イギリスの王立植物園からも評価された写真集 「Where the Blue Poppies Bloom」――第319回(下)

千人回峰(対談連載)

2023/01/06 09:00

千葉盈子

【対談連載】登山家 千葉盈子(下)

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2022.10.19/神奈川県横浜市のご自宅にて

週刊BCN 2023年1月9日付 vol.1952掲載

【横浜・大倉山発】今回、人の縁を手繰り寄せるというのはこういうことかと、妙に得心させられた。詳細は本文に譲るが、写真集の説明文を英訳することで読者対象を世界に広げ、自身の世界を広げたこともその一つ。偶然の出会いではなく、必然の出会いを千葉さんはつくり出した。とはいえ、それはあざとい「企み」とは異質のものだ。その証拠に、千葉さんの撮る花の写真は美しいが、人々のポートレートはさらにいきいきと美しい。被写体にその思いが伝わらなければ、こんないい写真は撮れないからだ。
(創刊編集長・奥田喜久男)

写真集に英訳を添えたことで
一気に世界が広がった

奥田 千葉さんが出版した3冊の写真集は、すべて同じ判型で、和英対訳の体裁をとっています。私にはそこにこだわりが感じられるのですが、ご自身としてはどうでしょうか。
 

千葉 ありがとうございます。おっしゃるようにこれはとてもこだわりのある写真集で、「行けた・見られた・うれしい」という自分の気持ちを「自分の記録」として残したいと思ってつくりました。

奥田 これは自費出版ですか。

千葉 はい。商業出版ですと、どうしても先方の要望に沿わなければならないことも出てくるため、自分ですべての事柄を決められる自費出版にしたのです。この判型に統一したり、英訳を入れたり、自分で調べてできるだけ学名も入れたりすることもすべて私が決めました。

奥田 和英対訳にした理由は、どんなところにあるのでしょうか。

千葉 キャタピラー三菱で英文速記秘書をしていたとお話ししましたが、その影響もありました。

 当時の日本企業はいまよりもずっと男性社会で、アメリカの会社にもそういう部分はありましたが日本企業よりはフラットで、女性でもやればやっただけ認められて、それは報酬にも反映されました。私にとっては、外国人とのほうが仕事をしやすかったし楽しかったですね。いわば、そこに日本とは別の世界が広がっているように感じたのです。

 そこで、自分の記録としてつくった写真集に英訳を入れれば、その別の世界にいる外国人も反応してくれると思い、こうした形にしたのです。

奥田 たしかにそうすれば、世界に広がりますね。

千葉 でも、英語圏の人々がスムーズに読める英文を書くのは私には無理と自覚していたので、明治大学のマーク・ピーターセン先生に翻訳をお願いしたのです。

奥田 ピーターセン先生とは、何かつながりがあったのですか。

千葉 写真集のタイトルをどうするか考えていたとき、先生の『日本人の英語』(岩波新書)という本がベストセラーになっていました。先生にアドバイスを頂けないかと思い、タイトルを3点考えて手紙を出したのが先生と知り合いになったきっかけです。先生から「Where the Blue Poppies Bloom」のタイトルを選んでいただき、その後写真展にもご案内して翻訳をお願いすることになりました。とてもラッキーでした。

奥田 いわば、何のコネクションもないところからピーターセン先生に体当たりされ、翻訳を引き受けてもらったのですね。

千葉 外国の方はそういうとき、ダイレクトに返してくれることが多いように思います。そこが日本の方との違いでしょうか。

 写真集が完成した後、イギリスのキューガーデン(王立キュー植物園)やアメリカのオーデュボン・ソサエティ(全米オーデュボン協会:自然環境保護団体)などにも送ったのですが、たしかに受け取って蔵書とした旨の返信も来ました。

奥田 苦労して英訳をした甲斐がありましたね。

千葉 驚いたのは、キューガーデンから会報のゲラ刷りが届いたことです。キューの図書館に送っただけなのに私の写真集を評価してくださって、その書評の内容に間違いがないかチェックして返信するようにという手紙でした。また、2冊目の本を出したときは東大名誉教授の大場秀章先生と親しいハーバード大学のボーフォード先生が、TAXONという植物分類の学術誌でレビューしてくださいました。頭の中が真っ白になるくらい、とてもうれしかったですね。

奥田 日本でそんなことは、あまり起こりそうにないですね。

千葉 でも、外国ではそういう対応をするケースが多いのではないでしょうか。だから、こういうこともあり得るんだということを、もっと日本の若い人たちには知ってほしいですね。国内の閉鎖的な世界で権威をあがめているだけでなく、自分のやったことを英訳して発信してみれば、世界がこれまでよりずっと大きく広がるはずです。

