次の社長に必要なことは 強いリーダーシップのみならず ミッションをきちんと果たすこと――第284回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/06/18 08:00

柴田幸生

柴田幸生

エレコム 常務取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2021年6月21日付 vol.1879掲載

【東京・九段発】共通の故郷である岐阜の話をしていたら、柴田さんの思わぬルーツが浮かび上がった。なんと、織田信長に仕えた戦国武将の柴田勝家につながる家系だという。そのうえ、「菩提寺に伝わる家系図を見ると、勝家の系統は分家で、私の家のほうが本家らしい」とのこと。勝家は後に秀吉に敗れたとはいえ、いわばナンバー2として織田家を支えた重臣だ。そんなことを考えていたら「先祖は織田に、私は葉田に仕えるようになったんです(笑)」と柴田さん。呆れてしまいます。
(本紙主幹・奥田喜久男)

創業経営者の強いリーダーシップ
による経営から社員一人ひとりが牽引していく経営に

奥田 柴田さんは社長就任にあたって、自分にしかできないミッションを果たしていくだけとおっしゃいましたが、そのミッションとは具体的にどのようなものでしょうか。

柴田 ご承知のように、エレコムはこれまで葉田(順治社長)のリーダーシップを原動力に成長してきました。多くの意思決定は、トップダウンによりなされてきたと見られがちです。それは葉田が創業経営者であることから当然ともいえるのですが、アナリストなどからはそのトップダウンと見られる経営が最も大きな経営リスクであると指摘されています。葉田がいなくなったらエレコムの経営はどうなってしまうのか、というわけです。

奥田 それは、一様に成功を収めた創業社長に共通する企業経営の課題ですね。

柴田 私は、葉田のような圧倒的なリーダーシップを持ち合わせていません。そこで、これまでのようなトップが先導する経営から、社員一人ひとりがそれぞれ会社を牽引していく意識を高める必要があると考えました。そうした組織に変えていくことが、私にしかできない最も大きなミッションです。

奥田 創業者だけに頼っていては、世代交代は進まないと。

柴田 おっしゃるとおりですね。今後、会社を永続させていくためにどうすればいいかと考えたとき、新たなカリスマ人材を育てるか、社員一人ひとりの意識を高める経営に徹するかという二つの選択肢が浮かび上がりました。でも、カリスマを育てるというのはあまり現実味がありません。それに対して後者は、私自身、組織づくりの経験もあることから可能です。ここで会社の仕組みを変えることが、ゴーイング・コンサーンにつながるのです。

奥田 上場企業にとっては、それはとくに大事なことですね。

柴田 もう一つの大きなミッションは、事業ドメインの明確化を図ることです。これは原点回帰といってもいいでしょう。つまり、これまで広げてきた事業領域を整理して、必要があれば軌道修正を行い、経営リソースを集中させるということです。思い入れのあるそれらの事業に関わった葉田本人が整理するより、私が整理したほうがいいと思いました。

 こうしたことにより、エレコムを永続的に成長する会社とすることが、私の役割だと思っています。

奥田 柴田さんは、会長と社長の役割分担をどう考えていますか。

柴田 葉田が会長になるといっても、まだまだ現役の経営者であり、既存事業は各事業会社の経営者に任せるものの、今後は国内における新事業の展開や海外事業への再挑戦をすると明言しています。ですので、グループ全体の事業展開に関しては引き続き葉田が取り組み、私はエレコムの事業について責任を持って進めていく予定です。

会社の方向性を見直す契機と
なったクレドと行動指針

奥田 柴田さんの目から見て、エレコムという会社はどんな会社で、どのように変化してきたのでしょうか。

柴田 エレコムは葉田がかつて材木を扱っていた関係で、パソコンラックのメーカーとしてスタートしたわけですが、創業した1986年前後は“ベンチャー=パソコン事業”という時代でしたから、一番伸びている活気ある業界で勝負しようという思いがまずあったのだと思います。

 ですから、当初は会社を大きくすることが最大のミッションであり、事業拡大に際して「イチかバチか」感がありました。

奥田 なるほど、熱気あふれる時代ですね。その後、会社として何か転機はあったのですか。

柴田 当社は、2006年11月、ジャスダック市場に上場したのですが、この頃から「クレド」と「行動指針」の策定を始めました。これには、ずいぶん時間をかけましたね。

 09年にできたクレドには「成長」をキーワードとした葉田の思いが詰まっており、単に会社の成長を目指すというものではなく、従業員個人の成長や事業を通じたステークホルダーへの貢献などについてもしっかりと謳われています。エレコムの存在価値を表現したものといえるでしょう。

奥田 クレドやその策定プロセスを通じて、会社は変わりましたか。

柴田 変わりました。このプロセスによって葉田がエレコムで何をしたいのかが明確になり、会社の方向性やあり方も変わりました。少なくとも「イチかバチか」感はなくなりましたね(笑)。従業員やその他のステークホルダーを尊重しながら、企業と個人が成長し続けていかなければならないということが、はっきりと意識できたのだと思います。

