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“百年企業”になるために欠かせないのは 必ずトップを獲るという意志だ――第283回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/06/04 08:00

須藤美奈子

須藤美奈子

インターコム 代表取締役社長兼営業本部本部長

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2021年6月7日付 vol.1877掲載

【秋葉原発】37年前、須藤さんは創業3年目のインターコムに入社し、その社員番号は19番だった。今年の新入社員の最新の番号は536番。来年、会社は創業40周年を迎える。そう考えると、須藤さんはインターコムの草創期からずっと会社に寄り添いながら共に歩み、その歴史を刻んできたといえる。それゆえに、社長として目指す「百年企業」のコンセプトにブレはなく、明確だ。そして、話の端々から感じられるインターコムのあるべき姿に向けて邁進するそのエネルギーは半端ではなかった。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.4.28/東京都台東区のインターコム本社にて

強い会社の条件は
商品の品質が絶対的に高いこと

奥田 インターコムに入社して、最初はどんな仕事に携わられたのですか。

須藤 最初の10年は開発です。いろいろなことをやらせてもらい、自分のプロジェクトチームも持たせてもらって、とても楽しく充実した日々でした。その後、SEとしてお客様サポートの仕事に携わり、1996年6月の台湾インターコムの立ち上げにともなって、マネージャーとして台北に赴任しました。

奥田 それまでに海外経験は?

須藤 ニューヨーク、オーストラリア、アジア諸国と、旅行はずいぶんしましたね。

奥田 須藤さんが海外旅行される目的は何ですか。

須藤 その国のおいしいものを食べたいといったこともありますが、異なる文化に触れてみたいということが一番ですね。

 会社が御茶ノ水にあった頃は、毎日アテネフランセに通って英語を習っていましたし、香港映画が好きなので当時在籍していた中国出身の社員に中国語を教えてもらったりしていました。

奥田 須藤さんのそういう部分も、会社は見ていたのでしょうね。台湾には、何年間滞在されたのですか。

須藤 5年半です。とりあえず挨拶レベルの会話はできるようになりたいと思って、赴任の前後には先生についてマン・ツー・マンで中国語を習いました。楽しかったですね。当時の台湾は、まだ発展前の古き良き雰囲気があって、友達もたくさんできました。

奥田 そうしたキャリアを積まれて、2007年に取締役、そして昨年6月、社長に就任されたわけですが、そのとき社員のみなさんにはどんな話をされましたか。

須藤 百年企業を目指そうと話しました。そして、まずは2022年に控える創業40周年に向けて頑張ろうと。

奥田 「百年企業」というのは、須藤さんにとってどんなイメージですか。

須藤 めったにない会社、そして強い会社ですね。

奥田 強い会社というのは、どこが強いのでしょうか。

須藤 守りにも強く、新たなことにチャレンジする力も強い会社です。具体的に言えば、商品の品質が絶対的に高いことですね。商品の品質といってもいろいろな意味があって、サポートの品質、使い勝手の良さや無駄のない動きといった品質もあり、それらが総合的に優れていることが求められると思います。

 それと、百年企業になるため必要なこととして、強い意志を持って、立ち上げた商品群を育てていくという姿勢が不可欠だと考えています。

奥田 なるほど、それはメーカーとしてとても大切なスタンスですね。

須藤 つまり、ある分野の商品開発にいったん着手したら、1年目はトップになれなくても、何度もブラッシュアップを重ねて、「必ずトップを獲る」という意思をもつことですね。

奥田 それこそが強さであると。まるで須藤さん自身の軌跡に重なりますね。

いったんローンチしたら絶対にやめたくないと思う

奥田 これまで高橋さん(啓介会長)の経営を見ていると、商品戦略をしっかりと構築して、コツコツとインターコムという会社を大きくしてこられた印象があります。

須藤 そう見えるのは、その商品群を絶対にやめないと決心しているからだと思います。もちろん、泣く泣くやめる場合もありますが、本来、やめるということがイヤなんです。

奥田 やめることがイヤという気持ちはわかりますが、経営的にはめずらしい発想のような気がします。

須藤 おっしゃるように、そこが少し違うのですね。例えばローンチした商品が、3年も4年も赤字のままだったら撤退するというのが一般的な経営のセオリーかもしれません。でも、インターコムではそれは必ずしも当てはまらないわけです。

奥田 だから、形を変えながらもロングセラーとなった「まいと~く」のような商品が生き続けているわけですね。

 ところで、そうした「やめたくない商品」が市場に出るまでには、どのようなプロセスがあるのですか。

須藤 最初に「商品企画提案」という段階があります。これは細目を詰める前のアイデア段階ですが、それが認められると企画を具体化するために2か月間の猶予が与えられます。つまり、その2か月の間に、さまざまな角度から企画の細目を決め、商品化のためのプランを練り上げるのです。

