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一人の学生の変化から始まった 「ベンチャー起業論」――第314回(上)

千人回峰(対談連載)

2022/09/30 08:00

阿比留正弘

阿比留正弘

福岡大学 経済学部 教授

構成・文/浅井美江
撮影/篠﨑真尚
2022.7.21/福岡市城南区の福岡大学にて

週刊BCN 2022年10月3日付 vol.1940掲載

【福岡市発】阿比留先生に会いたい、と思ったきっかけは先生の教え子の松藤大治さんだ。知人の紹介で出会ったのだが、彼は何をするにもとにかく動きがいい。舌を巻くほどの長けた気働きと細やかな身のこなしは、社会人でもめったにできるものではない。こんな学生を育てられた先生にぜひお目にかかりたい。彼にそうお願いすると「はい」の二つ返事で、あっという間に阿比留先生の取材が実現した。松藤さんの同席のもと、対談が始まった。
(創刊編集長・奥田喜久男)

講義の企画から運営まで
すべてが学生主体の組織

奥田 早速ですが、先生の「ベンチャー起業論」の運営組織図を拝見して、「先生は楽(らく)をするために、この組織を考えたに違いない」と(笑)。

阿比留 そうなんです。奥田さん、さすがです。よく気づかれましたね(笑)。

奥田 いや、つい軽口をたたいてしまいましたが、本当によくできていて驚きました。組織の構成が企業の組織そのままで…。これが完成したのはいつ頃ですか。

阿比留 ベンチャー起業論がスタートしたのは1999年ですが、学生主体になったのは2002年です。

奥田 始めるきっかけは何だったんですか。

阿比留 あるシンポジウムに参加した一人の学生に、スイッチが入ったことです。98年当時の通産省が推進していた「若者会社をつくろう」というテーマで、福岡大学で開催したシンポジウムでした。

奥田 スイッチが入ったとは?

阿比留 著名人による基調講演やパネルディスカッションによる構成だったんですが、彼にとってはすごく刺激があったようで。翌週くらいから地元企業の経営者を招いて話を聞くというのを、勝手連的に始めちゃったんです。

奥田 自発的に…。

阿比留 そうなんです。自分で経営者の方に出演交渉したり、参加のビラを作って配布したり。一番すごかったのは、福岡大学の学生全員に案内メールを送ってシステムをダウンさせちゃった。僕が怒られました(苦笑)。

奥田 すごい行動力ですね。

阿比留 さらに彼は、福岡県が主催するビジネスプランコンテストに応募して、学生として初めて発表するまでになった。以前はそんなに積極的なタイプではなかったんです。でも、何か人が変わったように生き生きと動いて輝き出した。

奥田 まさにスイッチがONになった。

阿比留 大化けしましたね。その様子からヒントを得て、学生が主体となる組織と運営体制を構築して、ベンチャー起業論が誕生したわけです。だから僕のアイデアとかではなくて、その学生がやっていたことをそのまま仕組みにしたということです。

奥田 ベンチャー起業論の主なコンテンツは、経営者による講義とビジネスプランコンテストですが、経営者への依頼は先生がされるんですか?

阿比留 はい。そうなんですが、あまり努力をしなくても頼める仕組みをつくっちゃったんです。

奥田 興味ありますねえ。どんな仕組みですか。

阿比留 話していただきたいと思う経営者の方々に、僕の講義枠で非常勤講師をお願いするんです。そうすると、ほとんどの皆さんが喜んでくださって。実は、ベンチャー起業論の関連科目は週に4科目ほどありまして、この講義が1科目あたり30回の講義があります。ですから毎年、100人弱の非常勤講師の方に講義をお願いしております。

奥田 そこですか! なるほど講師としてお願いを。社会貢献になりますしねえ。そうか…(うなっている)。

阿比留 学生も喜びますしね。ただ、僕が依頼をしていたのは最初だけで、ほどなくして学生たちが自らお願いに行くようになりました。

奥田 講義の参加者はどのくらいですか?

