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人に会うこと、笑顔でいること そして身体をつくること――第313回(下)

千人回峰(対談連載)

2022/09/16 08:00

福山賢一

福山賢一

VSQ 副部長 プロデューサー

構成・文/浅井美江
撮影/南 壽郎

週刊BCN 2022年9月19日付 vol.1939掲載

【福岡市発】取材に際し、福山さんはさまざまな資料を用意してくれていた。びっしり書き込まれたノートや手帳、付箋だらけの写真集等々。対談中、これまで幾度か仕事に関して不思議な“引き寄せ”があったという。それは決して偶然や幸運などではない。テーブルを埋め尽くすほどの資料に見る膨大な情報を分析する力、旺盛な好奇心とフットワークの良さ、そして何より福山さんの仕事に向き合う濃密な熱量が人を引き寄せたのだと確信する。
(創刊編集長・奥田喜久男)

個人の想いが仕事につながる
不思議な引き寄せ

福山 僕、こういう取材を受けるのは初めてなので、何か用意したほうがいいのかなと思って(と言いながら、大量のノートや手帳、DVDなどを机に広げる)。

奥田 ありがとうございます。すごい量ですね。キャンパスノートだけでも10冊…。

福山 これ、ほんの一部です。ノートや手帳が自宅の倉庫に入らなくなって、趣味で描いた油絵と一緒に妻の実家に持っていかれました(笑)。

奥田 ノートの中身は何ですか。

福山 これまでのことやこれからのこと、撮りたい映画の構想とか。映画を観る時も手元に手帳を置いて、いいと思ったシーンやセリフを書き留めています。

奥田 なるほど。そうして書き溜めたものが倉庫に入らなくなったということですか(笑)。

福山 (写真集を見せて)これはブラジル出身のセバスチャン・サルガドという写真家が撮影した『WORKERS』です。労働者に対するオマージュだと。

奥田 いいですねえ。エネルギーをもらえますね。ところで、福山さんはこうした映画や写真集の何を観ておられるんだろう。撮影の手法とか?

福山 何でしょうか。ほんとうに何を観ているんだろう(しばし考えて)、自分が何に惹かれていくか観察するというか…。

奥田 自分調べかな。

福山 あ、そうですね。自分自身の観察。何が好きか、何に反応するのか。それはかなりしていますね。

奥田 その作業を長く継続していくといろんなことに気づくし、ビックリするようなことに遭遇しますよね。

福山 あります。個人的にやりたい企画があってノートに書いていたら、ほどなくしてそれに関する仕事の依頼が来たとか。

奥田 引き寄せですね。どんな企画ですか。

福山 バルセロナにある「サグラダ・ファミリア」に関するものです。コロナ禍もあって調整中なんですが、個人的に考えていたことに仕事のほうからやってきて驚きました。実は、以前も似たようなことがあって。

奥田 聞かせてください。

福山 たまたま趣味で油絵を描き始めたら、ほどなくして、それを使ってアニメーションをつくらないかとか。すごかったのは、大好きな海外の映画監督の話を知人にしていたら、翌日その監督の映画の仕事が来たこと。鳥肌が立ちました。

奥田 引き寄せましたね。そういうご縁はすごくわかります。僕もこれまで何度か体験しました。時折ですが、神がかり的なことが起きませんか。

福山 やっぱり、そうなんですか!

奥田 ところで、その監督とはどなたですか。

福山 メキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督です。映画は『バベル』。たまたま東京で撮影する時で、短い期間でしたが助監督として参加させていただきました。

奥田 ほかに好きな監督は?

福山 『男と女』のクロード・ルルーシュ監督、『パリ、テキサス』のヴィム・ヴェンダース監督も好きです。僕、好きな監督が来日されると必ずといっていいほど、会いに行くんです。ルルーシュ監督にはサインもいただきました。

奥田 どうやって会うんですか。

福山 来日されると、たいてい講演会とかサイン会があるので、それに合わせてどこにでも足を運びます。

奥田 サイン会に行く。監督と福山さんが相対して視線が合う――会うってすごい情報量ですよね。その人の姿そのものがその人である。

福山 おっしゃる通りです。プロデューサーとして“人”に会うことが仕事だと思っています。

奥田 僕も「人とは何ぞや」の解を求めて、千人に会おうと決めたんですが、対談相手には絶対に会いますね。その瞬間に感じるんです。

福山 千人に会う。すごい。奥田さんの人生をかけたプロジェクトなんですね。

奥田 いや、道楽です(笑)。

チームを育てて優勝し、
みんなで「よっしゃ!」と喜びたい

奥田 福山さんは初めての人と会って、何分で親しくなれます?

