正反対のタイプだからこそ 創業者を支え、共に歩むことができた――第284回(上)

千人回峰(対談連載)

2021/06/11 00:00

柴田幸生

柴田幸生

エレコム 常務取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.5.12/東京都千代田区のエレコム東京支社にて

週刊BCN 2021年6月14日付 vol.1878掲載

【東京・九段発】1970年代から80年代にかけて、パソコンの本格的な普及を控えて多くのコンピューター系企業が誕生した。そのうち、幾多の激烈な戦いを勝ち抜き、今日まで生きながらえた企業は、もはや創業30年、40年の老舗だ。それは、創業経営者が次代の経営者に襷をつなぐ時期に差しかかったことをも意味する。今年、創業35周年を迎えたエレコムもその一社だ。6月23日の株主総会で創業経営者から襷を受ける柴田幸生常務に、その心中を存分に語ってもらった。
(本紙主幹・奥田喜久男)

金曜日の夜9時
突然かかってきた一本の電話

奥田 今年は5月に創業35周年を迎え、6月の株主総会で柴田さんが新社長に就任されるという、エレコムにとって大きな節目の年となりましたね。

柴田 そうですね。でも私自身は、社長を継ぐことなどこれまで考えたことはなく、もちろんそうした素振りを見せたこともありませんでした。本当に突然で、急な話だったんです。

奥田 柴田さんの社長就任は、既定路線ではなかったのですか。

柴田 葉田(順治社長)が後継についてどう考えていたのかはわかりませんが、2月の最終週の金曜日の夜9時、葉田からいきなり電話がかかってきて「もうおまえしかおらんから(社長職を)渡す。消去法や!(笑)」と。

奥田 「消去法」とは、またずいぶんな物言いですね。葉田さんらしいと言えば葉田さんらしいですが……。

柴田 この人事についてのプレスリリースを出したとき、私が社長に就任することと同じくらい、葉田が会長になることが大きなニュースになりましたから、そんなところかもしれません(笑)。

奥田 なるほど。ここで新社長の抱負をお聞きする前に、エレコムの創業者である葉田社長との縁についてお話しいただけますか。

柴田 私は大学卒業後、あるメーカーに就職して営業職に従事していたのですが、そうした仕事のつながりの中で葉田と知り合いました。エレコム草創期の話です。

 あるとき、いま勤めている会社を辞めようと考えていると伝えると「それなら、うちに来い」と。名古屋駅で待ち合わせ、会ったとたん「おまえ、靴汚いなぁ。営業マンはそれじゃあかんで」といきなりかまされ、駅前の焼き鳥屋で口説かれました。だから、私の採用経費はたった2000円だったそうです。

奥田 焼き鳥屋の飲み代? それは、だいぶ安上がりなリクルーティングですね(笑)。

柴田 その後、私は東日本の営業責任者を任され、秋葉原の家電量販店のマーケットで販路を開拓していきました。

奥田 ということは、葉田さんとはもう35年以上一緒に仕事をしてきた仲で、この表現が適切かどうかわかりませんが、柴田さんは営業の最前線に立ちつつも、番頭さんのような存在だったわけですね。

小学生の頃から相対性理論に接する数学と物理の天才

奥田 ところで、以前お会いしたとき、岐阜出身の私と同郷で、出身高校(岐阜県立岐山高校)まで同じだったことを知り驚きました。学生時代はどんなタイプだったのですか。

柴田 あまり勉強はしなかったのですが、数字には強かったですね。結果的には私大文系に進みましたが、高校時代は普通科の理数コースでした。高校最後のテストで、普通科とは別に設けられている理数科の生徒を含め、物理が一番、数学が二番か三番、化学が五番か六番でした。このときは、医学部に進んだ同級生にも勝ったんですよ。

