障がい者を支援することが 人生最後の勝負ととらえる――第265回(下)

千人回峰(対談連載)

2020/09/04 00:00

中島勝幸

中島勝幸

ユニコーン 代表取締役社長

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直

週刊BCN 2020年9月7日付 vol.1840掲載

【広島市発】中島さんは“熱い”人だ。取材中、話に熱が入って、録音していたICレコーダーをぶっ飛ばしそうになったり、ユーザーのエピソードを語るうちに目が潤んで声を震わせたり。バリアフリーという言葉は、もともとは建築用語で「障壁の除去」を意味する。話をうかがうほどに障がい者を取り巻く制度の不条理や課題の多さに愕然としたが、その厚く高い障壁は、中島さんと熱い仲間によって少しずつ崩れようとしている。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.6.11/ユニコーンにて

時代に合わない制度に憤慨し自由民主党行政改革本部 規制改革チームで議題に

中島 奥田さんは補装具というのをご存知じですか。

奥田 いえ、知りません。

中島 補装具というのは、障がい者が使う車椅子とか義手、義足のことを言います。で、われわれがつくった、視線を使って意志を伝達する装置『miyasuku EyeCon』も補装具の扱いになるんです。

奥田 なるほど。

中島 『miyasuku EyeCon』は、ハード側はパソコンやタブレットですけど、中身はソフトウェアです。だからバージョンアップしますよね。でも制度的にそれはNGなんです。

奥田 何がいけないんですか。

中島 補装具だからです。医師の意見書に基づき国が支給するものだから、勝手に直してはいけない。補装具を直すのならば役所への申請が必要。ソフトをバージョンアップするということは、義手や義足を勝手にいじっているのと同じだと…。

奥田 つまり、バージョンアップするなら、いちいち申請して許可を取れと。

中島 おっしゃる通りです。でも、ソフトのバージョンアップは義手や義足を勝手に改造するのとはまったく違います。とんでもない! で、プロジェクトを一緒にやっている安部倫久くん(社会福祉法人交響の理事長)に「この現状はどうにかならんのか」と言って、二人で厚生労働省まで行ったんです。

奥田 霞が関のですか。

中島 そうです。1時間のために日帰りで行きました。そうしたら、40代くらいの若い担当官がボールペンをくるくる回しながら「ICTは補装具じゃないですから。Windowsのバージョンアップもダメですね」って軽く言われて。

奥田 中島さん、それ原稿に書いてもいいですか(笑)。

中島 いいです。書いてください。もうね、腹が立ってはらわたが煮えくり返って!

奥田 気持ち、すごくわかります。で、どうされたんですか?

中島 結局、安部くんが動いてくれていろいろな方が協力してくださることになりまして。彼のつながりから、広島7区の衆議院議員小林史明議員と出会うことができました。そして、議員の政治理念とこの不合理が一致する問題であったこと、議員が行政改革推進本部規制改革チームの座長であったこともあり、なんと自由民主党本部で話ができることになったんです。われわれが直接前に出るのではなく、プロジェクトに関わっている大学の先生や現場で頑張っている作業療法士、重度の障がい児を持つお母さんに現状を話してもらって。

奥田 委員会の出席者はどんな方だったんですか。

中島 現職の議員をはじめ、厚生労働省、文部科学省、経済産業省、内閣府から課長級のキーパーソンが集まって。元大臣の方もおいでになりました。

奥田 錚々たるメンバーですね。それ、いつの話ですか。

中島 今年の2月です。われわれとしては、とにかく障がい者に関する旧態然とした制度を変えたいんです。一番の問題点は時代に合っていないこと。ほかにもいろいろあって、例えば、意思伝達装置は会話をするための装置なので、それ以外に使ってはいけない。つまり、仕事や勉強で使ってはいけないんです。

奥田 なんですか、それ。ちょっと意味がわかりかねますが……。

中島 ね、そうでしょう! そうなんです。おかしいでしょう。ほかにも、文字を習得してない未就学児には意思伝達装置を支給できないとかね。

奥田 うーん。ビックリしますねえ。

中島 委員会ではそうした現状をしっかりお話させていただきました。委員の方からも意思伝達装置は人間の根本の人権である意志を伝えるものなのだから、車椅子や義手・義足を意味する補装具ではない。最新の状況に合わせて規定をするべきだという意見も出ましたね。

障がい者支援にはお金に代えがたい喜びがある

奥田 委員会の後、変化はありましたか。

中島 ありました。意思伝達装置に特化して制度が見直されることになりました。また、それまで課税対象になっていた当社の意思伝達装置が非課税になりました。

奥田 それはよかった。大きい変化ですね。

中島 よかったです。われわれの目指すところは、とにかく障がい者が“みやすく(易しく・簡単に)”生活できることですから。

奥田 改めてうかがいたいのですが、何がそこまで中島さんを動かすのですか。

中島 うーん。不思議ですよね。自分でもわかりません。みんなからもよく聞かれますが、そんな時は「わしの道楽じゃ~。ただ、道楽ちゅうても遊びじゃない。『道を楽しむ』んじゃ」って答えています(笑)。娘が二人いるんですがもう結婚しましたしね。

