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支援する立ち位置から 主体的に事業展開するITベンダーへ――第278回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/03/19 00:00

田渕正朗

SCSK 代表取締役 会長執行役員 最高経営責任者 田渕正朗

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.2.2/東京都江東区のSCSK豊洲本社にて

週刊BCN 2021年3月22日付 vol.1867掲載

【東京・豊洲発】本文でもふれているが、田渕さんは、「ITベンダー業界は大きな変革が求められる転機にさしかかっている」と捉えており、経産省の「DX研究会」の委員としても積極的な発言をしておられる。そこで田渕さんが感じたのは、論ずべきは単なるデジタル技術の問題ではなく、日本の産業構造をどうすべきかという幅広く深いテーマであるということだった。だからこそ、既存の産業構造の延長で物事を語るべきではないと。「創造的破壊」という言葉が頭をよぎった。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.2.2/東京都江東区のSCSK豊洲本社にて

絶体絶命のダンピング提訴で
奇跡的な「白判定」を勝ち取る

奥田 田渕さんが住友商事で担当されていたクランクシャフトが、アメリカからダンピング提訴を受けたというお話でしたが、最終的にはどのような決着をみたのですか。

田渕 ダンピング提訴で黒判定(ダンピングの認定)されると、懲罰的な関税が課され、事実上、輸出ができなくなります。そうなると、間もなくあるといわれていた私のアメリカ駐在の話もなくなってしまう。そこで、当時の住友金属の担当者の方と奇跡を起こそうと、寝る間も惜しんで準備を整え、提訴の一年後、白判定を得ることができました。

奥田 「奇跡を起こす」ということ……。白判定を得ることは相当に難しいことなのですね。

田渕 ITC(米国国際貿易委員会)が被害認定を行い、DOC(米国商務省)が公正価格の算定をするという形がとられるのですが、両方の機関で白判定が出なければ黒となってしまいます。そのため、この白判定は歴史的にも珍しいケースでした。

奥田 勝因は何だったのでしょうか。

田渕 私たちの製品が、顧客から本当に必要とされていたからです。アメリカのお客さんたちが、公聴会などの場で「この企業はダンピングなどしていない」と証言してくれたのです。

奥田 まさに、製品の力が判定を覆したと。

田渕 はい。そのおかげで、晴れて私は1988年にアメリカ駐在となりました。現地には6年間いたのですが、楽しかったですね。ずっと寝食を忘れて仕事と仕事がらみのゴルフです。家内には悪いことをしましたが……。

奥田 田渕さんのビジネス人生の縦糸になっているものは何なのでしょうか。

田渕 縦糸ですか。これは答えになっているかどうかわかりませんが、13年ほど前、社内研修の場で、東洋思想研究家の田口佳史先生に「田渕さんにとって、仕事とは何ですか」と問われたことがあります。

 最初はどういう意味か訝しい思いを抱いたのですが、先生は「仕事は本当の自分と出会うこと」とおっしゃる。たとえば、ある経営判断を行うにあたって、そこに至るまでの計算や分析などのプロセスは誰がやっても同じだが、最終的な判断は人によって異なるわけです。なぜ異なるのかといえば、それまでに経験し、学習し、失敗してきたすべてのことが、その人の幹になっているから。その幹を大きくしていくためには徳を積む、すなわち自分のためでなく他者のために物事をなすことが必要であり、経営判断をする際、そうして幹のできた自分に対して問いかけることで本当の自分に出会える。それが仕事だとおっしゃるのです。

奥田 なるほど。これまでの仕事を通じて、自分の判断基準となる幹ができてくると……。

田渕 私もそれまでに、いろいろなつらい仕事も経験してきましたが、その話を聞いてすべてがすっと腹落ちしました。自分に出会うような仕事をしないといけないと思うようになりましたね。間違っても自分のために判断してはいけないと。

ITベンダーが目指すべきは
「共創ITカンパニー」への道

奥田 ところで、田渕さんは2018年にこのSCSKに移られましたが、ITサービス業界にどんな印象を持たれましたか。

田渕 いま、日本のITベンダーは大きな転機にさしかかっていることは間違いないと思います。

 私がアメリカに駐在していた80年代後半から90年代は日本企業が海外進出を本格化させた時代で、それが「商社不要論」につながりました。商社はモノを右から左に動かすだけでなく、自ら事業を興す必要に迫られたのです。まさにいまのITベンダーの状況は、そのデジャブのように映ります。

奥田 どのようなところが似通っているのでしょうか。

田渕 これまでは、ウォーターフォール型で大規模なシステム開発を受託するという形が中心でしたが、今後は競争領域を中心にユーザー企業による内製化が進んでいくと考えられます。日本の場合、社内にSEを抱えている企業は少なく、およそ7割が外部人材といわれていますが、欧米ではこれは異質な状況です。そのため、今後はアジャイルやローコードなどを使った自社開発が徐々に増えていくことでしょう。

