経営の基本は人づくり。言葉が伝わらなくても、心は伝わる――第80回

千人回峰(対談連載)

2013/02/27 11:27

舟橋 千鶴子

舟橋 千鶴子

ユース・情報システム開発 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝

 2012年7月、初めてミャンマーのヤンゴンを訪れた。つい最近まで軍政下にあったこともあって、貧しい都市だろうと想像していたが、私を待っていたのは文化を感じさせる街並みや施設、そして人々の民度の高さだった。その際にご一緒してくれたのがユース・情報システム開発の舟橋千鶴子社長だ。舟橋さんは、ミャンマーのSIerといち早く業務提携を結び、人材の育成に力を尽くしている。ここに至るまでの経緯と今後のミャンマーの可能性についてお話をうかがった。【取材:2012年9月19日 東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】

「女性が職場に定着して、その仕事を一生懸命やる。その結果、技術力もどんどん高まって蓄積していくという、よい循環ができています」と舟橋さん。
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第80回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

専業主婦から起業の道へ

 奥田 舟橋さんは、どんなきっかけでSIerの業界に足を踏み入れられたのでしょうか。

 舟橋 医薬品卸の会社に勤務していた夫がその会社のコンピュータの導入にかかわり、自らプログラミングもしていたことから、1971年に独立して第一システムサービスという会社を設立しました。まだ富士通の「FACOM230-15」の時代です。それが最初のきっかけですね。

 奥田 ご主人のお手伝いをしていた、と。

 舟橋 いえ、そのときは専業主婦でした。ところが、その数年後に夫が病気になり入退院を繰り返すようになってしまいました。それでやむなく社長の代理として表に出て、金融機関との折衝から社員の採用までやるようになったんです。このままでは経営が危ないという時期には他社に出資を仰いだりと、当時は必死の思いで駆けずり回っていました。

 奥田 まさに、社長の仕事そのものですね。

 舟橋 ところがその後、社長が亡くなったため、仕事を辞めて実家に戻るか、独立して起業するかという選択を迫られました。結局、起業の道を選び、私が前の会社で採用した社員15名に来てもらって、現在のユースを設立したんです。

 奥田 それはドラマチックですね。でも、前の会社の社員たちを説得するのは大変だったでしょう。

 舟橋 「私には技術はないけれど、あなたを採用した本人なのだから親のようなものだと思っている。会社は人間を育てる場でもあるから、あなたが成長していくためのアドバイスをしたい。だから、ぜひついてきてほしい。決して給料の遅配などで迷惑をかけないから」と口説いたんです。その頃は携帯電話のない時代ですから、各人の自宅に電話をして……。会社の設立は87年の9月でしたが、その年の暮れにはボーナスを出すこともできました。

 奥田 それは立派! 採用担当で実質的な経営者だから信用してくれたわけですね。
 

ミャンマーでも基本は「人」

 奥田 今年で創業26年ということは、SIerとしては老舗ですね。いまはミャンマーとのかかわりをもっておられますが、海外との関係はいつ頃から始まったのですか。

 舟橋 96年頃、当時アルパインが出資した東軟集団(現、ニューソフト)のオフショア開発にかかわりました。当社がアルパインに技術者を派遣しており、先方の担当部長が中国の瀋陽に赴任することになって、中国でのオフショア開発を検討している会社を紹介してほしいという話があったんです。当社自身は発注していませんが、私は何度も中国に行ってお客様を紹介し、その橋渡しをしました。

 奥田 そうすると 舟橋さんは、16年前、96年の中国を知っていらっしゃる。

 舟橋 瀋陽や大連には毎年のように行きました。荒涼とした土地に次々と建物ができて、瞬く間に発展していく様子を目の当たりにしましたね。

 奥田 それで次はミャンマーですか。

 舟橋 あるシンクタンクに中国オフショア開発の橋渡しをしたというご縁で、2010年5月からミャンマーのACE Data Systems(ACE)でオフショア開発に取り組み始めました。

 当初、ACEには某社の社内システムを構築する仕事を出しました。まずは、日本語の仕様書を渡してトライアルさせてみたのです。

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