武藤さんの子どもの頃の趣味は、鉄道の切符集めだったそうだ。どのように集めるか独力で考えた末、全国の駅に「使用済みの切符をください」という手紙に返信用封筒を入れて送ってみたのだそうだ。小学校4年生のアイデアだ。驚くことにそのうち3分の1ほどの駅が送り返してくれたという。そのコレクションはいまでも福島のご実家に保存されているそうだが、その収集癖は、前号でご紹介した展示会の“名札パスの山”に通ずるものがある。おそらく、それを見れば当時の記憶が一気によみがえるのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.3.5/東京都千代田区のアスク本社にて

展示会を見学するときは会場の端の出展社に注目する

奥田 アスクとして独立してから、経営が安定するまでどれくらいかかりましたか。

武藤 自分でサプライヤーを開拓していたのが10年ほどですから、だいたいそのくらいの期間ですね。

奥田 その間、転機となる出来事はありましたか。

武藤 パソコンの周辺機器にはWindows用のものとMacintosh用のものがありますが、Windowsは競争が激しいため、まずはMacintoshの周辺機器市場に参入しました。

 それまで、Macのデバイスの接続はシリアルポートによって行われていましたが、USBの登場によってシリアル接続の機器が使えなくなる状況にありました。そこに着目したアメリカのキースパンという会社が、USBシリアルコンバーターという製品を開発し、当社はその代理店になって日本で販売したのですが、他に使える製品がなかったため、これが見事にヒットしました。創業から2、3年目のことですが、これは大きな転機になりました。いまだにこの製品には引き合いがあり、現在でも販売しているんですよ。

奥田 そのヒットは、会社にとってかなり大きなものだったと。

武藤 おそらく、この製品と出会わなければ、いまのわれわれは存在していないと思います。この成功によって、かなりやりたいことができるようになりました。

奥田 その製品とは、どこで出会ったのですか。

武藤 アメリカで開かれた展示会です。たぶん、COMDEX(Computer Dealer's Exhibition)だったと思います。

奥田 COMDEXなどの展示会に行ったとき、どのようなところに注目するのですか。

武藤 まずは、会場の端を歩くことですね。

奥田 それはどういうことですか。

武藤 スタートアップの会社ばかりを狙っていたからです。おそらく代理権がもう決まっているような、会場の真ん中に陣取る企業とは交渉しても仕方ないと考えたからです。

奥田 それで“端っこ”狙いだと(笑)。

武藤 その端っこで、本当にいろいろなものに出会いました。その一つに、脳波でマウスのポインタを動かすシステムというものがありました。

奥田 視線ではなく脳波で?

武藤 はい。私が実際に装着してみると動かなかったのですが(笑)、脳波の動きによってポインタが動くというのです。

 そこでメーカーの人に話を聞くと、この展示会がラストチャンスだといいます。有り金をすべてつぎ込んで出展したため、ここで販売代理店が決まらなければこのビジネスは終わりにするしかないと。手足が不自由な方に向けてのテクノロジーでしたが、残念ながらその後、日の目を見ることはなかったようです。

奥田 なるほど、厳しい世界ですね。ところで、新しい技術を見定めるためには、全体の大きな流れを捉える必要があると思いますが、武藤さんの場合、それを実現するため具体的にはどのようにされていますか。

武藤 継続的に定点観測することですね。CES(Consumer Electronics Show)には毎年行っていますが、過去をさかのぼってみると、たとえば数年前のこの技術が、現在実現しているその技術につながっているということが見えてきます。そういう意味からは、同じ展示会を見続けるということは、技術の流れを捉える一つの方法だと思います。

奥田 いまでも足を運んでおられるのですか。

武藤 前職のビックサイエンス時代の1985年頃からCOMDEXには毎回行っていましたし、CESになってからもいままでほとんど皆勤です。そうした主要な展示会のほかにも小さな展示会がありますので、3か月に1回はアメリカに行っています。それを30年間続けましたから、およそ120回は行っている計算になりますね。

今後も期待されるグラフィックボードの可能性

奥田 30年以上、コンピューター産業をウォッチしてきた武藤さんにとって、その時代の節目が三つあるとしたらどんなことが挙げられるでしょうか。

武藤 一つめは、PC/AT互換機が出たときですね。まだ、CPUが16ビットの時代です。それまでのコンピューターには基本的に互換性がありませんでしたが、このPC/ATの登場により、共通のプラットフォームをもつパソコンの時代が始まったということができるでしょう。

奥田 二つめの節目は?

