「身体をよくする仕事がしたい」という思いが 漆喰と無垢の木の家づくりにつながった――第260回(上)

千人回峰(対談連載)

2020/06/12 00:00

山根 維随

山根 維随

アンジコア 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/押田幸久

週刊BCN 2020年6月15日付 vol.1829掲載

 【君津発】内房線の君津駅に降り立つと、迎えのクルマが駅前で待っていてくれた。目的地は、自然の中の総合住宅展示場「もくもく村」だ。クルマは街中を抜け、いつしか山道に入っていく。はじめて訪れる人のほとんどは「住宅展示場がこんな山の中に本当にあるの?」という疑念を抱くらしい。走ることおよそ30分。6棟のモデルハウスが贅沢に配置され、芝生の庭には巨大な御柱が横たわる。それにヤギ・ニワトリ・ウサギの飼育舎など、生命や活力を感じさせるものがそこかしこにある。野鳥のさえずりを耳にしながら、いささか趣の異なる対談となった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.5.15/千葉県君津市のもくもく村にて

幹部自衛官から健康な家づくりの道へ転身

奥田 いまインタビューさせていただいているこの建物も漆喰と無垢の木でつくった『無添加住宅』というそうですが、山根さんはそもそも、なぜ漆喰の家の建築に着目されたのですか。

山根 端的に言えば、私自身が長年、化学物質過敏症に悩まされていたからです。私は、鳥取市吉岡温泉町の呉服屋に生まれ育ちました。当時は家業の景気もよかったようで、半年に一度は家の大改修を行うような状況でした。ところが、その頃から建築工事に合板や接着剤が多用されるようになったため、私はその大量の化学物質を体内に取り込んでしまったのです。

奥田 なるほど。裕福な家庭環境だったことが、かえって仇になったと。

山根 そういうことになりますね。

奥田 ところで、山根さんの経歴を拝見すると防衛大学校を卒業されていますが、どんな思いからその道に進まれたのですか。

山根 本来は、物理学の研究を志して京都大学の理学部を目指していました。ところが、当時、母が病気で倒れ、兄弟もたくさんいたことから、経済的負担のない防衛大で物理を学ぼうと考えたのです。

奥田 防衛大生は、給料をもらえるんですよね。

山根 はい。月に9800円もらって、そのうち5000円を家に仕送りしていました。

奥田 それは立派ですね。それで、卒業された後は?

山根 卒業後は、福岡県久留米市にある幹部候補生学校で約1年、厳しい訓練を受けた後、三尉として宇都宮の駐屯地、正確には東部方面総監部第12飛行隊に赴任しました。そして、伊勢市にある明野駐屯地の陸上航空隊などを経て、30歳のとき、木更津駐屯地を最後に退官したんです。辞めたときの階級は一尉でした。

奥田 防衛大出身といえば、自衛官の中でもエリートですよね。なぜ、そこで辞められたのですか。

山根 私は常に新しい世界をつくりたいと考える性格で、自衛隊にあっても改革をしていこうという気構えを持っていました。ところが、幹部に昇進し、組織全体が見えてくると、自衛隊というものは規律を重んじ、変えてはいけない組織だということに気づいたんです。

奥田 自衛隊では新しい変革ができないから、他の道を探ると……。

山根 ええ、それならば自衛隊で学んだことを社会で実践し、それを活かしたいと考えました。

「気」の世界に出会い自らの化学物質過敏症を克服

奥田 30歳で起業ということですが、最初はどんな仕事をされたのですか。

山根 体力や運動能力に自信があったこともあって、ビルの床掃除やビル窓拭き用ブランコに乗って作業するなど、まずは自分の身体を使って稼ぐ仕事に携わりました。その一方で、何の資格も持っていなかったため、さまざまな資格や免許の取得に励みました。

