• ホーム
  • 千人回峰
  • 【対談連載】サードウェーブ 取締役 eスポーツ推進本部 本部長 前田雅尚(上)

文学と映画とジャズに没頭した少し長めの学生時代――第321回(上)

千人回峰(対談連載)

2023/01/27 08:00

前田雅尚

前田雅尚

サードウェーブ 取締役 eスポーツ推進本部 本部長

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2022.12.7/東京都千代田区のサードウェーブ本社にて

週刊BCN 2023年1月30日付 vol.1955掲載

【東京・外神田発】私が記者としてコンピューター業界を取材していた頃、ゲーム業界がコンピューター業界に近づいてきたことをひしひしと感じた。そして、ダウンサイジングが進んでも世界では鳴かず飛ばずの国内のコンピューターに比べ、海外に進出していくゲームの業界が少しまぶしく感じられたものだ。前田さんが長年在籍していたセガもその一角を担っていたが、当時の話をうかがうと「ローカルな玩具屋が大きくなって、いきなり世界で戦うステージに上げられた感じがした」という。おそらくその感覚は、ある業界や企業が一気にブレイクするときに共通するものなのだろう。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2022.12.7/東京都千代田区のサードウェーブ本社にて

英語で満点を取ったことが
その後の方向づけにつながる

奥田 輝くほどのご経歴ですね。携わっている世界がそれぞれ繊細で美しく感じます。京都の同志社で英文学を学び、茶器の世界で仕事をし、そして映像製作へと……。

前田 いやいや、そんなかっこいいものじゃありませんよ。でも、英語が好きで、それが自分の強みになったことは事実ですね。

奥田 前田さんは現在、サードウェーブでeスポーツ推進事業の責任者を務められていますが、eスポーツのお話をうかがう前に、ここに至るまでの足跡についてお話しいただけますか。

前田 私は高知に生まれ育ちましたが、他の地域に比べ文化的に隔絶しているというか、わが家だけのことかもしれませんが情報面では少し遅れたイメージがありましたね。子どもの頃は、徳島や香川よりテレビのチャンネル数が少なかったですし……。

奥田 高知というのはどんな生活文化的な土地柄なのですか。

前田 半農半漁のDNAがあるせいか、海に出ているとき以外は男が働かないイメージがあります。だから、飲み屋やパチンコ屋が多いんです。私の父は働き者でしたが…。

奥田 お父さんはどんなお仕事を?

前田 ガラス食器店を営んでいました。幼い頃は自分が家を継ぐのだろうと考えていましたが、二代目である父の代で商売を終えました。

奥田 ところで、英語好きになるきっかけは何だったのでしょうか。

前田 小学校の頃の成績は、まったく勉強をしなかったこともあって、図工だけ4で、あとはオール3でした。自分自身、特徴のない、つまらない子どもだと思っていたんです。

 ところが、中学校に入って初めて試験勉強をしたら英語で満点が取れたんです。試験勉強といっても単に教科書を丸暗記しただけだったのですが、このときに100点を取ったことがうれしくて、それ以来、ずっと英語を勉強するようになったんですね。

奥田 これから伸びようという時期のそうした経験はとても貴重でしょうし、その後の人生に影響を及ぼす重要なポイントになるのですね。それで、同志社の英文に進まれたと。

前田 同志社とか英文科にこだわりはなかったのですが、高校時代はとにかく文学部に行きたいと思っていて、他の実学系の学部で学ぶという発想はありませんでした。実は、南沙織やアグネス・チャンのファンだったので、彼女たちが通う上智大学に行きたかったんですよ(笑)。

奥田 とても正しい志望動機だと思います(笑)。それで、大学時代はどんな生活を送られていたのですか。

前田 本と映画なしには、一日が終わらないような生活ですね。

奥田 まさに文学青年ですね。当時は、どんな作家の本を読みましたか。

前田 好きだったのは谷崎潤一郎や「第三の新人」といわれた作家たち(編注:安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作など)です。その後の世代の作家では、村上春樹などもよく読みました。