奥田 私はこの業界を長くウォッチしてきて、経営者としても同じ時代を生きてきましたが、未来予測が困難な市場で、当初は自分の思いだけを頼りに「イチかバチか」で行くしかなかったことはよくわかります。そして、会社として存続していくために、社会の中で自社の役割を果たすことが必要だと気づくこともまた大切だということですね。

柴田 そうですね。そういう段階を踏むことは、企業にとって必要なのでしょう。

奥田 ところで、柴田さんがご自身で優れていると思うのはどんなところですか。

柴田 おそらく、Win-Win志向であるところですね。つまり、社内でも対顧客の関係でも、どちらかが得をしてどちらかが損をするというのではなく、うまく調整することで全体的によくしていこうということです。だからセクショナリズムは嫌いですし、全体のスループットをよくするための組織づくりや人の配置を考えることは得意だと思います。

奥田 改めてうかがいますが、社長になるということはやはりうれしいものですか。

柴田 葉田から後任として指名されたことはたしかにうれしいことでしたが、その大変さを知っているだけに手放しでは喜べませんでした。前にもお話ししましたが、私は葉田の真似はできませんし、カリスマ性もありません。だから、その話を聞いてから何日間か眠れなかったくらいです(笑)。

 3月下旬に開いた社内の経営方針発表会では、幹部社員たちに「私に頼らずとも一人ひとりが成長を目指せ」と話しました。すると、さっそく葉田からは「社長なんだからもっと強くリーダーシップを示していい」と苦言を呈されましたが(笑)。

奥田 あくまで謙虚な柴田さんですが、これからはナンバー2ではなく、ナンバー1としてのご活躍を祈念しております。そして、エレコムが今後どう変わっていくのか楽しみに注視していきたいと思います。

こぼれ話

 ときどき、生まれ故郷に帰りたくなる。私の場合は、神社の裏を流れている天神川だ。そんな時ってありませんか。子どもの頃に遊んだ“場”に身を置いて、友達や家族との出来事をぼんやり思い出し、ほくそ笑んだり、少し感傷的になったりしているうちに、心がお腹の下あたりで居心地よくなっている。

 ある時のことだ。エレコム創業者の葉田順治さんに招かれて、大阪ミナミの法善寺横丁にある、とあるお店で柴田幸生さんと会った。このお店は料理の味もさることながら、盛り付けされる器を見ていると、ヨダレが垂れそうになる。見惚れていると、「彼がシバタです。営業の片腕」と紹介された。その後、開発の片腕にも会った。この布陣こそ、エレコムが勝ち上がってきた首脳陣だ。エレコムは周辺機器・サプライメーカーとしては後発である。そこで「絶対、一番になってやる」と息巻く。口先だけではない。全身をクネクネさせながらの葉田節だから、迫力満点で、見応えがある。

 少し葉田さんについて語ろう。三重県熊野市生まれ、実家は木材業で財を成したものの倒産。こうした経験が、“なにくそ”精神を培ったのだろう。時折見せる、物静かな時の横顔には、ぼんぼん風の味が漂う。このギャップはいつまで続くのか。身につけるものは、本人の弁によるとイタリアの高級ブランド。そう見えないところが、この人らしい。エレコムの商品は「デザインで勝負」すると言い続けて、ついにその価値を消費者が認めた。葉田さんの公私にわたる高級趣味が養分となって花開いた。実家の再興という強い思いも見え隠れした。その規模に追いつき追い越して、その先に社長交代があった。

 柴田さんは2月のある夜、突然電話をもらった。「社長を譲る」。候補を削っていったら「シバタが残った」と、人選の経緯を苦笑いしながら柴田さんが教えてくれた。なんとも葉田さんらしい。

 そうだ、柴田さんの印象を三つ述べよう。1)営業でこの人の右に出る人物はそんなにいないだろう、2)葉田さんの持論の具現者である、3)少し身だしなみがゆるい。そんなに外れていないと思う。会食の場は数寄屋造りの小部屋。条件が揃っている。盃を交わしながら、「柴田さん、お生まれは?」「岐阜です」「ほぅ、高校は?」「通学では天神川の脇を走っていました」「ギザン(岐山高校)なの?」「そうです」「よし、校歌を歌おう」「忘れました」「この大バカもの」雲晴れて金華山 みどりあかるく 波清し 長良川 かがやくところ……。これからが大仕事。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第284回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

柴田幸生

 1963年3月、岐阜県岐阜市生まれ。81年3月、岐阜県立岐山高等学校卒業、85年3月、立命館大学経済学部卒業。86年11月 エレコム東京営業所所長。94年11月、取締役。2003年7月、ELECOM KOREA CO.,LTD.代表理事(現任)。11年6月、常務取締役営業部長(現任) 。11年7月、ハギワラソリューションズ取締役(現任)。13年11月、ロジテックINAソリューションズ取締役(現任)。15年4月、エレコムサポート&サービス代表取締役(現任)。17年3月 DXアンテナ取締役(現任)。

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