地方創生って騒ぐけど いいアイデアはなかなか出ませんよ――第126回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/01/08 00:00

小林 一彦

長野県富士見町 町長(元NEC顧問) 小林一彦

構成・文/畔上文昭
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年01月05日号 vol.1561掲載

 NECでプラットフォーム事業をけん引してこられた小林一彦さんが、出身地の長野県富士見町に戻り、町長を務めておられる。NEC時代には、とてもお世話になった。最後はNECの顧問をされていたのだから、政治家志向ではなかったはず。日本の選挙は、ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)が必要だといわれる。地元に戻って町長になられた小林さんは、ジバンがあったのだろうと推測していたが、まったく違っていた。情報を駆使して、選挙戦を勝ち抜く。その戦いには、NEC時代の経験が生きていた。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.11.14/長野・富士見町の町役場にて】

2014.11.14/長野・富士見町の町役場にて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第126回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

自分の行動で風を起こし、風に時代の変化を感じ取る

奥田 富士見町には、日本の北・中央・南アルプスのすべてを見ることができる山があります。本当にすばらしい。私は山好きなので、自信をもって断言できます。今年は、3回、北岳に入っているんですよ。

小林 北岳に登ってるの? 元気だね。すごいなあ。

奥田 地図を開くと、北岳からずっと尾根を渡ってくれば、ここに到着するじゃないですか。

小林 ああ、鋸岳(のこぎりだけ)ね。

奥田 鋸岳から分かれて入笠山(にゅうかさやま)。それを北岳から見ていましたから、一度、こちらにも来てみたいと思っていたんですよ。実際に来てみたら、入笠山から日本のすべてのアルプスを見ることができる。角度を変えて見ていくと、全部の風景が違う。ここはもっと有名な観光地になってもいいと思うんです。

小林 このあたりは古くからの自然がうんと残っているんですよね。わりと玄人好みなかたちで保存してきました。派手に売り出すんじゃなくて、自然を大切にしながら、観光客を増やしていこうとしています。富士見町は以前、富士見パノラマリゾートというスキー場で大失敗しちゃって、それを立て直すというのが、町長になる動機だったんですよ。

奥田 NECの顧問をなさっていたのに、町長になられたと聞いて、本当にびっくりしました。

小林 僕は、関本さん(関本忠弘・元NEC社長)の言葉で、『時代の風を肩で知れ』というのが大好きでしてね。

奥田 知っています。あれはかっこいい。

小林 行動することによって、自分で風を起こす。その風のなかで時代の変化を感じ取るという意味なんです。だから、自分が出ていって、行動することによって風が起きる。その風のなかにヒントがいくつかあって、そのヒントをもとに何かをやる。

奥田 どんなヒントですか。

小林 例えば、僕はNECでフォールトトレラントコンピュータというのをつくったんですよ。ご存じですか。

奥田 ええ、存じています。

小林 当時は、米国の企業しかやっていなかったけれど、NECには経験豊富で優秀な技術者がいるので、対抗できるだろうと。で、基本的な案を僕が考えたんですよ。ところが、若手が保守的で「殿、ご乱心」などと掲示板に書いたりして……。

奥田 いつ頃ですか。

小林 いつだったかなあ。1998年くらいだと思うんですよ。で、そのときに近藤忠雄君(元NEC常務)が、味方になってくれた。彼はコンピュータ事業部で僕の次の立場でしたから、トップとナンバー2がやろうと。

奥田 それは誰も制止できない(笑)。

小林 結局、できちゃったんですよ。つまり、何かを成し遂げるときには、ある程度は自分で感じないとダメなんです。

奥田 そこで関本さんの言葉が……。

小林 僕はあれが大好きでね。NECでは、技術者を対象にしたMOT研修会というのがありますが、その技術講師をしていたときには必ず関本さんの言葉を出していました。もう一つ、「チャンスは不安な心を抑えて奪い取るものである」という関本さんの言葉もあって。

奥田 そう、そう。

小林 この言葉は、町長に出るという決心をしたときに思い起こしました。
 

選挙は知名度のある現職が有利 しかし可能性はゼロではない

奥田 町長選に出るきっかけを教えていただけますか。

小林 おじが亡くなって、その法事があったのですよ。そのときに親戚の町会議員が町長選に出てみないかと。酒を飲みながらですよ。町長を代えなきゃいかんというわけです。

奥田 いつ頃の話ですか。

小林 今から5年前、選挙があった年の5月。だから、選挙の3か月くらい前です。

奥田 え~っ、そんなに短かったのですか?

小林 出馬を表明したのは、6月の20日くらい。

奥田 選挙まで、ほぼ1か月半!

小林 みんなにアホだとか無謀だとか言われたんですよ。でも、いくつかの好条件があって、可能性はゼロではなかった。当時は、米国で「CHANGE」って言葉を発したオバマ政権が誕生し、日本では民主党の風が吹き、変化への期待が高まっていた。それと、富士見町では、だいたい2期で町長が交代している。当時の現職は、次の選挙が3期目になる。それも、評判は決してよくない。うまく選挙戦を戦えば勝てるかも……、と。

奥田 風が吹くぞというわけですね。

小林 それで町の状況を調べたわけですよ。

奥田 町から資料をもらって?

小林 ネットに出ているんです。財務状況などの情報が、役場のホームページにあったんです。調べたら、最大の問題は借金だった。とにかく借金苦に陥っていて、何もできない。だから、町は何もしようとしていなかった。そこに活躍の余地があるなと。

奥田 なるほど。

小林 選挙では、その借金がいかに問題かと、大げさに主張したんですよ。このままなら、町が破たんすると。

奥田 財政破たんした夕張市の二の舞になるぞ!

小林 そんな感じ。で、毎日、ビラを配る。それから、知名度がゼロですから、知ってもらうところから始めないといけない。ミニ集会を開いて、おばあちゃん、おじいちゃんに握手をしてまわりました。これを徹底的にやりました。

奥田 その選挙活動の活動案は誰が?

小林 僕が考えたんですよ。

奥田 おぉ、それはすごい。選挙の参謀は?

小林 そこですよ。町の主流派は、当然、現職についている。商工会とか、農協とか重要な団体組織はね。私の後援会はありましたが、反主流派だから影響力が乏しい。一人、頼りになる人をみつけて、二人三脚で。

奥田 NECのときに近藤さんとやったように(笑)。

小林 ただ、主流派と戦ったわけですから、町長になってからが大変でした。(つづく)

 

「信」に生きる

 信頼、信念、そして人を信じるの「信」。自分の生き方を表す一文字として、2年前から使うようになった。人を信じて、信念をもって町の改革を進め、結果を残して信頼を得る。それが次の改革へとつながっていく。「信」の文字を印刷した色紙は、町長室に飾っている。

Profile

小林 一彦

(こばやし かずひこ) 長野県富士見町出身。1943年12月30日生まれ。1967年に東京大学工学部を卒業し、NECに入社。第二コンピュータ事業部長、取締役支配人、執行役員常務、取締役執行役員専務、顧問を歴任し、2009年8月に富士見町長就任に伴い退社。富士見町長は現在2期目。富士見パノラマリゾートというスキー場の再建、メガソーラー施設の建設、転入者の増加など、さまざまな施策で町の改革を推進してきている。趣味は、読書、スキー、ゴルフ、旅行、囲碁。