奥田 最初の提案から商品化されるまでには、どれくらいの時間がかかるのですか。

須藤 商品によって異なりますが、1年から1年半というところですね。

 商品開発のプロセスでは、およそ1か月に1回、関係者全員が集まる「工程会議」で進捗をチェックし、最後に「出荷判定」がなされます。出荷判定では、行った検査の内容やバグがない状態であるといった製品そのものについてのチェックに加え、その商品のホームページ、サポート体制、マニュアル、FAQなどが整っているかといった営業・販売面のチェックも行われます。15項目ほどあるこの出荷判定に合格しないと、プレスリリースすら出せません。この仕組みは、インターコム独自のものなんです。

奥田 厳しいプロセスを経て生み出される商品だからこそ、大事に育てられると。

須藤 商品企画の工程では、開発、営業、サポート、そして広報のメンバーがチームを組んで仕事をします。共通の目標は出荷判定にパスすることであり、異なるセクションの社員が協力し苦労することで仲良くなり、また商品への愛着も生まれるわけです。

奥田 自分がつくった商品だという思いですね。ところで、これから10年先、須藤さんはどんなことをしているでしょうか。

須藤 10年先ですか。その頃に私が会社に残っているかどうかわかりませんが、インターコムという名前のままでソフトウェアをつくり続けていたいですね。百年企業を目指しているわけですから、この先、企業経営の形としてはいろいろな選択肢が想定されますが、ソフトウェアをつくり続けることだけは変えてはならないと思います。

奥田 やはり、須藤さんはものづくりの人なんですね。今後のご活躍も大いに期待しております。

こぼれ話

 役職や立場は人を作るという。本当だろうか。1年前に、須藤美奈子さんの社長就任の報告を受けてから、取材できる日を心待ちにしていた。年が明けて、コロナ禍が沈静しない中、予定通り取材の依頼をした。快諾を得た。当日は、私にとってはなじみ深いインターコムの会議室で午後2時からインタビューを開始した。この時、心の中では「まずいな……」と思った。広報責任者が同席されたからだ。人とは何ぞや、という解を求めることを主旨にしたこの取材では、その人の生き方への質問を投げるため、日頃は語らない、あるいはひょっとすると、自分でも踏み込んだことのない生きる行動パターンの原点にまで遡ることがある。問いかけの内容によっては、話すことを躊躇されるのではないか、と危惧したのだ。しかし、それは杞憂だった。生い立ちから今日に至るまで、臆することなく心の襞の想いまでを語る姿に、経営者の覚悟を見た。

 自分にも思い当たる節がある。BCNを創業して13年目の頃だ。経営手法を学ぶために、縁があって日本IBMの常務取締役経験者の中島敏氏に最高顧問、元取締役の市原真大氏には管理部長に就いてもらった。社長の私を上下で指導する形だ。5年間、お願いした。ある時に諭された。「真っ暗な劇場に一箇所だけスポットライトが当たっています。そのステージに立っているのが、社長なんです」。その時は、なるほどと思った。時を経て、ある時、ゾッとした。社員からすべてを見られている。それも自分一人だけが……。私が社長の立場を覚悟したのはその時点だったと思う。社長業という“術”を身につけようと意識し始めたスタート地点でもある。これまでに、幾人の経営者に出会って話を聞いたのだろうか。組織はリーダー次第である。私は、経営の指南役にもう一つ教えてもらった。「組織はリーダーの影なんですよ」。その時も理解した。とはいえ、腹落ちしたのはずいぶん後になってからだ。

 確かに役職と立場は人を作る。その要素は何だろうか。成長の過程とは何だろうか。責任と権限の間を歩く過程の思考だろうか。あまりの重圧に押しつぶされることもある。あまりの達成感に酔いしれることもある。あるいは何も感じないで“こと”を終える時もある。人は自分に暗示をかけながら歩んでゆく。目標設定も暗示だ。希望や夢に至っては麻酔にも似た暗示だ。手術の時もそうだ。虫歯の治療でもそうだ。抜歯に至っては、麻酔なしでは考えられない。須藤さんの20歳までの生き様を聞いていて、背筋が伸びた。刀鍛冶が何度も焼いては冷やし、打ちつけながら鍛え上げてきた人が目の前にいる。よくぞ耐え抜いたと思った。きっと暗示が心への麻酔ではなかったか。早朝に原稿を書いた。ここまで書き終えて、家人が机の脇に置いた一輪の真っ白なカラーの花を見た。似ている。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第283回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

Profile

須藤美奈子

(すどう みなこ)
 1962年、東京都板橋区生まれ。埼玉県戸田市育ち。81年、市立浦和南高等学校卒業後、証券会社、ソフトウェア会社勤務を経て、84年9月、インターコム入社。96年、台湾インターコムに赴任し、マネージャーとして製品開発に従事する。2001年、帰任。07年、取締役就任。20年6月、代表取締役社長に就任。

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