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私には三つの幸運がある。 それは、運と縁に恵まれ、勘が鋭いこと――第268回(下)

千人回峰(対談連載)

2020/10/16 00:00

安達あける

安達あける

キューアンドエー 最高幸福経営責任者(CHO) リレーション・ブランディング戦略本部長兼ハピネス推進室長

構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2020年10月19日付 vol.1846掲載

【笹塚発】取材に同席してくれた広報担当の大野香穂里さんは、安達さんの部下でもある。そこで、ご本人を目の前にして、部下から見た安達さん像について尋ねてみた。ふつうなら忖度が働きそうな場面だが、彼女はズバリ「相手とはとことん戦い、部下は絶対に守る『半沢直樹』のような人です」と言い切った。そして、上司を部下が評価する制度があったら、間違いなくS評価だと。本心でなければ、ここまで言えないはずだ。すごい!いつもチャーミングな安達さんだが、部下から見たらまさに男前(?)なのだ。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.8.19/東京都渋谷区のキューアンドエー本社にて

秘書のプロを目指し
経営者視点で上司をサポート

奥田 ロンドンから東京に戻り、専業主婦の生活から、再び外で働く生活を選ばれたわけですね。

安達 東京銀行の秘書室から声がかかったのは、秘書という仕事は未経験だったものの、夫のロンドン赴任で身につけた英会話の能力を買われたからです。東銀は外国為替専門銀行であったことから、外国からのお客様が多かったのです。

奥田 なるほど。語学力を生かしつつ、秘書という新たな仕事に挑戦されたのですね。

安達 ところが、そこは作法や立ち居振る舞いについて、とても厳しい職場でした。私が思い描いていた秘書像とは、だいぶギャップがあったのですね。これは自分の性分には合わないと、結局半年ほど勤めて辞めました。

奥田 秘書業務との最初の出会いは苦かったと。

安達 すると、人材派遣会社から西麻布にあったBMWの人事採用アシスタントの仕事を紹介されました。ここは外資系だけに日頃の振る舞いについては大らかでしたが、反面、成果報酬制が徹底されているため、日本企業にはないシビアさがありました。ここで3年間働いたのですが、本社が西麻布から幕張に移転したことを機に退職しました。

奥田 もう西麻布で遊べないから?(笑)

安達 それもありますが(笑)、当時、世田谷に住んでおり、毎日東京を横断して幕張までは通いきれなかったからですね。

 その次に紹介された仕事が、大森康彦さんの個人オフィスでの秘書業務でした。野村證券出身で、日本警備保障(現セコム)の副社長や日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の社長、会長を歴任された大森さんは、ソフトバンク顧問のかたわら、経営コンサルティングやIPO支援の仕事をされていました。IT企業をはじめとする数多くの優良企業の経営者とのつながりを持つ大森さんの人脈の広さに驚きましたが、そんな環境で、約10年間、秘書の仕事に本格的に取り組んだのです。ここで私は、秘書はスケジュール管理や出張手配、来客対応といったことだけではなく、経営者視点で積極的にアシストすることが求められると学びました。

奥田 礼儀作法や立ち居振る舞いだけでは秘書は務まらないと(笑)。

多様な業務経験を積み重ね
女性初の執行役員に

奥田 現在、安達さんはCHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という職に就かれていますが、キューアンドエーに入ってからはどんな経験をされてきたのですか。

安達 入社したのは2001年のことで、当時の金川裕一社長の秘書になりました。ちょうど、キューアンドエーと横河マルチメディアが経営統合して横河キューアンドエーになった年で、企業規模がどんどん大きくなっていった時期でしたが、当時の秘書は私一人で、最初の数年間は満足に休みが取れないほど忙しかったですね。入社した当初痛感したのは、あまりに当社の知名度が低く、他社トップとのアポイントメントが思うように取れなかったことです。そこで、その会社の秘書と会うことから始めました。面白いことに会ってしまえばアポイントもスムースに取れるようになり、秘書の交流会幹事をしたりしてネットワークが約200名までに広がりました。

 その後、秘書が増員され秘書室が設置されると私は秘書室長となるのですが、金川さんにはそのほかにもいろいろな仕事を経験させていただきました。2012年には、秘書と兼務で総務と広報の統括を任されたんです。

奥田 大きなステップアップですね。そういえば、当時金川さんと安達さんが一緒にいると、どちらが社長なのかわからなかった(笑)。

安達 何をおっしゃいますか! でも、秘書以外の仕事をやらせていただいたことが、キャリアアップにつながったことは間違いありません。

奥田 2014年には執行役員に就任されていますね。

安達 女性初の執行役員となりましたが、秘書業務しか経験していなかったら“お手盛り”人事と受け取られてしまうから、役員就任とはならなかったでしょうね。

奥田 なるほど。ところで、昨年4月に就任されたCHOの仕事は、どのようなものなのですか。

安達 CHOは企業の従業員の幸せをマネジメントする専門の役職で、従業員の幸福度を感知し、その向上や改善を通じて企業や組織に繁栄をもたらすことを使命としています。

奥田 具体的には、どんな活動をされているのですか。

安達 昨年4月に社内横断的な「ハピネスプロジェクト」を立ち上げ、ハピネスサーベイ(幸福度の調査)や女性活躍に関する意識調査、そして外部講師を招き社内で勉強会を行いました。女性のキャリアアップについての勉強会もありますが、私は中島みゆきさんの「糸」の歌詞にある「縦の糸はあなた、横の糸は私」のように、属性や立場に応じたそれぞれの役割があり、各人がその力を最大限に発揮することがとても大事だと思っています。

