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  • 【対談連載】芝浦工業大学 システム理工学部 環境システム学科 教授 増田幸宏

教員自身が挑戦する生の姿を見せているからこそ学生に教え、ともに考えることができる――第281回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/04/30 00:00

増田幸宏

増田幸宏

芝浦工業大学 システム理工学部 環境システム学科 教授

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.2.25/埼玉県さいたま市見沼区の芝浦工業大学大宮キャンパスにて

週刊BCN 2021年5月3・10日付 vol.1873掲載

【埼玉・大宮発】先を見通すことが困難な時代にあって、増田さんが研究しておられるレジリエンスの考え方はとても参考になる。その詳細は本文に譲るが、予測困難だからこそ計画通りにいかないことを前提とし、「災害に勝つ」のではなく「災害に負けない」というスタンスを持つのだという。発生して丸10年が経過しても十分な復興に至っていない東日本大震災や昨年来のコロナ禍など、私たちは現在進行形の危機に囲まれている。だからこそ、冷静になって生活や社会の本質を考える必要があるのだろう。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.2.25/埼玉県さいたま市見沼区の
芝浦工業大学大宮キャンパスにて

レジリエンスを考えるうえで大切なこと

奥田 増田さんの研究テーマの柱に建築・都市のレジリエンスがありますが、レジリエンスについてわかりやすく説明していただけますか。

増田 レジリエンスは日本語に訳しにくい概念なのですが、一般的には「回復力」「復元力」といった意味で用いられます。例えば、材料科学の分野で弾性のある物質の復元力であるとか、心理学分野では気持ちの落ち込みから立ち直る力をレジリエンスと表現しますが、一般的にもよくこの言葉が使われるようになったのは2000年くらいからですね。

奥田 それを建築に当てはめると、どういう意味になりますか。

増田 大きな地震などが起きても、致命傷になるような損傷や障害を食い止めて踏みとどまり、さらに立ち上がって、求められる建物の機能を取り戻していくことが建築のレジリエンスといえます。

 災害によって人が亡くなったりケガをしたりしないということは最も大事なことですが、病院であれば医療機関としての機能、自治体の庁舎であれば行政の機能を継続、回復させることもまた大事だということです。私たちは、そういう力を建築物にシステムとして備えることができないかという試みを行っているわけです。

奥田 こうした問題を考える際には概念的な発想が先に出てきがちですが、より具体的なポイントとなる要素を三つほど挙げていただけますか。

増田 まず、時間の経過に応じて適切に対応できるかということです。災害というと短時間の勝負と考えがちですが、例えば原発事故のようなケースでは長期間の戦いとなります。私はBCP(組織の事業継続計画)の普及促進のための活動にも関わっていますが、レジリエンスということでは時間の要素を考慮することが求められると思います。

奥田 なるほど、原発事故に限らず、水害などの大規模災害も完全に復旧するまでは長期戦ですものね。

増田 次に挙げられるのは、災害の渦中にある人が、いまどんな状況にあるかを知ること、つまり情報が大事だということです。

 私たちは、地震の際に、高層マンションにおける電気・ガス・水道などのライフラインの状況を建物の中のモニターで確認できるシステムを開発しました。これにより、慌てて外に避難して、かえって危険にさらされるようなことが回避できるわけです。このように、情報の入手ということでは、技術によって多くの部分がサポートできるものと思います。

奥田 それが、増田さんが提唱されている「逃げずに、とどまる防災」を実現するのですね。

増田 もう一つ要素を挙げるとすれば、あらかじめ物事の優先順位を決めておくことが重要だと思います。つまり、人命の安全確保は最優先事項ですが、災害という厳しい状況にあってそのほかにできることは限られてきます。そのため何をすべきなのか、基準をあらかじめつくって、それを共有しておくことが求められるわけです。

ライブ感を大切にしながら
オンラインの利点も取り入れる

奥田 今回のコロナ禍で大学も大きな影響を受けたと思いますが、こちらではどのような状況でしたか。

増田 芝浦工業大学は、比較的早めの対応ができたと思います。コロナ前からオンライン授業の基盤となるLMS(Learning management system)や授業収録などの仕組みはある程度整っていましたが、もちろんこんな大がかりに利用することは初めてでした。本格的に新しい学修方法の検討を始めたのが昨年3月で、4月は出校の自粛、5月の連休明けからオンラインで授業を再開しました。

奥田 オンライン授業になって、何が変わりましたか。

増田 私は、授業をするときのライブ感を大事にしてきました。授業前には頭と心を整えて、舞台に上がる役者のような気持ちで教室に入り、講義中は学生の表情を見て、自分の話している内容が響いているか、伝わっているかと確かめていたのです。ところがオンラインになると、顔出しをしないルールができたこともあって、学生たちの表情が見えず、ずいぶんとまどいました。

奥田 やはり勝手が違いますか。

増田 そうですね。でも、オンラインのほうが出席率は上がりましたし、学生たちは以前よりもしっかりと授業を聞いていました。なぜ、見えないのに学生の様子がわかったかというと、授業中に一対一のチャットができるようにしておき、その場でアンケートや質問を投げかけたのです。すると、対面授業で質問するときに比べて、とても多くのレスポンスがありました。ライブ感を共有できたかどうか不安はありますが、オンラインの優れている点を発見することができましたね。

