【日本橋浜町発】網屋はその名のとおり、ネットワークとセキュリティを主業とするICT企業だ。本文でも紹介しているが、創業者の伊藤整一さんは少年時代から厳しい企業経営の盛衰を目の当たりにしてきた。だからこそ、得意先の都合で自社の命運が左右されるビジネス形態を嫌い、専門性の高いオリジナルの自社開発製品・サービスを事業の柱とした。おそらく、その姿勢の根底にあるのは、自身の経験に裏打ちされた「会社は絶対に潰してはならない」という思いなのだろう。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.7.22/東京都中央区の網屋本社にて

「青年部」の活動を通じて
「網屋の人」をつくる

奥田 伊藤さんが創業された網屋は来年25周年を迎えますが、これまで上場を考えられたことはなかったのですか。

伊藤 かつて外部からの投資を受けてマザーズに上場しようと準備した時期がありました。その頃、ライブドア事件が発生して新興株式市場が急激に冷え込んでしまいました。

 また、他社の事例を見ながら、無理して上場しても体力がないと続かないことに気づき、株主にご理解を得た上で準備期間を持つことにしました。体力というのは、もちろん事業の回転力が根本ですが、一番重要なのは、プロパー人材の育成ではないかと考えるようになっていました。なぜなら……上場準備を始めた当初は新興市場上場のラッシュで、外部から年俸数千万円のコンサルタントや上場準備請負人、また即戦力の優秀な人材を連れてきて上場したら解散する……という話を聞く機会がよくありましたが、その後の会社運営と将来を考えるとやはりプロパーの人材をいかに育てるかが、上場した後の社員や株主に対する責任ではないかと考えていました。まあ、今考えると上場すれば優秀な人材は集まったのかもしれません。その後、徐々に会社がメーカー色を付けていくと同時に優秀な人材が集まるようになりプロパーの社員も育って来ましたので、事業の性質上お客様に安心していただくためにも、そろそろ一つの目標として準備を再開しようかと思っています。

奥田 なるほど。よい人材が集まるきっかけは何かあったのですか。

伊藤 京都大学との共同研究がきっかけですね。その後も、東大、東工大、上智大、北大などとも縁があって、中小企業ではなかなか採用できないような人材に恵まれました。

奥田 ということは、ここまで順調に成長してこられたわけですね。

伊藤 とんでもありません。実は、十数年前に破綻しかかったことがありました。当社はIBMなどの大手SIベンダーの下請けとして事業をスタートしたのですが、下請け人出しビジネスは、ネットバブルの崩壊やリーマン・ショックの影響をもろに受ける立場にありました。この危機のときは事業再編を余儀なくされ、六つに拡大した事業のうち、四つを手放すことになります。

奥田 事業を二つだけに絞って生き残ると……。

伊藤 そうですね。セキュリティログ管理のパッケージソフトの開発販売(現ALogConVerter)と、セキュリティネットワークサービス(現Verona)というオリジナルの製品・サービスだけを残しました。網屋の事業や私のことを信用してくださった金融機関や取引先のご協力もあって、なんとか会社を潰さないですみました。

 それと同時に、技術者の人材派遣事業からも徐々に手を引いていきました。業務請負は業務に対価がつくのですが、高評価の人材ほど、随意契約を繰り返しながら歳をとってゆきます。しかしながら、担当業務は変わらないから対価が変わらず給与が上げられない……。景気が悪くなれば客先から帰されるのも現実です。個々の社員の特性を見据えながら将来のキャリアプランを見せてあげられないことが最も辛かったです。

 現在ではプロジェクトチーム結成などによる短期オンサイト業務は別にして、社員を顧客先に常駐させることなく、自社プロダクトの研究開発やサービス提供に専念できる体制になっています。

奥田 人材育成ということでは、どんな工夫をしておられますか。

伊藤 7、8年前から新卒採用ができるようになりましたが、網屋の方針を浸透させ、網屋の文化をつくるために、縦の業務ライン組織のほかに社員研修の一環として横のバーチャルな横断組織をつくりました。それが、原則30歳以下の社員で構成される「青年部」という組織です。研修の一環なので、総務人事部の管理下に設置しています。

奥田 青年部ではどんなことをするのですか。

伊藤 現在の弊社青年部には新卒もいれば中途採用者もいて、国立大学出身者もいれば私立大出身者もいます。もちろん一般的な技術研修は当たり前ですが、彼らに対して、当社ではできない環境、たとえば、先端技術を有する大手企業の研究所やデータセンター、IT農場の現場研修など、現役員たちの人脈をお借りして推進しながら、小さな会社でも若い人材に限界を感じさせず、実現可能なイメージを育ませる活動をしています。また、チームマネージメント研修の一環として、青年部の中で複数のチームをつくり、会社に提案する新規事業企画のプレゼンや社内ロボットコンテストの開催だけでなく、部門や業務を越えて会社全体に関わる催事などを皆で協力して進めています。たとえば、周年記念などのイベントを青年部メンバー全員で力を合わせて行うのです。

