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人を育てるためには自分を変えていく努力が求められる――第117回(上)

和田 成史

和田 成史

オービックビジネスコンサルタント 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年08月11日号 vol.1542掲載

 オービックビジネスコンサルタント(OBC)社長の和田成史さんは、業界団体であるコンピュータソフトウェア協会(CSAJ)の会長を4期8年務めて、今年6月に退任された。春の叙勲では、その産業振興の功績により藍綬褒章を受章された。今回は、CSAJの会長としてのご苦労の様子をうかがおうと本社にお邪魔したが、話はOBCの基礎を築く時代にまでさかのぼり、はからずも、経営者が乗り越えなければならないハードルについて私自身が再認識することとなった。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.6.12/東京・新宿区西新宿のオービックビジネスコンサルタント本社にて】

2014.6.12/東京・新宿区西新宿のオービックビジネスコンサルタント本社にて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第117回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

重責を果たしたCSAJ会長の8年間

奥田 和田さんは2006年からコンピュータソフトウェア協会(CSAJ)の会長を務められ、このほど退任されました。8年間、お疲れさまでした。ところで、当初はどのような気持ちでCSAJの会長に就任されたのですか。

和田 業界の先輩方から推薦されて就任したわけですが、これからPCの時代をどう捉えて、業界全体がどのような方向に進んでいったらいいのかということを当時はしきりに考えましたね。

奥田 やはり会長のポストは、緊張感がありましたか。

和田 会長や社長というポストは、もともとそういうものだと思っています。私は大きな責任を感じました。

奥田 なぜ、それほど責任を感じるのですか。

和田 会社経営においても同じことがいえますが、業界団体においても、トップの果たすべき役割は重いものです。CSAJの場合、具体的にいえば、まず、会員数が減っては困りますし、財政が赤字になっても困ります。そして、政府や他の協会との連携もきちんとやらなくてはならない。それから「協会に入っていてよかった」というように、会員の満足度の向上を図らなければなりません。イヤな思いをしたりメリットを感じられなければ、協会を脱退されてしまいます。会員や準会員はもちろん、この世界でベンチャー企業を起こそうという人もたくさんいます。そういう方々の夢を実現していけるような環境を提供したり、人と出会うチャンスをつくることが大切ですね。そういったことに、トップたる会長はいつも目配りする必要があります。

奥田 いま、会員数、財政、政府との連携、会員の満足度と、ポイントが四つありましたが、この8年間を振り返って評価すると、どんな結果ですか。まず、会員数は増えていますから、「大変よくできました」の花マルですね。

和田 そうですね。「財政」もマルですし、「政府との連携」もうまくいっていると思います。例えば、今年からU-22(旧U-20)プログラミング・コンテストの運営事務局をCSAJが引き受けることになりましたが、そうした活動を積極的に行うことで、政府も私たちの業界を応援しようと思ってくれるわけです。

奥田 なるほど。社会的な貢献によって、連携を強固なものにするということですね。では、最後の「会員の満足度」はどうでしょうか。

和田 自分では評価しにくいですね(笑)。

奥田 でも、会員数が増えているのですから、満足度も高いのではありませんか。

和田 たしかに、そこは努力したところですね。8年間で50社ほど会員を増やしました。

奥田 ということは、4項目のすべてが花マルですね。

和田 引き受ける以上は責務を果たさなければならないという思いがあって、最初に考えたのは、いま挙げたことを実現できるかどうかということでした。ですから、当時は大いに悩んだ末に引き受けたことを覚えています。

奥田 ところで、OBCは今年で創立34年ということですが、こちらのほうは迷いもなく順調に成長してきたとみていいですか。

和田 まさか(笑)。1988年頃、会社を設立して7年目くらいですが、私の指の爪に穴があき始めたんですよ。医者に診てもらった瞬間、「これはストレスが原因ですね」と断定されました。「ストレスの元を取り除かないと、この爪は生えて来ませんよ」と。ストレスで栄養がみんな頭に行き、爪には行かなかったんですね。生まれて初めてそれを経験して、どうしようかと思いました。
 

「ありがとう」を一日に200回言えるか

奥田 ストレスの原因は何だったのですか。

和田 社員が70~80人になった頃ですが、全員が中途採用ですから、みんな違う言葉をしゃべるんですね。各人の価値観も考え方も違うわけです。会社としての価値観も確立していない時期ですから、同じ日本語を話していても言葉が通じ合わない。会社が組織ではなく、単なる人の集まりでしかなかった。私はそこに限界を感じて、そのことが大きなストレスになっていたのです。

奥田 業績は伸びていましたか。

和田 当初の伸びが止まり始めた頃ですね。それで、この状況をどう打開したらいいかと、一生懸命に本を読んだり、人の話を聞いていたときに、ある方が「この先生の研修はよかったですよ」と教えてくれました。それが、日本研修センター代表の武島一鶴先生を知るきっかけでした。惜しいことに、昨年亡くなられたのですが……。武島先生を知ってすぐの頃にお会いしていろいろと話を聞き、ぜひOBCでも研修をしていただきたいとお願いしました。

奥田 どこに感銘を受けたのですか。

和田 自分の考え方や価値観が否定されるというのではないのですが、別の新鮮さや驚きを感じました。そして「ああ、こういうことなんだ」と納得したんです。その感覚を単純にいえば、70人の会社になった頃は、人を育てる際に、自分を変えないで、人を変えて育てようと思っていたのですが、でもそれは無理な話で、人を育てるためにはまずは自分を変えていく努力をしなければならないことに気づいたのです。そこで私は発想を切り替えました。

奥田 それは、すぐに体得できたのですか。

和田 そうですね。比較的すぐに気づくことができたと思います。それからが、実際に自分を変える努力です。

奥田 具体的には、どんな努力をされたのですか。

和田 武島先生に教えられて、二つの習慣づけをしました。一つは、家に帰るまでの間、自分の歩く目の前の道を「ありがとう小径」と名づけて、そこで毎日感謝すること。もう一つは、一流のビジネスマンは「ありがとう」を一日に200回言うというのです。それで、一日に200回、「ありがとう」と口に出して言う訓練をしたのです。だけど、200回というのは、実はとてつもない数なんですね。どうして200回「ありがとう」と言うビジネスマンが一流なのかというと、1日に200回も人と接する機会があって、200回も人に何かをしてもらったことがあるということです。普通はそんなに「ありがとう」と言うようなチャンスはありません。言いたくても言えない。誰もいないところで「ありがとう」と言ってもカウントできないですからね。(つづく)


『冒険の旅』の冊子


 武島一鶴氏の言葉をまとめたもの。OBCでは全社員に配布され、自分のデスクに備え、迷ったときの仕事の指針としている社員も多いという。「問題は我にあり」など、物事の本質を衝く言葉が、OBCのDNAを形成したという。

Profile

和田 成史

(わだ しげふみ) 1952年、東京生まれ。75年、立教大学経済学部卒業。76年、大原簿記学校勤務。79年、同校を退職。80年、公認会計士、税理士登録。同年12月、オービックビジネスコンサルタント(OBC)を設立、代表取締役社長に就任。一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)名誉会長・理事、経済産業省産業構造審議会ソフトウェア小委員会委員、一般社団法人日本コンピュータシステム販売店協会(JCSSA)理事、公益社団法人経済同友会幹事などを務める。

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