奥田 実践してみて、初めてわかることもあるのですね。

増田 はい。今後コロナ禍が落ち着いても、オンライン授業を併用したいと思います。もちろん、学生の顔を見ることは大事ですし、昨年の新入生はほとんど大学に来ていないわけですから、対面授業を増やしてなるべくリアルにコミュニケーションできるようにしたいですね。キャンパスにおける授業と授業の間の時間もまた大事ですから。

奥田 ちょっと意地悪な質問ですが、いわゆる偏差値の優劣について増田さんはどうお考えですか。

増田 偏差値の高い学生は要領がよく、ある程度の基礎学力があり、答えにたどり着くまでの効率がいいという側面をもっています。責任感もあります。でも、これだけ不確定要素の多い時代になってくると、そうしたタイプだけでは問題解決が困難なことも多いのではないでしょうか。むしろ逆に要領の悪いと思われていた学生が、難しいテーマに、その難しさにとらわれることなく愚直に挑戦し、粘った末に光を見いだすことがあります。ただ、その光に気づけないことが往々にしてあり、それを指摘してあげるのが教員の役割だと思うのです。

奥田 秀才でなくても大化けすることがあると。

増田 そうです。そうしたきっかけで目の色が変わり、別人のようになって意欲を見せる学生もいます。そこに社会に貢献する新しい芽があると考えています。

奥田 それは、教える側にとっても大きな醍醐味ですね。

増田 幼稚園から高校までの先生には教員免許が必要ですが、大学の教員には免許がありません。無資格なんです。でも、なぜ学生をお預かりして教育できるかというと、教員自身が戦い、もがいている生の姿を見せているからという一点に尽きると思っています。

 私たち自身が挑戦している姿を見せられなくなったら、学生に教える資格はないですし、正解がなかったり、解が複数あったりする世界で、学生とともに問いを立てて考える環境を提供することが、大学における教育だと考えています。

奥田 とても穏やかなお人柄なのに、とても熱いお話をうかがうことができました。コロナの影響はまだ続きそうですが、ますますのご活躍を期待しております。

こぼれ話

 人の出会いと偶然の出来事に、自分では理解できない不思議な外部の作用を感じる時ってありませんか。増田さんとの出会いはこの『千人回峰』の上編で触れたとおりである。早稲田の学生が主催するサークルの講演会に講師として招かれ、そこで出会った。実に礼儀正しい話し方をする学生だと思った。価値観に触れるまでの間柄ではなかったが、以来、年賀状のやりとりが続いた。と言うよりも、年賀状を交換するだけの友達関係が続いた。元旦を迎えると、年賀状を見るのが楽しみのひとつだ。一枚ずつ、表と裏を見返しながら、その人との関わりを思いつつ、行く年来る年を思い描きながら日本酒に手を伸ばす。新しく年賀状をいただいた人、今年は来なかった人、今年も来た人。三つのグループに分かれる。至福の時である。

 私が『千人回峰』と称する“会いたい人のリストアップ”を思い立ったのは、BCNを創業して10年ほどしてからだ。新聞記者としては20年になる。この間、さまざまなコラム記事を書き続けてきた。続けるうちに、人物をテーマにすることが好きなのだという自覚が生まれた。いつか、人だけに視点を当てた連載記事を始めたいと思うようになった。このような経緯から『千人回峰』が生まれた。連載を開始したのは2007年1月5日の新年号だ。「ジャック・ウエルチを怒鳴りつけた男」千葉三樹さんを第一号に選んだ。「本当だろうか、どんな人なのだろうか」を自分の目で確かめたかった。連絡をしたら、会ってもらえることになった。松戸駅まで車で迎えにきてくれた。千葉さんは、GEの副社長を務めた人である。取材をするうちに、図らずも涙が流れた。あまりにも苦しい今を生き続けておられているからだ。自分のその時の経営環境とダブったのだ。以来、“千人”の人たちと丁寧に接することを心がけてきた。今回の増田さんで281人目になる。

 毎年、元旦に年賀状を通じて彼と会った。大学院生となり、大学の先生となって研究を続ける道を彼は選んだ。ある年、写真が二人になった。「結婚したんだ」。なんて生真面目な写真なのだろう。増田さんらしいな。少し年を経て人数が増え始めた。この年賀状は捨てられないな。5年ほど前、年賀状を見ながら、いつか『千人回峰』で語らってみたいと思って、翌年の年賀状にその旨を記した。今年の年賀状が届いたのを機に、その旨を連絡した。2月25日に取材して、今日を迎えた。連絡を入れた数日前のこと、増田さんは社外取締役をしている三谷産業の役員会で、「今、話題になった週刊BCNの創業者は私の学生時代からの知り合いです」と発言したという。お互いにこの偶然の出来事に驚いた。

 年齢を刻むにしたがって、遠くに旅立つ人が増えている。それだけに、私の中では年賀状の重みが増している。
 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第281回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

増田幸宏

(ますだ ゆきひろ)
 1976年10月、東京生まれ。2001年3月、早稲田大学理工学部建築学科卒業。06年3月、同大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。09年4月、早稲田大学高等研究所准教授。10年4月、豊橋技術科学大学大学院工学研究科准教授。14年4月、芝浦工業大学システム理工学部准教授。18年4月より現職。一般社団法人レジリエンス協会副会長、日本危機管理学会副会長、豊橋技術科学大学客員教授、三谷産業株式会社社外取締役を兼務。専門は、建築・都市環境工学、設備工学。建築・都市のレジリエンス工学や新たな環境インフラ構築に関する研究に取り組むほか、国・地方自治体等の各種委員会・研究会の委員を務める。博士(工学)。