専業主婦だからといって経営にノータッチの選択はなかった――第138回(下)

坂本 佳子

坂本 佳子

ライジングサンコーポレーション 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年06月29日号 vol.1585掲載

 坂本さんは、自社の社員のことを「みんな」と表現する。ご本人が意識されているかどうかは別にして、おそらくそこには、自分とともに働き、少なからぬ苦労を共有してきた仲間であるという気持ちが込められているのだろう。常に経営の厳しさと向き合う一方で、純粋さを失わず、人を大事にする姿勢が垣間みえる。「みんな、人生をかけてやってくれています」と坂本さんはさらりと口にされたが、それは経営者にとって本当に幸せなことなのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

2015.3.11/東京・千代田区のBCN本社にて
 

写真1 「今から11年前、育児に専念していた私に、突然、父がやっていた会社の社長に就くことになって……」。まさに晴天の霹靂だったと、坂本さんは当時の狼狽ぶりを語る。
写真2 “苦労した人の手”には見えない。お嬢様育ちが手の表情に現れているようだ。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第138回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

社員の気持ちを知ることで会社の方向性を探る

奥田 社長を引き継いだとき、オフィスがなかったということですが、社員の方々とのコミュニケーションはどのようにしてとっていたのですか。

坂本 財務の状況を調べているうちに、派遣は確実に利益が出せる仕事だと気づき、まずはそこに注力してやるべきだと考えました。でも、おっしゃるようにオフィスがなかったので、いつもみんなと顔を合わせているわけではありません。それだけに、みんなに信じてもらいたい、私が社長になったからといって、辞められたら困るという気持ちでいっぱいでした。そこで、毎月第三金曜日に品川にある居酒屋の個室を借りて、定例会議を開いたんです。多少利益は出ていましたから、みんなにご馳走できるし、コミュニケーションがとれます。これを2年間ほど続けました。

奥田 この時期、ふだん社長はご自宅で仕事ですか。

坂本 そうですね。ただ、月に一度定例会議を開くようになったとはいえ、社員のことをもっと知る必要があると思いました。みんな、どうしてうちの会社で働いているのだろうと思うようになったんです。オフィスすらない零細企業でなぜ働いているのかと。そこで、社員が派遣されている現場にも足を運んで「○○君は3年前からうちで働いているけど、何がよくてうちの会社で働いているの?」とヒアリングして回ったんです。

奥田 理由はなんでしたか。

坂本 何人かの社員は、「今は派遣でも、いつか仕事を請け負うようになったときには会社で自分の能力を発揮できると思ったから、あえて小さい会社に入った」と答えてくれました。

 派遣では指示通りにしかやれないし、何か提案してもなかなか通りません。社員たちのいうことはもっともだと思いました。父からはソフト会社だと聞かされていましたが、当時の状況はソフト会社とはいえません。そこで、派遣事業は大きな収益源ですが、派遣だけではなく受託開発もしていこうと考えたのです。

奥田 エンジニアのモチベーションに大きくかかわる話ですね。

坂本 そうですね。それで私は「なるべく早く事務所を借りるから、今は派遣だけど少しずつ会社を変えていこうと思うから、不安もあるだろうけど、みんなも会社を辞めないで」と言ったんです。

奥田 それは、社長になって何年目ですか。

坂本 3年目でした。そうしたら、たまたま運よく、ホテルの3階をテナントにするから入らないかというお話をいただいたんです。今から7年前のことです。

奥田 公約を守ったんですね。

坂本 それだけは、守らなければいけないと思いました。それで、一番優秀な社員を派遣先から引き揚げて、いまある京王八王子駅前のオフィスを立ち上げました。

奥田 今、机はいくつあるんですか。

坂本 机が5台で、あとは応接セット。8坪ほどの小さなオフィスです。最初は私と社員1人だけだったので余裕があったのですが、今は私のほかに4人の従業員が常駐しているのでだいぶ手狭になってきました。
 

地元八王子でニッチな仕事を追求する

奥田 4人でやっておられるのは、受託開発の仕事ですね。今後の展望はいかがですか。

坂本 これまで派遣と受託開発の両方をやってきましたが、受託開発の利益率が低いこともあって、自社製品あるいは自社サービスを事業の一つの柱に育てていくというのが、今の私たちのミッションになっています。それから、海外でも使ってもらえるようなものも、いつかつくりたいと考えています。

奥田 具体的には?

