前例や常識にとらわれない思考がイノベーションを生み出す――第116回(上)

千人回峰(対談連載)

2014/07/31 00:00

窪田 良

窪田 良

アキュセラ 会長・社長兼CEO

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年07月28日号 vol.1540掲載

 眼科医、研究者、そして現在はバイオベンチャーの経営者として、米国・シアトルを拠点にして活動する窪田良さん。その経歴をみると、「眼」という臓器を中心に据えながら、鮮やかな転身を重ねてこられたように感じられる。しかし、その裏には地道な努力の集積があった。「一見ムダにみえることでも、どう役立つかはまったくわかりません。だからこそ、真剣にやることが大事だと思います」という窪田さんの言葉は、まさにものを創造するプロセスの本質を言い当てている。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.5.28/東京・港区赤坂のオークウッドプレミア東京ミッドタウンにて】

2014.5.28/東京・港区赤坂のオークウッドプレミア東京ミッドタウンにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第116回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

医薬品が製品化される確率はわずか3万分の1

奥田 窪田さんは、研究者として緑内障の原因遺伝子を発見した後、臨床医に転じて腕を磨き、現在は新薬開発に携わっておられる。失明を防ぐ飲み薬を開発中ということですが、いつ頃実現しそうですか。

窪田 あと何年か先に完成すると信じていますが、それは臨床試験の結果次第ですから、厳密には神様にしかわかりませんね。

奥田 その数年という期間には、どんな意味合いがあるのですか。

窪田 薬というものは、有効性と安全性のバランスで成り立っています。どれだけ飲まないと効果が出ないのか、どれだけ飲んだら副作用が出るのか、ということですね。例えば、間違って大量に飲んでも副作用が出なければ安全域が広いといえますが、その安全域や効果をデータで申請して、それを全部証明する必要があります。データ次第で短くなるかもしれないし、逆に長くなる可能性もあるんです。

奥田 そうすると、現時点で新薬候補そのものはできているわけですね。

窪田 そうです。そこが他の工業製品のR&D(研究開発)と大きく違うところです。医薬品の場合は、すでにでき上がったものを10年以上かけてその性質を明らかにしていくわけです。だから、機能を付け加えたり改良して製品化していく一般の工業製品と医薬品とではR&Dのプロセスはまったく異なります。最初の2、3年間の動物試験でベストな物質をつくり出して、その後は、本当に効果があるか、予想外の副作用はないかということを、人に対する臨床試験で確かめていきますが、それに10年前後かかることは珍しくありません。そこで、やっぱりこれはダメだったということになれば、振り出しに戻らなければならないのが薬剤開発の厳しいところですね。

奥田 ベストな物質をつくるまでに2、3年かかるということですが、それはどのように?

窪田 化合物をつくるということは、ブロックで模型をつくるようなものと考えていただければわかりやすいと思います。タンパク質の鍵穴に薬がガチャッと入るかどうかということを試行錯誤するわけです。でも、たとえ入ったとしても、別の鍵穴にも入る場合は副作用が出るのでこれはダメ、と。そういったかたちで、ほかのいろいろな要件を満たしたものを探し出すには、少なくとも2、3年はかかる。10年以上かかる場合もあります。

奥田 それは、それは……。簡単なことではありませんね。

窪田 そういう化合物が、1週間に1個できる場合もあれば、1か月に1個しかできない場合もあります。確率としては、3万個つくったらそのうちの1個が薬になるというレベルです。だから、気が遠くなるような時間と労力をかけて製薬会社は競争をしているわけですが、そのほとんどが失敗に終わって、3万分の1の確率の幸運に恵まれたプロジェクトで製品化されるということです。