奥田 親として扶養の義務は解かれたと。

中島 そう。それに自分も60歳を超えました。だから自分の人生最後の仕事として、われわれがこれまでエンジニアとして培ってきた技術をフル活用して、障がい者が生活しやすいものをつくるんだと。金はあとからついてきます(笑)。

奥田 今、ユニコーンの装置を使っているユーザーさんはどのくらいおられるんですか。

中島 現時点で約600ですね。

奥田 この前の号で、障がい者は一律ではない、個々の対応が必要だと話されていました。とすると、600種類の製品ということですか。

中島 いや、ベースになっているのは同じ製品で、個々にカスタマイズできるようになっています。ユーザーによって事情が違いますから、個々の相談が非常に多いです。

奥田 どんな内容なんでしょう。

中島 装置がうまく使えない、孫とLINEをやりたい、新しい機器に変えたいけど利用できる制度はあるか、などなど。本当にさまざまです。

奥田 それらのすべてに対応されているんですか。

中島 そうです。たった1人のユーザーからの要望でもどんどん組み入れます。なぜなら、1人が使えるようになれば、10人、100人が使えるようになる。そうやって製品を進化させてきましたから。

奥田 お金はついてきていますか。

中島 おかげさまでシェアも少しずつですが伸びてきています。でもね、お金は確かに必要ですが、それ以上に大切なものがあります。われわれが関わることによって、障がいを持つ彼ら彼女らができなかったことができるようになる。しかも、ものすごく喜んでくれる。その顔を見たらもう「やるしかなかろう!」です。あとは、一緒に取り組んでいる大学の先生やいろんな業界の方々から学ぶことも非常に大きいです。

奥田 プライスレスで熱い人たちがつながっている。

中島 そうです。だからやっていると楽しいんです。

奥田 いいことずくめですね。

中島 いやまあ、現実は大変ですけどね。業者扱いされて上から目線でものを言われたり、講演に呼ばれて行ったら、講義中に最前列で聴講者が寝ていたり。

奥田 そういう時、どうするんですか。

中島 わざと、広島弁でまくし立てます(笑)。

奥田 性根入ってますねえ(笑)。

中島 それはそうです。こちらは遊びじゃない、命かけてますから。

奥田 ちょっと東映の映画を観ているようです(笑)。障がい者の方々を取り巻く制度についてはまだまだ変えていかないといけないことが多々あると思いますが、頑張ってください。応援しています。


こぼれ話

 今号の本欄の見出しに“高専魂”という言葉を使った。高専とは高等専門学校の略称である。ほぼ全国の都道府県に1校はあり、技術を専門に5年間学ぶレベルの高い教育機関である。就職先は引く手あまたで、即戦力の若者たちは“高専生”であることを誇りに思っている。私は、全国組織の「高専プログラミングコンテスト」を2006年から見守り続けている。毎年秋頃に2泊3日で行われる競技には全国から参加者が集まる。学生はもちろんのこと、サポート役の先生も一緒になって燃えさかる大会なのだ。中島さんも、話に熱が帯びてくると、まさにこの熱い炎の“高専魂”が全身からほとばしるのである。そのシーンを再現してみる。

 障害者の施設を初めて訪問した時のことである。「こんな稚拙な技術レベルの機器を使っているのか。これではいけん」。衝撃を受けて事業の方向性を決める。「新しい技術をもとに機器の操作性を高めるためのソフト開発を始める」。数年の間、この開発にのみ没頭する。この期間の事業収入はゼロ。社員には給与を支払ったものの、創業者ふたりの報酬はなし。蓄財でしのぐ。完成が近づく。だが、「障害の程度は人によってさまざま」。そこで、個別対応することにした。機器のユーザーは全国に及ぶため、自己負担でサポートに出かけ、ソフト開発を続ける。

 完成の最終段階にたどり着いたところで、大きな障壁が行く手を阻んだ。「目視入力装置は車いすと同じ範疇の設備だから、仕様を変更したらそのつどすべて新しく申告せよ」と福祉関連の役所の担当者は言い放つ。「この時は、爆発しましたね」。この後のてん末は本文をお読みいただきたい。

 「使い勝手のよい機器を安価で提供して多くの障がい者の方に使ってほしい」。個別の状態に機能を対応する。そのため「操作を指導するために現場へ出向き、電話での対応もする」。インタビューの当日、編集のクルーは広島駅に到着して、中島さんに電話を入れた。ところが話し中でなかなか繋がらない。「すみません。サポートの電話対応は長引くんですよ」。明るく大きな声で、ハキハキと語る中島節に「人間、こうありたいものだ」と感心する。人間とは私のことである。人ごとではない。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第265回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

中島勝幸

(なかしま かつゆき)
 1958年、山口県生まれ。国立熊本電波工業高等専門学校電波通信学科卒業後、伊藤忠データシステム、中国管区警察局(現・中国四国管区警察局)、インターソフトを経て、91年、ユニコーン設立。98年、自社開発の電波伝搬シミュレーションシステム『エリアかくべえ』で日本民間放送連盟技術部門優秀賞・映像メディア学会技術振興賞を受賞。2010年から「ITと福祉の融合」をスローガンに「miyasukuプロジェクト」を開始。第1級総合無線通信士、工事担任者デジタル第1種・アナログ第1種の資格を持つ。少林寺拳法は正拳士四段。