武藤 Windowsの登場です。Windowsではグラフィックスのパワーが必要になり、GPUが登場してきたことが大きな節目となりました。これが、マイクロソフトとアップルのOSの戦いにもつながっていき、ウィンテル連合の元ともなりました。

奥田 三つめは?

武藤 インターネットの登場ですね。当時、私が使ったウェブブラウザはMosaicで、最初に見た画像は地球の姿でした。このようにネットで情報がやりとりされるようになると、パソコンの能力強化が求められるため、われわれ周辺機器メーカーの出番となるわけです。つまり、ソフトウェアの進化によってハードウェアが成長し、それに合わせてソフトもさらに進化していくという状況が起こりました。ソフトとハードが交互に進化するということですね。そうした意味からも、インターネットの普及は非常に興味深い出来事でした。

奥田 いま、そしてこれからのトレンドを捉えると?

武藤 私たちは創業時から一貫して、ATIテクノロジー社(現・AMD)のGPUを搭載したグラフィックボードを販売しています。グラフィックボードはゲームソフトの高細密化によりニーズが大きく高まりましたが、最近はAI(人工知能)や画像認識に広く利用されるようになりました。

 グラフィックボードの役割が画像をきれいにすることに変わりはありませんが、その用途は変わり続けています。最初はゲームの画像がスムーズに動くようにするため、次にCADシステムへの応用、コンピューターグラフィックスの制作現場での活用、そして、いまお話ししたAIや画像認識という流れがあり、この先どんなものに応用されるようになるのかとても興味があります。

 パソコンに装着されていたさまざまなボードはチップセットに組み込まれたため、グラフィックボードもいずれなくなるといわれていましたが、むしろ売上を伸ばしている状況にあります。まだまだ可能性を追求していきたいですね。

奥田 今後の新しい展開に私も大いに期待しています。


こぼれ話

 新型コロナウイルスの猛威が沈静化の兆しをみせない。電車などでの移動にも、多くの気遣いがいるご時世である。この『千人回峰』を取材した日は3月5日。コロナ感染が神経質になり始めた頃である。「今日はタイムキーパーを連れてきました。30分経ったら、換気しましょう」。ところが、いつものように話が盛り上がり、「換気タイムです」と合図の声が聞こえても、一瞬、何事かといぶかってしまう。

 人はそれぞれの雰囲気をもっている。武藤和彦さんのそれは“山羊さん”である。穏やかというか、ノンビリというか、ピリピリした空気が伝わってこない。といって無神経なのではない。創業者が君臨している企業はオフィスの隅から隅までが、創業者の人となりの表現物と言ってよい。アスクは創業からおよそ四半世紀が経つ。九段南4丁目の本社オフィスはザックリしているのだ。どなたでもどうぞ、というお気軽なオーラが漂っている。商社であるがゆえなのだろうか。

 換気タイムの2回目が終わる頃、武藤さんは自室からひと抱えもある収納袋を持ってこられた。何かが山盛りだ。「何ですか、それ」。よく見ると、世界で開催された展示会の登録証である。コンピューター関連だけではない。「このすべてに参加されたのですか」とたずねると、「はい」と申し訳なさそうに答えられる。この雰囲気が“山羊さん”なのである。パソコン業界の歴史は40年になる。世界の展示会に通い続けて、新しい商品とスタートアップ企業を観察する。この基本的な活動を通じて時の流れを読む。それも長い年月をかけて蓄積した知見と人脈で“じぃーっ”と見続けながら特殊な勘を働かせる。移動がままならない今、武藤さんはどこを見ているのだろうか…。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第257回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。