阿比留 受講生は300~400人くらいで、他大学の学生や社会人の方もいます。僕は「興味があるのなら誰でもどうぞ」というタイプなので(笑)。

奥田 講義の運営も学生なんですよね。

阿比留 そうです。僕のゼミの学生が運営に当たります。各学年で20人弱ですから、合わせて60~80人くらいですかね。その学生たちがプロジェクトのリーダーを務めます。

奥田 リーダーの育成にもなるわけですね。うーん。いいです。実にいい仕組みです。

エネルギーの総和は一定
誰を頑張らせるか

阿比留 まあ、そんな感じで僕が直接何かを言うよりは、学生同士で進めている感じですね。今、松藤君が務めてくれている「学生代表」も、学生側が言い出してスタートした制度です。

奥田 そうでしたか。では、もう一つのビジネスプランコンテストについて教えてください。

阿比留 開始当初は、社会や個人の不便や不満を解決するという、まあよくある内容だったんです。でも、学生たちが出してくるプランは、ドラえもんの「どこでもドア」とかで解決法もどうも現実的ではない。

奥田 なるほど…。

阿比留 それで方針を変えました。学生が企業を取材訪問して現状を知り、問題を発見、解決、そして改善提案を行うというかたちにしたのです。僕たちはこれを「守・破・離」と呼んでいます。

奥田 千利休ですね。

阿比留 そうです。「守」で企業を捉えて、「破」で学生が感じる違和感のようなものを見つけて原因を追求、「離」で改善提案をして企業のトップにぶつける。

奥田 最初に行った企業はどちらですか。

阿比留 JR九州やHIS、スカイマークですかね。ベンチャー起業論で講義をお願いした企業です。

奥田 ああ、その流れで。

阿比留 はい。特別なことは何もしなくていいので、ただ、新聞記者の取材を受ける感じで、ドアだけは開けてくださいと、社長にお願いをしまして。

奥田 うまい例えですねえ。実際の成果はいかがですか。

阿比留 ある家具メーカーで学生が提案したプロジェクトを実施したところ、売上高が2.5倍になったなど、結構、実績を出しています。

奥田 先生がベンチャー起業論を開始されて20年。学生主体の組織がうまく運営できて、続いているのはどうしてなんでしょうね。

阿比留 先日、あるフォーラムに登壇していただいた植松電機の植松努社長が「阿比留ゼミの学生がなぜ動きがいいのかずっと考えてきたが、結論が出ました」と。

奥田 何だったんですか。

阿比留 「阿比留先生が学生を放置しているからだ。先生が何もしていないから」だそうです(笑)。

奥田 それは先生としては我が意を得たりですか。

阿比留 はい。だって、僕は“何もしないように”しているんですから。通常、教室における経営権は教授がもつべきと考えるんですが、僕は徹底的に学生に委譲した。学生がやるべきことにはできるだけ口を出さず、邪魔をしないようにしてきたら、学生たちが輝き出した。

奥田 よくわかります。いい意味での放置ですか。でもわかっていてもなかなかできないものですが…。

阿比留 総エネルギーは一定ですから、学生に頑張らせようと思ったら、こちらは頑張らないのがいいんです。

奥田 まさに阿比留理論! それ、すごくいい。

阿比留 シンプルですよね。これは学生同士においても同様です。学生代表になった最初はすごく頑張ろうとする。でも、上に立った時ほどあまり頑張るなと言っています。代表は副代表に委譲し、副代表はメンバーにまかせていく。(同席している松藤さんに向かって)何となくみんなに伝わっている気がするね。

松藤 はい。そう思います。(つづく)

活動、運営すべてが
学生主体の組織構成

 1999年にスタートした「ベンチャー起業論」の組織構成図。学生代表をトップとする執行部が、講義運営とプロジェクトを統括する構成はまさに企業と同じ。組織の頂点に立つ「学生代表」は、現在の松藤さんで23代目。そんな学生たちを、阿比留先生はただただ温かく見守っている。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第314回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

阿比留正弘

(あびる まさひろ)
 1953年5月生まれ。77年、青山学院大学経営学部入学。在学中、恩師である柴田敬教授が提唱する「経済学とはSocial Pathology=社会病理学」に感銘を受ける。卒業後、大阪の証券会社に勤めるも、仕事に疑問を抱き、退職。改めて経済学者を目指し、85年、筑波大学大学院で社会科学研究科 経済学博士後期単位を取得し満期退学。同年、福岡大学専任講師に就任。産業組織論、応用ミクロ経済学を専門とし、99年より「ベンチャー起業論」の講義を通して起業家育成教育を開始。