【君津発】山根さんはNPO法人「幸せな家づくり研究会」の理事長も務め、家づくりの講師役で「先生」と呼ばれることが多い。そのエネルギッシュな話しぶりからは「先生」というよりは「教祖さま」という感じもしないではないが、察するとおり、全国に多くのファンがおられるということだ。実際、取材中の「本当にそんなことがあるのか」と思わせるような大胆な言説にも、きちんとした裏付けがあることを感じさせる。おそらく、実はとても緻密で繊細な性格なのだ。それゆえに、夢を追い続け、周囲の人を惹きつけることができるのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.5.15/千葉県君津市のもくもく村にて

事務作業の省力化を図るため自らプログラムを開発

奥田 山根さんは建物の清掃保全業の会社を設立された後に、住宅建設に手を広げられたのですね。

山根 はい。会社設立は1985年で、建設事業に進出したのが93年です。99年には、この「もくもく村」を開設し、シックハウスとは無縁なログハウスの展示場としました。そして“身体にいい住宅”を探しているときに出会ったのが株式会社無添加住宅で、2009年には同社の代理店となりました。この無添加住宅というのが、漆喰と無垢の木などの自然材しか使わない家なんです。

奥田 なるほど。これまでに、無添加住宅は何棟くらい手掛けられたのですか。

山根 無添加住宅は約100棟で、それ以前のログハウスなどを合わせると200棟程度ですね。実は、無添加住宅の建築はとても手間がかかり、一般のハウスメーカーが3か月程度で建てられるところ、6~7か月ほどかかります。

奥田 それはどうしてですか。

山根 無添加住宅では、合板や接着剤を使わず無垢の木を使いますが、床には一枚一枚バラ板を貼ったり、壁は断熱材の炭化コルクに漆喰を塗ったりするため、作業にとても手間がかかるからです。そして、材料がどれだけ必要かを見積もって、それを適切な時期に発注することにもかなりの時間がかかります。一般の住宅の場合は、建材メーカーさんが協力してくれるため材料の調達は容易なのですが、私たちは木材や漆喰を自分たちで選定して調達するため、そう簡単ではないんですね。

奥田 実際の施工以外にも、事務的な煩雑さがあるわけですね。でも、そうなると割高になってしまうのではありませんか。

山根 手間と期間はかかりますが、地域最大手の工務店さんとほぼ同価格ですし、大手注文住宅メーカーと比べると私たちのほうが安価で提供できています。

 健康な家づくりのために、あえて難しい道を選んでいるともいえますが、そうした事務作業を省力化するためのプログラムを開発しました。私たちはWalk in Homeという三次元CADで設計を行っているのですが、自社開発したプログラムは、そのデータを読み込み、見積書、材料の発注書、工程表が作成できるというものです。工程の進捗にしたがって、AIが自動的に材料発注し、見積もりに限っていえばそれまで人間が2週間かけて行っていたものが、およそ20分で完了するようになりました。見積もり以外にも発注管理や納品管理などをする人員が4人ほど必要だったのですが、現在はその全員が企画や営業部門に異動し、事務作業だけをしているスタッフは誰もいません。

奥田 そのプログラムは誰がつくったのですか。

山根 防衛大時代にマシン語を学んだ経験があるため、私がスタッフと一緒になってつくりました。言語はVBAが中心ですね。

奥田 マイクロソフトですね。

山根 このプログラムは、いずれ外販するつもりで準備していますし、経理のAI化プログラムもできあがって、その特許申請の準備をしているところです。

長生きをすることは社会にとっても有用だ

奥田 ところで、なぜ、この山深い土地に「もくもく村」をつくったのですか。

山根 黒澤明監督の『夢』というオムニバス映画に「水車のある村」という話があります。若者が水車小屋のそばで水車を直している老人と話していると、やがて村はお祭り騒ぎになる。それは前夜、99歳で大往生を遂げた老婆のためのお祝いだったという話なのですが、それを見て、私もここに長生きの村をつくりたいと思ったんですね。

奥田 どうして長生きしたいと思うのですか。

山根 私は最低120歳まで生きるつもりでいるのですが、それは自分が長生きをすることでいろいろなアイデアを提供し、社会に貢献できると思うからです。

 人生は10年で1周期、それぞれの10年に起承転結があると私は考えています。20歳から働き始めたとして、定年の60歳で人生が終わってしまったら、たった4周しかできないことになります。

