業者は古今東西おしなべて若い。なかでも1980年代のパソコン企業の創業者は10代と若い。ところが、高さんは当時47歳だった。いかに特異な人であるかが、分かっていただけよう。仕事の内容は日本語と韓国語の自動変換ソフトの開発だ。会話は、経営者というよりも開発者としての内容が多かった。話しぶりは饒舌ではない。いつも“モゴモゴ”と口ごもったような話しぶりだ。イントネーションは韓国語調である。“ボソボソ”と聞こえる内容は高さんの夢でもあった。こうしたい、ああしたい、と頭の中にある次の開発計画を言葉にして披露していただいたものだ。

 会うたびに夢は広がる。日本語と中国語の同時翻訳ソフトをつくり始める。その先には日本語、韓国語、中国語の三カ国語の同時翻訳と、英語が加わって言語同時翻訳の専業メーカーとして事業を確立する。時を経て『千人回峰』の連載を開始したころに訃報が届いた。残念でならなかった。そして今は事業をご子息が承継し、子を通して父を知ることが実現した。うれしい限りだ。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第236回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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