現地の人とのふとした会話が
自身を振り返るきっかけに

奥田 千葉さんは、青いケシを求めて何度も高山に入られ、いろいろな状況に遭遇されたと思いますが、なかでも印象に残ったことを一つ挙げていただけますか。

千葉 89年に天安門事件が起こり、簡単には中国に行けない状況が続いたのですが、92年になり、ようやく入れるようになりました。そんな状況で、いつでも行けるわけでないからと、少し焦って計画を立て、現地に入ったのです。

 このときは一人旅で、2通りのルートをつくって現地の旅行社に提示していたのですが、現地に行ってみると雨のため土砂崩れが発生して両方とも通れないことがわかりました。その場で運転手が提案した、花がきれいに咲く山へと南に向かうことになったのです。今回は、青いケシの花は見ることができないと思いました。

奥田 政情も気候も、自分の力ではどうにもならないですものね。

千葉 雨が降り続くなか、山の麓の小屋で待機していたとき、通りかかった彝(イ)族の人が近づいてきました。その人は「僕の息子がアヒルを10羽買ったんだよ」と、とてもうれしそうに話してくれたのですが、辺りが急に明るくなったような気がして、その人がとても素晴らしく輝いて見えたのです。写真を撮ろうとカメラを構えましたが、焦点が合わず、焦りながらシャッターを押しました。ふと、レンズを見ると小さな水滴がびっしりとすりガラスのようについていました。その人は、私に不思議な何かを残して、暮れゆく深い霧のなかへ、家路へと消えていったのです。

奥田 気持ちにゆとりがないときに、ハッと気づかされたと……。

千葉 そのときの写真を2冊目の写真集に収録したのですが、地味ですがとても印象に残る大好きな写真となりました。レビューしてくれたボーフォード先生も、この男性の写真をとても評価してくれました。私の気持ちがわかってもらえたと思いましたね。

奥田 長い人生のなかで、こうした一瞬の出会いが記憶と記録に残ったのですね。そして、自分の気持ちを記録にとどめたいという千葉さんの「こだわり」が、ご自身の人生をより豊かにされたように感じます。

千葉 青いケシを追いかけることでいろいろな方に出会って世界が広がり、また、評価していただいたことは私にとって大きな喜びです。いまは感謝の気持ちでいっぱいですね。

こぼれ話

 ブルーポピーをご存じですか。幻の花『青いケシ』。英名=BLUE POPPY。標高3000~5000mのヒマラヤにひっそりと咲く、天上の妖精。そこは樹林のない岩と土と雪。空は青く白い雲が浮かぶ。時には霧が立ち込める。周囲を見回すと、目の前も遠くも岩山が続く。ふとした時、空気に包まれているような気がする。登山の靴音と呼吸音が聴こえる世界だ。千葉盈子さんは2台の愛機ニコンFAを首から下げて、花を探し求めて歩く。この旅を続けて四十数年になる。コロナのおかげ(?)でひと時の休息を過ごしておられるように感じた。最初はツアーでヒマラヤを歩き、高所登山にも慣れて、カメラワークも盈子さん流が漂う。肩書きは登山家としたが、20年間で3冊の写真集を上梓したカメラマンだ。文章、写真、デザイン、刷りの色合い、判型の決定、印刷経費もすべて自前だ。
 

 いや、ただ一つだけ人の力を借りている。「なぜ、英訳を入れたのですか」「この本を世界の皆さんにも届けたかったのです」と。盈子さんが働いていたキャタピラー三菱の英文速記秘書という職場環境からすれば、世界ありきですべてが動いているからだ。日本の枠内と世界の土俵という「視界の広さと違いをもっと意識すべきよ」「英語は世界の人が目にしてくれるのよ」。この二つの言葉は盈子さんが私に伝えたかったメッセージだ。それだけではない。英語圏の人がスムーズに読める英文を掲載したい(本文参照)と願って、それを実現した人である。

文=登山家/千葉盈子
この青さは星よりの贈り物なのか。優しく花を包む霧の流れの魔力なのか。それとも、激しく吹き抜ける風の仕業なのか。深い青さをたたえて凛と立つ。
英訳=明治大学教授/M.Petersen
What is this blue? A gift of the stars? A magic spell cast by the mist that embraces these flowers so tenderly? Or is it the doing of the wind that passes so fiercely on its way? The flowers of this blue stand imposing and dignified.

 人との出会いは不思議だ。盈子さんがブルーポピーに思えてならない。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第319回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

千葉盈子

(ちば えいこ)
 1934年、大阪生まれ。父の赴任先で日本の統治下だった現在のソウルでの生活を経て、小学校5年生のときに敗戦を迎える。引き揚げ後は、高校卒業まで秋田県雄勝町(現・湯沢市)で育つ。57年、実践女子大学英文科卒業。金属材料技術研究所勤務を経て、キャタピラー三菱(現・キャタピラージャパン)で、長年、ステノセクレタリー(英文速記秘書)を務める。