 でも、たとえば1周目で何か失敗し、2周目で似たような状況に遭遇したとき、1周目での反省を踏まえて行動すればそれはよりよい結果をもたらし、知恵やノウハウがそれだけ蓄積されることになります。そこに長生きの効用があるわけです。

奥田 それはわかりますね。歳を重ねることで知恵も豊かになっていくと。とはいえ、120歳まで生きるとは……。

山根 120歳まで生きれば、10周生きたことになります。昔はよく「困ったときは長老に聞いてみよう」といわれましたが、元気でありさえすれば人生を何周もした人ほど知恵とノウハウが蓄積されているのですから、長生きすることは社会にとっても有用ではないでしょうか。

奥田 山根さんと私は同学年ですが、もう少し現実的に考えて100歳くらいで折り合いをつけるとしてもまだ30年ほどあります。その30年をどうお考えですか。

山根 人間というものは、それほど簡単には死なないと思っているんです。自分は社会のためになっていない、もう死んでしまってもいいと思ってしまえば死んでしまう。けれども、常に社会のために働き続けるんだと思えば、生き続けられると思うのです。

奥田 異議なし。

山根 私はいつも大きな夢を抱いているのですが、新しいアイデアを出し続けることで、きっと道は拓けると考えています。

奥田 夢と現実、それぞれについて考えられると思いますが、山根さんの場合はどれくらいの比率ですか。

山根 夢がほとんどですね。

奥田 なるほど、よくわかります。ところで山根さんは、常識と非常識ということについてどうお考えですか。

山根 非常識で、家内には苦労をかけているんですよね(一同・笑)。でも、常識的にすぎれば改革はできませんし、非常識でなければ社長はやっていけません。同じことをしていたら、会社を長続きさせられないからです。

奥田 同感です。私も経営者を兼ねていますから、それはとてもよくわかります。

山根 企業規模としては小さいながら、見積プログラムや経理のAI化などが軌道に乗ったこと、そして抗ウイルスなど無添加住宅のさまざまな有効性が実証されたことでチャンス到来と考えています。3年前には近隣の木更津市に“入居者が元気になる老人ホーム”も開設しましたし、まだまだこれからですよ。

奥田 120歳までのご活躍、心から期待しています。

こぼれ話

 話が進むにつれて、その人となりが浮かび上がってくる。真っ白なキャンバスに青い絵具を落とす。次の会話で赤い線を引く。ひと筆ひと筆を重ねながら、山根維随さんが動画となって動き始める。「あの商店街には古川書店ってありましたよね」「えぇ、ありました、ありました」「あの通りの名前は確か…」「シンミチ…」「そうそう、新道商店街」。対談する二人はきっと同じような風景を思い描いたに違いない。

 生まれた街は違うが、同年齢。鳥取出身の山根さんは自衛隊の幹部候補生を目指して横須賀へ。私は岐阜から伊勢へ。その後、私が東京に出て新聞記者になった頃、山根さんは伊勢に近い明野駐屯地へ。「私の着任祝賀会を開く店の場所が分からなくて、通りがかりの一番美しい人に…」「道を聞いたんですね」と大笑い。その場に同席した女性の専務が頬をゆるめた。二見の出身で、たまたま伊勢に用事があったという。それをきっかけに結ばれて、人生を共にすることになる。現在は同社の共同経営者だ。

 真っ白な漆喰は清廉だ。家の内も外も丸ごと漆喰で覆われている。「もくもく村」には殺菌作用を持つ純白の家がいくつか建っている。そうそう、漆喰造りの動物小屋もその数に入れなくてはいけない。産まれたばかりのウサギに挨拶をした。チョコチョコ動き回って、愛嬌たっぷりだ。村の周囲は木々に囲まれている。山から水を引いた、ひとっ跳びで渡れる小川が流れている。大きなテントも張ってあって、子どもたちが遊べる場所になっている。どんな家を建てるかは人生の中でも大きなイベントだ。家族が選んだ家で、家族で過ごす。選ぶ過程が楽しい思い出となる。手間ひま掛けた人生は麗しい。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第260回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。