 今年4月には、ハピネスプロジェクトを組織化した社長直轄の「ハピネス推進室」が新設され、室長の命を受けました。コロナ禍で新メンバーのキックオフは6月になりましたが、グループ全社から約30人のメンバーが参加し、各人に取り組むテーマを考えてもらい、分科会をつくって活動しています。

奥田 ところで、なぜCHOになろうと思ったのですか。

安達 私は昨年4月に執行役員から外れてCHOに就任したわけですが、実はその前年の年末に社長の川田(哲男氏)から「執行役員を外れてもそれに見合ったキューアンドエーらしい肩書を考えてほしい」といわれていたんです。いろいろ悩んだ末、日経MJに載っていたCHOの紹介記事を見て、「自分に向いているのはこれだ!」と思ったんですね。

 それで「CHOをやりたい」と川田に話したら、あっさりと「それでいこう」ということになりました。私の思いをストレートに受け入れてくれた川田には、とても感謝しています。

奥田 安達さんのこれまでのビジネス生活は、とても豊かなものだったと思いますが、それを実現させたものは何なのでしょうか。

安達 「運」と「縁」と「勘」が強かったことだと思いますね。

奥田 ほう、「運・縁・勘」ですか。

安達 はい。私には三つのラッキーがあります。一つめは、夫と結婚してロンドンでの生活を経験できたこと。二つめは、大森さんと出会って、秘書の仕事を本格的にスタートできたこと。そして三つめは、キューアンドエーに入社して、秘書以外の仕事も経験し、経営にコミットすることができたことですね。

奥田 人と出会うのも「運」と「縁」によるところが大きいですよね。ある人に出会ったことで、人生のベクトルが変わることも往々にしてあることだし。ところで、最後の「勘」というのは?

安達 私は、自身の第六感は鋭いほうだと思っているんです。たとえば特に物事を分析したりしていないのに、人生の大事な局面で、根拠なしにピンとくることがある。だから自然と、自分を生かしてくれそうな、優秀で人としても尊敬できる人のほうに寄っていくのだと思います。

奥田 なるほど。勘の鋭さも大きな武器になるのですね。ところで、この先10年、どんなことをしたいと考えておられますか。

安達 今の仕事をあと何年続けられるかはわかりませんが、その後も体力のあるうちは社会に貢献する働き方をしたいですね。その次のステージについて考えてはいますが、まだ秘密です。教えてあげません(笑)。

奥田 そうですか。それは残念。でも、これからもますますのご活躍を期待しております。

こぼれ話

 成人式の3回目ということは……。そうか、順を追っていくと、還暦に行き着く。これまで年齢を尋ねたこともなかったので、「そうなんだ」と思いつつ、なるほどと感心もしながら、この言葉を反芻してみた。第1回目の成人式は思いっきりトゲトゲしていた。知らないことだらけだった。夢が一杯で、不安と期待でワクワクしていた。自立するということを楽しく感じた時期でもあった。第2回目の成人式は自分の居場所を求めて、生き方も職場も選択した。私はこの頃に、今回のゲスト・安達あけるさんに会っている。初対面は30歳の時だったんですね。

 当時のIT業界はGAFAが誕生する前である。パソコンがメインフレーム市場を凌駕し始めた頃で、IBMが3期連続の赤字を続け、マイクロソフトが天下どりの道を歩き始める前夜である。通信の世界では、すでにインターネットの時代を確信する人たちがいて、パソコンと通信は融合した。ここから現在のコミュニケーション環境とスタイルが生まれ、コロナ禍によってテレワークの地位は決定的なものとなった。この段階で第3回目の成人式を迎えた。

 あけるさんは金融業界からIT業界に転じて秘書の立場として、私は新聞記者の立ち位置で今に至る“いつでもどこでも誰とでも”のスマホ文化の成長過程を見続けてきた。仕事の仕方が大きく変化した。さて、ここまでは過去の話である。あけるさんの言う「運・縁・勘に恵まれている」という人は次の成人式をどのような形で迎えるのだろうか。未来は過去の上に築かれる。これから先の20年、特に注目したいのは社会における女性の活躍である。あけるさんは執行役員を経て、現在は最高幸福経営責任者(CHO)だ。在宅勤務の常識化にともなって、在宅女性の能力が社会のあり方を左右する。これからの時代こそが、あけるさんの出番のような気がする。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第268回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

安達あける

(あだち あける)
 1960年1月、宮城県登米市生まれ。78年3月、文京学園女子高等学校(現文京学院大学女子高等学校)卒業。同年4月、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。結婚後、夫の赴任先のロンドンに帯同。帰国後は東京銀行OGとして秘書室に勤務。BMW人事部、経営コンサルティング会社の秘書を経て、2001年、キューアンドエー入社。秘書室長、総務部長、マーケティング部長を経て、14年、執行役員(広報・秘書部門)に就任。19年4月、CHOに就任し現在に至る。