福山 うーん。どうでしょう。特に考えたことはありませんが割と早いかもしれません。

奥田 何か心がけていることはありますか。

福山 何だろう…。あ、楽しそうにしているのが一番だと思っているので、基本的に笑顔でいるようにしています。映像をつくる側の雰囲気が作品に投影されてしまうので、撮影現場でも日々笑顔を心がけていますね。

奥田 ほかに気をつけていることは?

福山 身体を鍛えることですかね。映像を撮るって本当に体力勝負なので。イニャリトゥ監督の映画制作に参加した時、メキシコのスタッフが見事に筋骨隆々で、これはトレーニングしているなと(笑)。なので、仕事の合間にスクワットをしたり、出社前に走ったりしています。

奥田 福山さん、今おいくつ…。

福山 今年47歳になります。

奥田 うーん。先は長いですね。小さな声でお尋ねしますが(笑)、独立は?

福山 うーん。僕はみんなでつくるのが好きなので…。人が多いほうが大きなこともできますし。

奥田 なるほど。これからやりたいことは何ですか。

福山 自分のチームを育てることでしょうか。これまで勉強してきたことを福岡の良さと合わせて、僕たちならではのものをつくり上げていきたいです。

奥田 チームプレイがお好きなんですね。

福山 そうですね。大学でバスケットボール部のキャプテンやってましたし、一人でやるよりみんなでやっているほうが楽しいです。寂しがり屋なのかな(笑)。

奥田 いや、わかります。“みんなでやる”のは楽しいですよ。

福山 今のテーマは「優勝したい」です。みんなで「よっしゃ!」と喜びたい。そう言えば『流れ星新幹線』は、今年のADFEST(アジア太平洋広告祭:Asia Pacific Advertising Festival)で金賞をいただきました。

奥田 それはおめでとうございます。

福山 ADFESTは1998年に創設されたアジア太平洋地域を代表する広告祭の一つなんですが、葵プロ時代に銅賞を、VSQで2015年に銀賞をもらっていて。

奥田 今年で金銀銅が揃ったと。大したもんです。

福山 ありがとうございます。でも、まだ上に部門最高賞のGRANDEがありますから。

奥田 頑張ってください。福山さんの先行きが楽しみですが、30年後はどうなっているでしょうね。

福山 山田洋次監督が何かのインタビューで「70歳を過ぎてから、映画の中に思いついたことをどんどん取り入れられるようになった。歳をとったから、いろんな作品が作れるようになった。若いときって、とても慎重」とおっしゃっていたんです。だから、僕もそこまでは修業と思って頑張って、70歳から、さらに自由に撮れるように鍛えておこうと思います。

奥田 まだしばらくは修業が続くわけですね。今日はいろんな話ができて実に楽しかったです。

福山 いえ。こちらこそ本当にありがとうございました。

こぼれ話

 記憶は曖昧なのだが、6歳ぐらいだったと思う。勝川(愛知県)にある母親の実家に遊びに行った時だ。その家から王子製紙の春日井工場が遠くに見える。いつも白い煙を吐いていた。工場の手前を細長い箱の形の汽車が走っていた。ピィー、シュッシュ、ボォ~。そんな音がよみがえる。どんなものか見たいので、線路脇まで歩いた。踏み切りの手前で待っていた。黒い塊が“ボォー”と唸りながら目の前を通過した。見上げるほど大きな車輪が回っている。怖いほどの力強さを感じた。夜になると、布団の中でカタン、コトン、ピィーと走り抜けるかすかな音を聴きながら眠った。その頃に “乗り鉄・奥田喜久男”のルーツがあったのかもしれない。日本全国鉄道路線図は旅の必携品だ。九州に新幹線が走って11年。博多駅から鹿児島中央駅だ。乗ってはみたものの、旅は鈍行に限る、と思った。時は流れて、ある時、『流れ星新幹線』の番組に出会った。「流れ星」という言葉が気になった。映像が始まって、すぐに引き込まれた。あれっ⁉ なんだか、うるっときているぞ。 

