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テクノロジーの最先端とリアルな人のふれあいを結ぶ――第107回(上)

千人回峰(対談連載)

2014/03/20 11:27

江渡 浩一郎

産業技術総合研究所主任研究員/ニコニコ学会β実行委員長/メディアアーティスト 江渡 浩一郎

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年03月17日号 vol.1522掲載

 昨年、私は江渡浩一郎さんの存在を知り、ぜひお話をうかがいたいと茨城県つくば市にある産業技術総合研究所にお邪魔した。お会いしてみると、予想通り、スマートな雰囲気を漂わせながらも、言葉の端々からただものではないことを感じさせる方であった。その「ニコニコ学会β」の創設者からもっと話を聞きたいという思いから、本連載初めての公開対談の場に足を運んでいただいた。聴衆の皆さんの熱い好奇心の後押しもあり、白熱した対談がスタートした。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.2.25/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】

2014.2.25/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第107回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

メディアアートから集合知の研究へ

奥田 江渡さんは産業技術総合研究所(産総研)の主任研究員という堅い肩書をもつ一方で、誰もが自由に研究発表できる「ニコニコ学会β」の実行委員長を務めておられます。現在に至るまでをお話しいただけますか。

江渡 1991年に慶應義塾大学の環境情報学部に入学し、メディアアート専攻の藤幡正樹先生の研究室に入って芸術家になるための訓練を受けました。ちなみに、今でも見ることのできる私のメディアアーティストとしての代表作は、日本科学未来館にある「インターネット物理モデル」という作品です。

 私は慶應義塾大学SFCの2期生ですが、当時のSFCのコンピュータ環境は、日本で最も進んだものでした。小学6年生でプログラミングを、中学2年生からはパソコン通信を始めたのですが、そのような私にとって理想の環境でしたね。

奥田 メディアアートという言葉はあまり聞きなれないのですが、簡単に説明していただくと?

江渡 メディアアートはメディアを使った芸術ということですが、元々はコンピュータによってできるようになった新しい表現、つまりコンピュータグラフィックス(CG)などをアートに使おうという運動の延長線上にあるものだったといっていいと思います。その後は、触ると絵柄が変わったり、何かが動いたりするインタラクティブアートへと発展していきます。その軸にあるのは、コンピュータの発展による新しい表現の可能性をどのように芸術に生かすのかということ。コンピュータの性能向上と通信技術の発達によって、新しい表現の可能性はどんどん増えていますが、その最先端を模索し続けるものといえます。

奥田 その後はアーティストでありながら、研究の世界に入られたわけですね。

江渡 2002年に産総研に入り、集合知を研究テーマとして選びました。さまざまな人が集団で創作活動を行ったり、ある知見を集積していくシステムに惹かれて、その仕組みを研究しようと思ったんです。その集合知の基盤となるWikiというシステムに興味をもち、実際にWikiを自分でつくってみて、それを運用した知見をもとに論文を書きました。

 その後は、Wikiの研究は一つの成果を出せたと思ったので、研究の幅を広げようという意図もあって、ユーザー参加型のコンテンツである「ニコニコ動画」や「初音ミク」などと研究との接点を考えるようになります。そして、観察するだけでなく自ら実践しようと「ニコニコ学会β」という団体を立ち上げ、ニコニコ動画のようなユーザー参加型の創作活動と、研究者の集まりであるシンポジウムとを結びつけました。これが、現在の自分の活動の主軸になっています。
 

ニコニコ動画では感想もコンテンツの構成要素

奥田 ところで、なぜ江渡さんはニコニコ動画に着目されたのですか。

江渡 集合知というと、Wikipediaのようなものを思い浮かべますよね。種類は違いますが、TwitterやFacebook、それにブログもある種の集合知です。さまざまな人が創造性を発揮して、思い思いの文章を発表する場だからです。そして、動画投稿サイトのYouTubeがあります。

 YouTubeとニコニコ動画は同じようなものだとみられがちですが、私は大きく違うと思っています。YouTubeは動画を公開して配信するすぐれたシステムです。コメント欄を備えてはいるものの、その感想の多くはTwitterやFacebookで語られます。これに対してニコニコ動画では、感想もコンテンツに含まれるんですね。つまり、その動画について感じたことを、ほかのどこかに書くのではなく、まさにその動画の上にコメントするわけです。そうすると、その動画を見ている他の人にも、これから見ようとする人にもその感想がコメントのかたちで伝わります。これによって、自分以外の人がその動画についてどう思っているかということがその場でわかり、ある種のコミュニケーションが成立するわけです。このように、ニコニコ動画にみられる集合知というのはやや特殊で、動画をもとにコミュニケーションをとるシステムが内蔵されている点でYouTubeとは大きく異なりますし、私はそれが重要な違いであると考えています。

奥田 ここまでは観察者の立場での話だと思いますが、当事者に軸足を移していかれましたね。どんな気持ちの変化があったのですか。

江渡 ニコニコ学会βを立ち上げたのは2011年12月で、その準備活動をスタートさせたのはその年の夏です。この年の3月に起きた東日本大震災で多くの人が影響を受けました。私もその影響を受けて、いくつかのプロジェクトがキャンセルになるということがありました。研究活動そのものについて大きな影響はなかったはずですが、まわりの人たちはいろいろな意味で落ち着かず、社会情勢としても復興事業や原発問題を抱えて、非常に慌ただしい雰囲気だったと思います。

 そんななかでも、研究者は日常から離れたところで研究を進めることが許されている立場なんですね。でも、そういう日常から切り離された存在でいて、自分たちはいいんだろうかといったことも考えたりしたわけです。自分が抱いている関心やもっているスキルを、世の中に何らかのかたちでフィードバックしていくとか、何か影響が与えられるようなかたちで自分なりのプロジェクトを立ち上げたいと思うようになったわけです。

奥田 今の一連の思いというのは研究者としての思いですか、個人としての思いですか。

江渡 たぶん、両方重なるというのが適切ですね。それまでWikiの研究を続けてきて、本を出して、一つの成果物として世に出せたと思っていました。2010年はそれまでの研究成果をまとめる仕事を集中的にやり、2011年から新しい研究テーマを考えようというタイミングだったんです。そして、集合知を研究するなかで、自分も実際に集合知を生み出す研究をしてみたいと思いました。つまり、新たなWikipediaやTwitterを生み出すにはどうしたらいいか実践を通じて研究しようと思ったんです。これが、ニコニコ学会βの発想のもとになりました。(つづく)

BCN初の公開対談


「東日本大震災が、ニコニコ学会βのプロジェクトを立ち上げるきっかけになりました」と江渡さんは振り返る

※公開対談の模様はこちらでご覧いただけます。

Profile

江渡 浩一郎

(えと こういちろう)  1971年、東京生まれ。1997年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2010年、東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。1997年、アルス・エレクトロニカ賞グランプリを受賞(sensoriumチームとして)。2001年、日本科学未来館「インターネット物理モデル」の制作に参加。2011年、ニコニコ学会βを立ち上げる。ニコニコ学会βは、2012年にグッドデザイン賞、2013年にアルス・エレクトロニカ賞を受賞するなど高い評価を受ける。産総研では「利用者参画によるサービスの構築・運用」をテーマに研究を続ける。主な著書に『パターン、Wiki、XP』『ニコニコ学会βを研究してみた』『進化するアカデミア』。 ホームページ:http://eto.com/

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