 人の能力は学歴だけでは測れないということは自明の理ですが、実際に共同作業をする中で得意不得意、向き不向きのようなことが見えてきて、自然と役割分担ができてくる。また、こうしたプロセスを経験することで「網屋の人」になっていくと私は考えています。

経営の危機に瀕しても「逃げない
こと」と「変えないこと」が大事

奥田 経営者としてさまざまな経験をしてこられたと思いますが、網屋創業までの歩みについてお話しいただけますか。

伊藤 私は福岡県直方市の出身で、祖父は筑豊炭田関係の石炭プラントをつくる事業を経営していました。父は高校の教師でしたが、祖父が呼び戻して自分の事業を継がせたのです。父の時代には石炭プラントではなく、砕石プラントやセメントプラントなどが事業対象となっていました。

 ところが、オイルショックのあおりを受け、私が高校3年生の夏に、父は祖父から引き継いだ事業を潰すことになります。父の強い意志で、私は2歳下の弟とともに、工場に寝泊まりさせられます。債権者が勝手に機械などの資産を持ち出していかないよう、番をさせられていたのです。また、電話問い合わせの対応や、債権者会議の受付・運営をさせられました。

奥田 若い頃から、大変な経験をされましたね。

伊藤 本人たちは、何が何だかわからない状態でした。このとき、父は周囲の人から破産したほうがいいとアドバイスを受けていました。私も当時の高校の教員に相談して、父に破産を進言したのですが、逆に激怒されてしまいました。商才のない父でしたが、破産という法的手段に頼らず、債権者に債務を返済し続ける道を選んだのです。その後も父は小さな会社をつくり、借金をコツコツと返していました。今考えると現実的なことではありません。しかしながら、一つの信念として、今でも父のことを尊敬しており、物事の判断を迫られた時の原点となっています。

奥田 立派なお父さんですね。

伊藤 その後、倒産処理が落ちついてから予備校にも通っていたのですが、結局進学せずに、紆余曲折を経て富士通系のオフコンの販売会社に入社しました。この会社が事故により倒産することになります。

 その後、独立を目指して準備をしていた頃に、IBMのOBの方から「これからはネットワークの時代だ」という声がかかり、LAN/WANを構築するベンチャー企業の立ち上げに参画します。当時、日本の大手IT企業がネットワークのことをまったく理解していなかった時代に、その分野の精鋭が集まって新たなビジネスに挑戦したわけです。ところが、そのベンチャー企業も経営に行き詰まり、経営者は破産という法的処理を選択することになります。

奥田 お父さんの会社とは対照的ですね。

伊藤 そうですね。だから私も網屋の十数年前の危機のとき、絶対に会社を潰してはいけないという思いが強かったのだと思います。

奥田 会社を潰さないための鉄則のようなものはありますか。

伊藤 私の場合は、たまたま運よくいろいろな方々に助けられましたが、特に一番の功労は、社員が一切浮足立たなかったことだと思います。噂も広がり「不安」を抱えながらも平常心で仕事をし続けてくれました。

 多くの創業者の方々の前でおこがましく、お恥ずかしいお話ですが、三つの会社の倒産を通して私が思うことは、「逃げないこと」と「変えないこと」だと思います。「変えないこと」というのは、たとえば、それまで事業状況が厳しくても前向きに頑張ってきたのに、苦しくなると頭の中で倒産することばかりを考えるようになり、知らず知らずのうちに倒産に備える動きに変わって行くことです。

 倒産後を考えて、従業員のために残資金の集約をすることは確かに誠実なように見えるかもしれませんが、それは見方を変えると事業がなくなることを前提とした準備を始めたことになります。なかなか難しいことですが、事業を継続していくためには、それまでの信念を変えず、どっしりと構えることが大事なのではないかと思います。

奥田 あくまで続ける前提を崩さないと……。

伊藤 はい、先輩の方々がよく言われる「すべてはプロセスであり過程だ」と考えることかもしれません。結果的には、破綻したそのベンチャー企業の主要メンバーは、いくつかの会社に分派して、現在もそれぞれ堅調な経営を続けています。私は、一年間ほど大手電子機器商社のネットワークサービス子会社の設立に常務取締役として参画したのちに、以前のベンチャー企業の同朋に声をかけて、現在の網屋を仲間5人とともに設立することになります。

 網屋のロゴは6本の線で構成されていますが、これは創業メンバーの6人を表現しているのです。 (つづく)

デール・カーネギー著
『人を動かす』

 伊藤さんが中学生のとき、お父さまの書斎で見つけた一冊。中学生がカーネギーを読むとはとても早熟で意外な感があるが、おそらくその後、伊藤さんの経営者としての姿勢に強い影響を与えたのだろう。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第267回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。