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「駅すぱあと」の誕生秘話、きっかけは官公庁プロジェクト

経営戦略

2018/12/04 18:00

【「駅すぱあと」の今までとこれから・3】ヴァル研究所(ヴァル研)が10月23日に開催した「駅すぱあと30周年記念パーティー」は、多くのパートナー企業が参加して大盛況のうちに幕を閉じた。懇親会では、多くの参加者が次世代の「駅すぱあと」に期待していたことに加えて、「駅すぱあと」を含めた今までの業界の出来事を懐かしむ会話も所々で聞かれた。そこで、「駅すぱあと」の歴史を振り返ってみる。


 今年で30周年を迎えた「駅すぱあと」。発売となったのは1988年だが、誕生までの経緯は、その3年ほど前にさかのぼる。85年、運輸省(現・国土交通省)が交通ターミナルの情報化を進めるプロジェクト「メディア・ターミナル構想」を掲げ、その実現に向けた実験を行っていた。

 プロジェクトでは、交通情報や観光情報などを提供する専用のキオスク端末を配置することとなり、モデル地区として成田空港や大分空港、東京・渋谷駅が選定された。キオスク端末を稼働させるシステムの基本技術として採用しようとしていたのがAI(人工知能)。研究の一環としてAIを応用したシステムの開発を進めていた人物が、プロジェクトに参画していた上智大学の加藤誠己教授で、「エキスパートシステム」というものだった。

 2拠点間を移動する際の最短経路検索にエキスパートシステムの技術が利用できたため、85年の時点で基本となるシステムはほとんど完成していたものの、あくまで研究用途だった。プロジェクトで設置するキオスク端末を、誰もが利用できる環境にする必要があった。そこで、加藤教授は知り合いだったヴァル研の創業者で社長だった故・島村隆雄氏に話を持ちかけた。

 「たまたま居合わせたことで、開発を担当することになった」と振り返るのは、長く開発部門の責任者を務め、今はヴァル研の顧問で技術関連アドバイザーでもある宮本雅臣氏だ。「たまたま」という消極的なコメントは、「社内では関心のない開発だったから」だ。
 
「メディア・ターミナル構想」のプロジェクト開発に携わった宮本雅臣氏

 実際、プロジェクトの開発に携わったヴァル研の技術者は、ごくわずかだったという。しかも、「仕事の合間を縫いながら開発していた」(宮本氏)とのことだ。ただ、技術者にとっては、これまで存在したことのないシステムを開発するため、やりがいはあったという。少数精鋭で短期間で開発することに力を注ぎながら、86年、プログラムを搭載したキオスク端末が完成となった。

 キオスク端末を渋谷駅に設置。実験はどうだったかといえば、「成功」だった。受験シーズンだったこともあって、試験会場までの経路を調べる受験生やその両親には好評だったという。しかも、テレビなどのメディアが取材したことがきっかけとなって、PCソフトとしての商品化の問い合わせが殺到。ヴァル研の中では、後に「駅すぱあと」という名称となるプロジェクトがスタートした。

 ヴァル研では、ビジネスパーソンが利用することを考慮して、2拠点間の最短経路検索に運賃計算機能を追加して商用化することを決めた。ただ、開発にあたって大きな壁があったという。運賃計算テーブルや運賃算定ロジックの作成だ。鉄道運賃は営業キロ数を基準に算出するものの、首都圏には複数の鉄道会社が乗り入れる駅が多く、各鉄道会社が割引運賃を適用して営業キロ数より安くなるケースがある。実際とは違う運賃が出てくるたびに、鉄道会社に問い合わせるという作業をひたすら繰り返したという。

 こうした苦労を経て、88年、「駅すぱあと」の第一号となる「首都圏版 駅すぱあと for MS-DOS」が誕生した。「駅すぱあと」の名称は、社内公募で決定。「エキスパート」をもじって、親しみやすさを込めて漢字と平仮名にしたとのことだ。
 
「首都圏版 駅すぱあと for MS-DOS」の画面