 好きな映画監督は、黒澤明、宮崎駿、そしてウディ・アレンですが、そのほかの監督作品もたくさん見ましたね。

ひとりで何かをやり続けることは
まったく苦にならない

奥田 英語の勉強にも力を入れられたことと思いますが、本と映画以外に打ち込んだものはありますか。

前田 軽音楽のサークルに入って、ドラムを叩いていました。ジャズですね。

奥田 おおっ、それもかっこいい!

前田 まあ、若者はかっこいいほうに行きたがるものですからね。でも、ドラムを選んだことには理由があったんです。

 一つは、高校生のとき、ドラマーの友人がいたことです。やはりかっこいいなと思いました。それで、大学では音楽もやりたいと思って軽音に入ったら、ギターなどのメインの楽器はもう決まっていて、残っているのはベースやドラムといった少し地味なリズムセクションしかなかったわけです。

奥田 花形の席は、もう埋まっていたと。

前田 そうですね。でも、4年間黙々とドラムの練習をしました。私はひとりで何かをやり続けるのが得意で、それがまったく苦痛ではないんです。

奥田 そういうタイプなら、学究の世界でも成功しそうですね。

前田 そうかもしれません。受験のときも塾に通うことはなくひとりで勉強していましたし、それが限界につながるのかもしれませんが、なんでもひとりでやるタイプでした。

 大学時代、それまでに夏目漱石の作品はいくつか読んでいたものの、漱石全集を読破しようと図書館に通ったことがあったのです。このときは1カ月ほど、いっさい人と話をしていませんでした。気がついたら、ひと言もしゃべっていない。思わず「あー」と声を出してみて、声は出るから大丈夫だなと(笑)。

奥田 前田さんにとって、文学、映画、そして音楽と、大学時代はまさに没頭する対象がたくさんあったわけですが、学業への没頭具合はいかがでしたか。

前田 これも「実は」という話ですが、私は大学に6年間も在籍していたんです。おっしゃるように没頭するものが多すぎて、4年間で20単位しか取得できませんでした。だから、あと100単位以上取る必要があったのです。

奥田 それはちょっとたいへんですね。

前田 そうですね。1年で取れるのが50単位ほどなので、プラス2年で卒業というのもギリギリの線でした。

 それで、4年間続けたドラムは才能がないと見切りをつけてやめ、残りの2年間、単位を取る以外にも何か頑張りたいと考えました。

奥田 何に取り組まれたのですか。

前田 せっかくだから、あらためて英語をしっかり勉強しようと思ったのです。

奥田 なるほど。もともと好きだった英語をきちんと学びなおすことで、前田さんのキャリア形成につながっていったのですね。

 後半では、その後のビジネスのお話についてうかがっていきます。 (つづく)

大切にしている言葉

大切にしていたりお気に入りのモノはないかと前田さんにたずねたところ、モノへのこだわりや執着は一切ないというお話だった。それでも何かないかとお聞きすると、「言葉」を紹介してくれた。

 以下は、前田さんのコメント。

“摂理に沿って生きていれば、必要なものは向こうからやって来るんだよ”
私が勝手に師と仰ぐ入交昭一郎さんの言葉です。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第321回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

前田雅尚

(まえだ まさなお)
 1955年2月、高知市生まれ。81年、同志社大学文学部英文学科卒業。茶器メーカーの外商部員、英会話教室講師・管理責任者などを経て、91年、セガ入社。社長秘書、ライセンス関連事業、コンシューマー関連事業に携わり、執行役員、取締役、セガアメリカ社長を歴任。2013年、マーザ・アニメーションプラネット(セガ子会社)社長に就任。20年、セガグループ退任。21年、サードウェーブ入社。同年、執行役員に就任。22年、取締役就任。