従業員を守り、経営を維持するため 自ら退路を断つ――第270回(上)

千人回峰(対談連載)

2020/11/06 08:05

砂長 潔

砂長 潔

オーディーエス 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2020年11月9日付 vol.1849掲載

【神田須田町発】大学時代を名古屋で過ごした砂長さんは、家電量販店の栄電社(現エイデン:エディオングループ)の柳橋本店でアルバイトをしていたそうだ。そこで後に社長となる岡嶋昇一さんなど家電業界の重鎮たちの薫陶を受け、大学を中退してあこがれのオーディオメーカーのオンキヨーに飛び込む。「小さなメーカーだったが、ここで自分の爪痕を残したかった」と砂長さんは振り返る。その後の奮闘ぶりは本文に譲るが、仕事に対する“熱さ”はおそらく当時も今も変わらないのだろう。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.9.3/東京都千代田区のオーディーエス本社にて

PC事業との出会いが
キャリアの大きな転機に

奥田 オンキヨーの経営幹部時代、砂長さんには何回かBCN AWARDにご出席いただいたご縁があります。現在、オーディーエスの代表取締役社長を務められていますが、まず、ここに至るまでのご自身の歩みについてお話しいただけますか。

砂長 ご存じのとおり、オンキヨーは老舗オーディオメーカーの一角を占めており、私もオーディオに憧れて入社したという経緯があります。入社以来、営業畑を歩んできましたが、2003年に本社のマルチメディアユニット長になったことが私にとって一つの転機となりました。

奥田 それはどんな転機ですか。

砂長 オンキヨーは、比較的早くパソコン分野に着目したオーディオメーカーで、当時、「WAVIO」というブランドでパソコン用のAVシステムを展開していました。私はそこに異動するまではオーディオ本体を扱っていたわけですが、ここで初めてPC事業と出会うことになりました。

奥田 老舗のオーディオメーカーとしては、パソコンの周辺機器は新しい事業ということになりますね。

砂長 そうですね。2006年にはViiv準拠PCを自社開発で発売するなど力を入れていたのですが、最終的にはPCメーカーのソーテックを吸収合併して、ハードの開発はその部門が担う形となりました。この間、私はソーテックの取締役生産・品質本部長を務めたり、生産拠点である鳥取オンキヨー(現ODSコミュニケーションサービス)の社長として、コールセンターを立ち上げたりしていました。

奥田 PC事業での砂長さんの活躍ぶりが目に浮かぶようです。

砂長 ところが、オンキヨーのPC部門は2010年12月にオンキヨーデジタルソリューションズとして分社化されるのですが、その1年半後の2012年6月には、不採算を理由に韓国企業との合弁会社に全株式を売却されてしまいます。

奥田 家電量販店にPCを並べても、儲かる時代ではないと……。

砂長 おっしゃるとおりですね。事業の軸足はあくまでオーディオにあるということもありました。そして悪いことに、2014年10月に合弁会社の親会社である韓国企業が詐欺事件によって経営破綻してしまうのです(2014年12月に裁判所より破産宣告)。

 私は、着任当時は(2013年6月)、オンキヨーからの出向という形で同社の代表取締役社長に就任していたのですが、いかにして事業を立て直し、従業員の生活を守るかということに奔走することになります。

MBOを実行し
名実ともに真の経営者に

奥田 お話を伺っていると、砂長さんの職業人生は、経営幹部になられてからのほうが激しく揺れ動いているようですね。

砂長 そうですね。それで私は、オンキヨーデジタルソリューションズの社長として、出向の身分のままでは会社の立て直しはできないだろうと考え、就任のおよそ3か月後、スピンアウトしたんです。

奥田 オンキヨーという親会社を離れると……。つまり、退路を断ったわけですね。勇気が要ったでしょう。

砂長 そうですね。従業員の生活を守り、経営を維持していくために、そうすることが必要だと思いました。私以外の従業員は、言わば韓国企業に売却された元オンキヨー社員でしたから、私にだけ逃げ場があったら、おそらくついてきてもらえないでしょう。