奥田 ということは、ITベンダーの立場も変化していく、と。

田渕 これまで通りのITベンダーの立ち位置で、ユーザー企業のシステムを提供し支援するという組織にとどまっていてはダメなのではないでしょうか。自分たちもデジタルのリソースを使って事業をやる「総合デジタル事業体」になるぐらいの覚悟で、主体的に事業展開することが求められるでしょう。ですから中長期的には、ユーザーとベンダーの境がなくなり融合していくのではないかと私は思います。

奥田 具体的なイメージは、どのようなものでしょうか。

田渕 例えば住友商事はいろいろな事業を展開していますが、そこにデジタル技術を熟知するSCSKのエンジニアが入ると、デジタルのバリューアップやビジネスモデルの再構築が一気に進むのです。この二社間では「DX事業化」として多くの取り組みが始まっています。これはもちろん住友商事だけでなく、他の顧客にも働きかけています。

奥田 それは、エンジニアの人材派遣とどう違うのですか。

田渕 人材派遣にとどまるのではなく、私のイメージでは、事業主体の一部を担い、資本も人材も経営リスクも半分取りに行くという形です。これまでのように、顧客の要件定義に沿ってシステムを開発して納品し、そこでリスクを切ってしまうという形とは異なるわけです。

奥田 真逆に向かうわけですね。ではこれから10年、田渕さんはどんなことに取り組まれますか。

田渕 昨年、中期経営計画に、2030年には売上高1兆円を達成し、共創ITカンパニー、つまり自分たちは支援する存在にとどまらず事業主体を目指すと書きました。現在の2倍以上の売上高を達成し、ビジネスのスタイルも変えていくということは、これまでの延長では到達することはできず、非連続な施策を組み合わせる必要があります。

 経営はこれまでより難しくなり、常にチャレンジを続けなければなりません。そうしたことを、10年後を担う人たちに、嫌われたとしても納得してもらうまで話し続けたいと思います。まあ、できれば好かれたいですけれど(笑)。

奥田 今日は、とてもいい話を聞かせていただきました。ますますのご発展を期待しております。

こぼれ話

 私は原稿を書くのが遅い。自慢することではないし、この欄で告白することもないのだが、文章を組み立てている今、頭の中のエネルギーに素直に従うと、遅筆ぐせが書き出しとなった。このコラム欄は「こぼれ話」と名付けている。お会いした人を900文字で表現するのだ。遅筆の理由は二つある。一つは、書き上げることを楽しんでいる時だ。もう一つは、書く要素が溢れ出ない時だ。『千人回峰』ではおよそ90分の対話の中で、人とは何ぞやという解を求めるための質問を投げかけている。すると相手の方に思考のスイッチが入って、身体からエネルギーを発散し始める。そのエネルギーがこちらに伝わり、私の体温となって反応する。この繰り返しの中で、人となりを感じ、少し時をかけて熟成し、その後に一幅の人物画を描くこととなる。

 昨年に始まるこのコロナ禍にあって、『千人回峰』は対面での取材をお願いしている。もちろん十分な距離をとってのことだ。このライブで伝わる体温は、冷え込む寒い時に暖炉に当たって感じる温もりそのものだ。テレビドラマで見る暖炉の炎に感じる観念的なものではない。体温は人それぞれだ。90分暖まると、それぞれの温もりとなって、私の体の奥深くに残る。それは“火種”といえるようなものだ。今、それが燃え盛る薪の炎となっている。
 

 コロナ禍で変わったことがある。世界中の人々の間でオンライン・コミュニケーションが常態化したことだ。それもたった一年で地球上の人類がオンラインによる意思疎通の手段を認めたことだ。考えれば、これも自然の脅威である。実は、私たちは道具を介して間接的に意思疎通を図る手段をすでに手にしていた。が、それは主体ではなかった。補助手段と考えていた節がある。コロナ禍で人々はオンラインを補助手段ではなく常態と認めた。この認定を経て、多くの人たちの生活様式が変わり始めている。一時の変化ではなく、“進化”として歴史年表に刻まれることだろう。進化という言葉の意味は重い。社会のあらゆる側面に変化をもたらすことを意味する。いずれ生き方にも影響してくる。具体的な事象はすでに始まっている。そうだ、田渕正朗さんは若い頃に「真剣に生きる道」を選択されたようだ。そのエネルギーが私に伝わり、火種となってこの900文字を書かせた。コロナ禍でずっと考えていたことの解が出た。感謝したい。 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第278回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

田渕正朗

(たぶち まさお)
 1957年7月、大阪府大阪市生まれ。 76年3月、大阪府立北野高等学校卒業。 80年3月、京都大学経済学部卒業。同年4月、住友商事に入社。88年5月、米国住友商事シカゴ支店に赴任。2009年4月、理事自動車事業第一本部長に就任。執行役員船舶・航空宇宙・車輌事業本部長、代表取締役専務執行役員コーポレート部門企画担当役員CSO・CIOなどを歴任し、18年6月、SCSK代表取締役会長執行役員最高経営責任者に就任。19年4月から健康経営推進最高責任者を兼務。経済産業省「デジタルトランスフォーメーションの加速に向けた研究会(DX研究会)」委員も務める。