 突っ走る新幹線の窓から、いく筋ものサーチライト光が夜空に舞う。舞いながら新幹線は高速で視界に入り、あっという間に目の前から遠ざかり消えていく。その姿は意思を持った生き物だ。走り去るまではほんの数回の呼吸だ。沿線で見守っている人たちは、いつの間にか夜空に羽ばたいて見える新幹線に手を振っている。新幹線と人が語らっているのだ。ふと思った。この光景は何かに似ているぞ。そうだ、灯籠流しだ。速度こそ違え、目の前に流れる光景が記憶の奥深くを刺激しながら、密かに大切にしている思い出を甦らせてくれる。追憶は、時には心を洗ってくれる。この刺激にうるっときたわけだ。この映像を創った人って、どんな人だろう。会いたいと思った。思い続けた。そして会えた。その人こそプロデューサーの福山賢一さんだ。撮影クルーは緻密な打ち合わせをする。回を重ねながらシナリオを作り込む。素材は現場のその瞬間にある。撮影現場では個人の技で収録する。持ち寄って映像を視覚と聴覚で仕立て上げる。そのプロセスは、常にチームプレーと個人技の繰り返しだ。繊細にして体力のいる作業だと思った。目の前にいる福山さんは文字通り体育会系男子だ。どこにその繊細さが潜んでいるのだろうか。 

 話が進むにつれて、脇の袋から資料がそのつど、次々に机上に置かれる。これもあれも。思いつきメモ用ノート、推敲しながらまとめる大学ノート、判型がさまざまな写真集、好きな監督のサイン入りDVD。思わず「重かったでしょう」。それぞれの数は半端ではない。『千人回峰』の取材のために、資料を倉庫から選りすぐって持って来ていただいたようだ。これだけの資料は相当重いはずだ。そういえば、撮影機材の重さで鍛えられているのかな。やはり体力が勝負どころだ。もう一度繰り返すと、資料はオフィスの棚ではなく倉庫から持参されたものだ。「資料があまりに多いため、自宅でなく倉庫に保管しています」。そうすることで家庭が円満に落ち着いている、と微笑む。福山さんは資料の蒐集家であるだけではない。まずは“思い”が湧いてくる。あらゆる活字に目を通す。あらゆる関連映像を見る。すると次なる思いが湧きだしてくる。クロード・ルルーシュ監督に会ってみたい、サグラダ・ファミリアを見てみたい、思い立ったら吉日だ。行動する。そこでまた資料が増える。読み込みながら、次の意(おもい)が湧いてくる。そして移動する。やはり体力が必要だ。「仕事の合間にスクワットをしています」と。インタビュアーの私の目の前には、日焼けした筋肉の盛り上がった笑顔のバスケット選手がいる。こうした表現がぴったりだ。福山さんの繊細さはその筋肉の中にすべてが内包されている、はずだ。会話が弾むと、心の襞(ひだ)に、分け入ってくる。最後になって福山さんのひと言を思い出した。出水市で撮影しながら「僕も泣いていました」「なぜ?」「皆さんが涙を流していたんです」。 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第313回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

福山賢一

(ふくやま けんいち)
 1975年12月、鹿児島県加世田市(現・南さつま市)生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)ドイツ語卒。大学時代はバスケット部キャプテンとしてチームを率いた。99年、葵プロモーション(現・AOI Pro.)に入社後、大阪の映像制作会社を経て、2013年西日本最大級の総合映像プロダクションVSQに入社。映像プロデューサーとして、CM、ドキュメンタリー、プロモーション映像等の制作に携わる。アジア太平洋地域を代表する広告祭ADFESTでのゴールド、シルバー、ブロンズ賞をはじめ、ACC賞(ゴールド)、ギャラクシー賞、JAA広告賞(グランプリ)など、手掛けた作品は国内外で受賞多数。興味のある分野はスポーツ、身体表現、映画、音楽、油絵、クレヨン画、言語、食等々。

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