奥田 優秀な後輩がいてうれしいなぁ。

柴田 小さい頃から「数学と物理は天才だ」と、学校の先生から言われていました。他の生徒が解けない数学の問題が解けて、それも人とは違う解き方だったため、101点をもらったこともありました。本当は105点だったのですが、別の問題でつまらぬミスをして4点引かれていたんです(笑)。先生にどうして101点か尋ねたら「おれも考えつかないような解き方だったから」と。

奥田 100点満点に5点プラスですか。なかなか粋な先生ですね。

柴田 高校の物理や化学の授業でも、やたらと難しい問題を出す先生がいたのですが、クラスでその問題が解けたのはだいたい私だけでした。

奥田 それはすごい! 柴田さんには、何か理系の学問に強くなるような土壌があったのですか。

柴田 小学生の頃からSFが好きだったので、ハヤカワ文庫の「ローダン・シリーズ」に夢中になったり、相対性理論、ビッグバンやドップラー効果といった事象についても興味があって、そうした本をいろいろと読んだりしていましたね。

奥田 小学生なのにアインシュタインの相対性理論ですか。やはり、早熟というか天才だったんだ。

柴田 高校卒業後は名古屋大学に入って物理の研究をし、中部エリートの道を歩もうと思っていました。でも共通一次試験で失敗して、結果的には立命館大学の経済学部に進みました。

奥田 でも名古屋大学に受かっていたら、おそらくエレコムの社長になるようなことにはなっていなかったでしょうね。

柴田 そうですね。中部地方のメーカーに入って、技術者になっていたのではないかと思います。ただ、出身大学は文系ですが理系的な考え方ができるので、そこは自分の強みですね。

奥田 そうした側面は、これまで葉田さんを支えてきた一つの要素なのでしょうね。

柴田 そうかもしれません。葉田と私は、ある意味すべて正反対なんです。

 もともと葉田は、裕福な材木問屋の家系で、熊野から芦屋に移り住んで中学から甲南に通いました。それに比べ、私が通った当時の立命館はいまとはまったく雰囲気が違い、とにかく学費の安い大学だったんです。だから、私を含め、キャンパスには汚いジャージをはいた貧乏学生がたくさんうろうろしていました。

奥田 葉田さんも経営者としてたいへんな苦労をされ、現在のエレコムを築き上げてきましたが、同じ苦労をされてきたとしても、バックボーンも違えば得意分野も違うと……。

 それに、失礼を承知で言えば、カリスマで直感型の葉田さんと冷静で温厚な柴田さんというタイプの違いもある。もしかしたら、それが長年うまくやってこられた秘訣なのかもしれませんね。

柴田 そうですね。葉田からも「自分にない部分は任せる」と言ってもらえましたから、それが35年以上、一緒に経営に携われた理由の一つだと思います。

 もちろん、創業経営者とサラリーマン社長の違いは重々承知しており、社長になったからといって私が葉田の真似をできるわけではありません。そうしたことを踏まえ、私にしかできないミッションを果たしていくだけと思っているんです。
(つづく)

高校の卒業アルバム

 本文でもふれているが、柴田さんが卒業した岐阜県立岐山高校は、インタビュアー奥田の母校でもある。「先輩に敬意を表して、実家から持ってきたんですよ」と柴田さん。ちなみに同校の校歌の歌詞は、著名な歌人で国語学者の土岐善麿によるものだ。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第284回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

柴田幸生

(しばた ゆきお)
 1963年3月、岐阜県岐阜市生まれ。81年3月、岐阜県立岐山高等学校卒業、85年3月、立命館大学経済学部卒業。86年11月 エレコム東京営業所所長。94年11月、取締役。2003年7月、ELECOM KOREA CO.,LTD.代表理事(現任)。11年6月、常務取締役営業部長(現任) 。11年7月、ハギワラソリューションズ取締役(現任)。13年11月、ロジテックINAソリューションズ取締役(現任)。15年4月、エレコムサポート&サービス代表取締役(現任)。17年3月 DXアンテナ取締役(現任)。