奥田 なるほど。

砂長 この経験は、私の人生観を変えたというか、経営者であることの重みをひしひしと感じさせるものでした。

 破綻企業の社長が銀行に行っても相手にしてもらえず一銭も貸してくれませんし、自ら営業に歩いて稼ぐしかない。給料の支払いにも苦慮する状況でしたが、仲間の助けもあり、遅配したことは一度もありませんでした。生きた心地がしなかったこともありましたが、その反面、私についてきてくれる従業員には夢を持たせてあげたいと懸命でした。

奥田 懸命な努力の先に、展望を見いだそうとされたと。

砂長 はい。その一方で、オンキヨーデジタルソリューションズは破綻会社の子会社となるわけですから、その状況から脱するためにMBO(経営陣による買収)による買い戻しを図りました。

奥田 砂長さんが名実ともに経営者になって、会社を再生していこうということですね。

砂長 ただ、MBOが成立するまでに2年間もかかってしまいました。通常の企業買収とは異なり、破綻会社の場合は交渉相手が裁判所や管財人となるため、買収金額は低くても、手続きがとても煩雑です。

奥田 当時はソウルにおられたのですか。

砂長 いいえ、東京におりましたので、毎月2回のペースで韓国・水原(スウォン)の裁判所に2年間通いました。やはり私にとって、一番苦しい時期でしたね。

奥田 それでMBOが成立したのは?

砂長 2016年6月です。

奥田 すると、砂長さんがオンキヨーを離れ、合弁会社を買い戻すまでおよそ3年。その間の苦労が実って、サラリーマン社長からオーナー社長になられたということですね。

砂長 そうですね。今もオンキヨーが14.29%の当社株式を保有していますが、基本的にオーナーとして自分の考えで経営できるようになりました。

 だから情報はすべてオープンにし、業績についても、毎月全従業員に対してすべて発表しています。当然のことですが、期末に利益が出れば、その一定部分は社員に還元します。その代わり、私の方針についても常々お話しし、それを理解した上で仕事に臨んでもらうという形をとっています。

奥田 それが、砂長さんが確立された経営哲学であると。

砂長 韓国での厳しい状況の中で、いろいろなことを共有しながらやっていくことの大切さを感じたため、そんなスタイルになったのだと思います。

奥田 やはり、苦しい時期の経験が今に生きているのですね。

砂長 現在進めているビジネスの内容については、改めてご説明しますが、2018年にはオンキヨーマーケティングを、2019年にはオンキヨーディベロップメント&マニュファクチャリングとODSコミュニケーションサービスの全株式を、それぞれオンキヨーから取得し、吸収合併あるいは子会社化を行いました。これにより、今後の事業展開の体制を整えることができたと考えています。

奥田 いよいよ楽しみな時期に入ってきましたね。(つづく)

BCN AWARDでのひとこま

 今から14年前、2006年のBCN AWARDでの受賞風景。砂長さんが在籍していたオンキヨーは、05年から12年まで8年連続で当時のサラウンドシステム部門を制覇した。ちなみにこのときのプレゼンターは、砂長さんと縁の深いエイデンの岡嶋昇一社長(当時)だ。
 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第270回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

砂長 潔

(すななが きよし)
 1960年、東京生まれ、茨城県水海道市(現常総市)育ち。日本福祉大学中退後、81年5月、オンキヨー入社。96年、首都圏東営業所長。98年、大阪営業所長。2003年、マルチメディアユニット長。06年、オンキヨーマーケティング取締役WAVIO事業部長。07年、ソーテック取締役生産・品質本部長。08年、鳥取オンキヨー代表取締役。10年、オンキヨーマーケティング取締役PC営業部長。13年、オンキヨーデジタルソリューションズ代表取締役社長。商号変更により20年1月よりオーディーエス代表取締役社長。

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