奥田 窪田さんは、なぜ短期間でその化合物を見つけることができたのですか。

窪田 眼科医としての臨床経験と研究者として学んだ実験のバックグラウンドによって、確率を高めることができたということですね。新薬を開発する場合、動物実験では効果があっても人間にはまったく効かないというケースが非常に多いのですが、いま私が取り組んでいる「飲み薬で眼を治療する」という方法は、ビジュアルサイクルというプロセス、つまり、ハエも魚も鳥も、そしてもちろん人間を含む哺乳類にも保存されている、眼が見えるというメカニズムをもとに開発したのです。ハエもヒトも眼が見えますが、眼が見えるという機能にビタミンAの代謝が関わっていることは共通しているので、その部分を調節する薬をつくれば、動物実験で得られた結果と同様に、人間でも効果が得られるだろうという仮説を立てました。現在、臨床試験フェーズ2b/3を行っており、効果や安全性などを確かめるプロセスに入っています。
 

古典的な検査法が新薬開発の大きな力になった

奥田 ということは、その3年だけで目指す化合物ができたわけでないと……。

窪田 そういうことですね。「網膜電図」という、ハエであっても人であっても再現性よく結果が得られる検査方法があるんです。眼の心電図のようなものですが、どちらかというと時代遅れで古典的な検査法なのです。

奥田 ほう、時代遅れの検査法で……。

窪田 学生時代に教室の方針でたまたまこのどちらかというと古い技術を修得し、そのエキスパートになっていました。当時は画像診断や超音波診断、CTなど、いろいろな新しい技術が出てきている時代だったので、この技術が将来役に立つのかなと思いながらしぶしぶ取り組んでいたのですが、薬剤開発には非常に役立ちました。

奥田 何が幸いするかわかりませんね。

窪田 一般に動物実験を行う際には1サイクル3~4か月かかるのですが、薬を投与して網膜電図で調べると、1サイクル24時間以内で結果が出ます。普通の薬剤開発では、CRスクリーニングと安定性の高い化合物、次に吸収性の高いものを選び、というプロセスを重ねて絞り込みます。しかし、この方法ではベストな性質のものを見つけにくい。スクリーニングの順番を変えれば、選ばれるものが異なってくるからです。それに対して、網膜電図は高速で全体の最適化ができるシステムなので、大きな強みになりましたね。

奥田 全体の最適化で開発するという手法は、以前からあったのですか。

窪田 おそらく、網膜電図とビジュアルサイクルという組み合わせでないと実現できなかったと思います。通常、製薬会社でやる方法ではありません。ベンチャー企業だからこそ、ゲリラ的な方法でやったということですね。

奥田 そこが、勝利のポイントですか。

窪田 最終的に薬になるまでは勝利とは言い切れませんが、臨床実験のフェーズ2b/3まで入って、3万分の1の確率が2分の1の確率にまで高まったことを成功と考えるのであれば、そこにあったことは間違いありません。こんな化合物は、普通に開発していたら見つかるはずがないとみんなにいわれますから。前例や常識にとらわれなかったことが幸いしました。(つづく)

 

カブトガニの甲羅

 窪田さんは父親の仕事の関係で、小学校4年のときに米国のニュージャージー州に移り住むが、これはその当時、ニューヨークの海岸で拾ったもの。「生きた化石」を、そんな大都市でみつけたことに感動を覚えたそうだ。

Profile

窪田 良

(くぼた りょう)  1966年生まれ、兵庫県出身。慶應義塾大学医学部卒。医学博士。研究過程で緑内障原因遺伝子であるミオシリンを発見し、「須田賞」を受賞。眼科専門医として、緑内障や白内障などの手術の執刀経験をもつ。その後、2000年に渡米。ワシントン大学で助教授として勤務。2001年に独自の細胞培養技術を発見する。2002年4月にシアトルの自宅地下室でアキュセラを設立した。現在、「飲み薬による失明の治療」を目指し、地図状萎縮を伴うドライ型加齢黄斑変性や緑内障などの眼科治療薬を開発している。全米アジア研究所(The National Bureau of Asian Research)の理事。慶應義塾大学医学部客員教授。2013年にはウォール・ストリート・ジャーナルが「世界を変える日本人」として紹介。著書に『極めるひとほどあきっぽい』(日経BP社)がある。