坂本 今回初めて自分たちの製品(デジタルサイネージ)をもつことができました。それは八王子市内の広告会社を経営する仲間からの依頼で共同開発したものです。当社はデジタルサイネージに内蔵するソフトと、それを操作するためのアンドロイドアプリとiPhoneのアプリをつくりました。その開発は私たちに大きな自信を与えてくれたと思います。今後その自信をベースにして、次に展開していきたいと思っています。

 私たちは派遣一本から脱却し、受託開発を始めようとしたわけですが、実際にはなかなか仕事がとれません。今でこそいろいろお仕事をいただいているものの、ずっと続けてきたホームページ制作は競合が多いですし、業務ソフトの提案も専門特化していないため、あまり芳しくありませんでした。こうした試行錯誤を何年か続けてきたことで出した答えが、“もっとニッチな部分を狙う”だったのです。

 私たちのお客様の多くは八王子エリアにありますが、八王子には測定器など箱モノのハードをつくっている会社が多いのです。そこと一緒に何かできないか。要するにハードと一緒にできないかということを模索してきました。数年前にその試みが実り、測定器のデータをケーブルでパソコンに送り、それをリアルタイムで描画し、グラフ化するという仕事をさせていただきました。このとき、ハードと通信してその情報をソフトで加工することに取り組んでいる会社は意外と少ないと聞いて、そこに特化していけないかと考え、その流れで医療機器の測定データをWindows 8のタブレットで加工するソフトをつくりました。ソフトだけつくっていてもなかなか販売に結びつかないので、少しハードに寄ったことが功を奏したのだと思います。

奥田 例えばそういうニッチ戦略は、オフィスにいる4人のメンバーと相談して生み出すのですか。

坂本 その4人は、「もっとこうしなければダメです」とか、私にずけずけとものを言うんです。最初はオフィスがないといった負い目があったので「はい、はい」と聞いていたのですが、今は自分が社長として仕事をとってきているという思いがあるので(笑)。ただ、私は技術のことはわからないので、みんなを尊敬する気持ちをいつももっています。いつまでも、言いたいことがあれば言ってくれる風通しのいい関係を保っていきたいですね。

 

こぼれ話

 八王子にある坂本佳子さんの会社の事務所にお邪魔しようと計画していたら、メールが来て「BCNのオフィスにうかがいます」ということになった。対談が始まって、会社を引き継いだ当時の話を聞かせてもらった。「実はオフィスがなかったんです」と恥ずかしそうにおっしゃる。

 ある日突然、会社を引き継ぐことになった坂本さんはオフィスがないことにも驚いた様子だった。子育て中の専業主婦が、借金のある父親の会社の社長を引き継がなければならなくなったのだから大変だ。社長就任の挨拶は貸し会議室で、月例会議は居酒屋を使って開いたという。今では、狭いながらもオフィスをもち、在籍の開発者が自社商品のソフトを開発している。その話しぶりからは喜びがビンビンと伝わってくる。

 家が一軒買えるほどの額の借金もコツコツと返済し、やっとのことで完済した。父君にそのことを報告したら、目が潤んでいたという。私も経営者の端くれだけに、坂本さんの苦労は身に沁みて理解できる。

Profile

坂本 佳子

(さかもと けいこ) 1972年東京生まれ。94年青山学院大学文学部英米文学科卒業。東急ハンズ、洋書輸入卸の三善勤務の後、出産を機に退職。2003年、父親の体調悪化により、ライジングサンコーポレーションの社長に就任。