奥田 自衛隊では、いろいろな資格や免許を取得できると聞いたことがありますが……。

山根 幹部以外は無料で取得できますが、幹部についてはすべて自己負担なんです。

奥田 そうなのですか。それは意外ですね。それで、退官後はどんな資格を取得されたのですか。

山根 二級建築士、二級土木施工管理技士、第二種電気工事士など、23種類の資格を取りました。

奥田 23種類ですか。それはすごい! やはり、いまのお仕事に関係する資格が多いですね。

山根 体力に自信があるとはいえ、化学物質過敏症はずっと治りませんでした。防衛大時代も、新しく建てられた校舎に入ると風邪をひいたような症状になり、ずっとつらい思いをしてきました。そんなこともあって「身体をよくする仕事」をしたいと考えていたんです。それが、現在行っている事業につながってきたのだと思いますね。

 いまは新型コロナウイルスの蔓延で世界全体がたいへんなことになっていますが、漆喰にウイルスを不活性化する効果があることがわかりました。そうしたことからも、私たちの仕事が皆様の健康に貢献できればと思います。

奥田 それで、山根さんご自身の化学物質過敏症のほうは?

山根 当時は毎日10キロ走ったり、断食をしたり、玄米と菜食だけにしたりと、いろいろなことを試してみたのですが、なかなか治りませんでした。ところが40歳の頃、西野バレエ団の創始者、西野皓三先生の『気の奥義』という本を読んだのです。そこには「瞑想のパワーによって60兆ある細胞が元気になる」とあります。「これだ!」と思いました。それで、渋谷にある西野塾に毎日のように通い、正座をして瞑想していると、身体が「気」に包まれて、つらかった身体がウソのように楽になってきます。

奥田 そのとき「気」の世界に、はじめてふれられたのですか。

山根 そうです。「気」の力はすごいなと思いました。あるとき、私は足を捻挫してしまい歩けなくなってしまったのですが、自分で手を当てたら痛みが消えて治ったんです。

 それで、家内の肩こりも治すことができ、疲れた社員の体調を「気」によって整えるためのベッドも社内に設置しました。

奥田 そんなこともできるのですか。

山根 はい。それでこの話を聞きつけたあるプロ野球選手が、私のところに毎週のように通ってきたことがありました。ところが、そのときは元気になっても、翌週にはまた悪い状態に戻ってしまいます。もしかすると、その方の住環境に問題があるのではないかと思い、ご自宅を拝見すると風水的によくないことがわかりました。

奥田 風水の研究はいつからされているのですか。

山根 「気」の力を高める方法はないかと思ったときからですから、もう30年以上ですね。家とその周囲の環境を変える、たとえば階段に板を張ったり間仕切りをつくったりといった実験をしながら自分なりに法則を読み解いて、住む人がみんな元気になれる家を追究していったのです。

 ですから、私がやっているのは「風水統計学」で、黄色い財布を持ったらお金が貯まるといったたぐいのものではありません(笑)。

奥田 なるほど、いろいろな事例を研究することで、はじめて傾向がつかめると。

山根 わかりやすいセオリーは勉強会などでお伝えできますが、風水というものはそれほど簡単なものではありません。やはり多くの観点から分析することが必要ですね。(つづく)

無添加住宅で幸せに暮らす三匹のヤギ

 もくもく村には自然がいっぱいだ。敷地内を流れる小川にはメダカが泳ぎ、絶滅危惧種のモリアオガエルのオタマジャクシが群れをなす。極めつけは無添加住宅仕様の動物小屋で飼われているヤギである。自然と共生することの大切さを、お客様にも体感していただきたいと思っています。住人のヤギに直接聞いたわけではないけれど「健康で幸せな生活を送っているよ」と言っているみたいです(笑)。と山根社長。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第260回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

山根 維随

(やまね いずみ)
 1948年、鳥取市吉岡温泉町生まれ。鳥取西高校を経て防衛大学校卒業。幹部自衛官として各地の駐屯地に転任し、木更津駐屯地勤務を最後に退任。「人々が健康で長生きでき、幸せな生活を送れる環境づくりに貢献できる仕事をしたい」と考え、オフィスなどのダクト清掃の事業を立ちあげる。その後、自然素材を用いる家づくりに着手。99年、ログハウスと無添加住宅(漆喰と無垢の木で建築)を展示する「もくもく村」を開村。NPO法人「幸せな家づくり研究会」理事長。著書に『120歳まで幸せに生きる家』(エル書房)がある。