理論と実践の隙間に光る 新たな定理を発見するのが楽しい――第258回(下)

千人回峰(対談連載)

2020/05/22 00:00

若尾 和正

若尾 和正

ベガシステムズ 代表取締役

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直

週刊BCN 2020年5月25日付 vol.1826掲載

 【一宮市発】ベガシステムズ社の近くには若尾さんの別荘がある。そこでは国内外から訪れる多くのゲストを、若尾さんが腕を奮っておもてなしをするのだそうだ。料理は中学生の頃から、仕出し店を営んでいた実家で鍛えられた。当時は不本意だったが、「今にして思うと一番大きな影響を与えられて、かつ役立っているのが料理」とのこと。得意料理は刺し身。20本以上の包丁を所有し、どの国のどんな魚でも、ひと目見ればさばき方がわかるという。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.3.4/愛知県一宮市のベガシステムズ社にて

料理とLANケーブルに共通するもの

奥田 若尾さんは時々会話に英語が入るでしょう。しかも発音がきれいですよね。

若尾 親父の命令で、中学から英語の家庭教師をつけられたんです。

奥田 僕たち同じ年代ですよね。その頃から英語って、ちょっと珍しいのでは?

若尾 親父が海軍兵学校卒だったせいか、英語は身につけておけ、と。近所に住んでいたイギリスの方に教えてもらっていました。

奥田 なるほど。ほかにお父さんに影響を受けたことってありますか。

若尾 料理です。実家が仕出し店をやっていたんですが、中学1年くらいから毎日手伝うようにと言われて。私はやりたいわけではなかったんですが。

奥田 どんなことを手伝うんですか。

若尾 出汁の引き方、魚のさばき方、包丁の研ぎ方、いろいろです。練習のために1日100本、鯖をさばいたこともあります。

奥田 それはすごい。

若尾 合計すると1000本くらいさばいたんじゃないかな。おかげで、どんな魚を見ても、どの角度で包丁を入れればすばやくさばけるかが身につきました。

奥田 その技術は、料理以外の何かにも応用できていますか。

若尾 はい。ケーブルの組み立てに(笑)。本当にそうなんです。指で押さえたり掌で支えたりするのが包丁の動きに通じるんです。中国の工場でもそうやって手や指の使い方を指導してきました。

奥田 包丁さばき以外で身についたことは?

若尾 道具と計量を叩き込まれました。作業をスムーズかつ迅速にするのは絶対的に道具だと。それと正確な計量。仕出し店ですから30~40人前をつくる必要がありましたので、目分量は絶対ダメなんです。

奥田 大事なのは道具と計量。いずれも実践ですよね。うーむ。それって何だか今の若尾さんをつくってますよね。

若尾 ちょっと話が飛びますが、高校時代、アマチュア無線の資格を取るために電気通信を一生懸命勉強したのですが、その時電気通信はなんて奥が深いんだと。公式は今でも覚えているし、現在の仕事にも応用できています。

奥田 オームの法則とかですか。

若尾 そうです。実際に実験をしてみるとまさに本に書かれている通りです。学問として確立されていることが、実践で役立つ。私を支えるのはこれだと。理論を実験値で裏付ける。実験の裏には理論がある。理論と実験の値が異なるのは、実験がまだ至っていない証拠なんです。

奥田 理論と実験値が異なる場合は、実験値が間違っている。

若尾 そうです。とことん突き詰めていけば必ず理論に到達する、合致するんです。でも、実験を繰り返し繰り返しやっているうちに、その隙間に何か光るものがあるんです。

奥田 光るもの?

若尾 定理では明かされなかったもう一つの定理。これは定理が間違っているのではなく、定理として及ばないところ、すなわち発見です。

奥田 おお……。

若尾 でね、話を戻すと料理にもそれがある。料理はサイエンスなんですね。やっぱり定理があって隙間があって、発見がある。さらに、同じことをLANケーブルにも見出したわけです。

奥田 若尾さん、さらっと話しておられますが、すごいことをおっしゃってますねえ。

子育て中の母親を1分動画のクリエイターとして応援中

奥田 話をLANケーブルに戻しましょう。

若尾 LANケーブルの構造改革については話しましたが、それに付随して目指しているのが電源アダプターの撲滅です。奥田さんは電源アダプターを使われますよね。

奥田 そうですね。ないと機器が使えませんから。

若尾 100wクラスのPoE(Power over Ethernet)
を使うことで、アダプターを使わずとも電源の供給が可能になるんです。つまり、USB電源アダプターをLANケーブルで給電し、ついでに信号も送ってしまう。こうすることで、世界中で膨大な省資源・省電力が可能になります。

奥田 いいですねえ。旅行の荷物が軽くなりますね。

若尾 これも基本設計ができています。

奥田 それが話したいことの二つ目ですね。あともう一つは動画でしたっけ。

若尾 そう。1分動画作成のためのテンプレートの公開。これはすでにウェブで公開を始めています。2年間つくり貯めたテンプレートを公開して、複数の動画クリエイターを養成中です。ここで定期的に動画作成を教える勉強会も開催しています。

奥田 若尾さんがそれを推進している意図は?

若尾 そもそも動画に到ったのは、LANケーブルをつくる作業を説明するのに静止画だけではどうやっても不十分だったから。その時やったのは撮った静止画を100枚つなぐこと。

奥田 ああ、それは正確ですね。

若尾 ただ、世の中は動画だと騒がれている割には、需要と供給のバランスが取れていないんです。

奥田 つくるほうが少ないんですか。

若尾 そう。だから製作費も高止まりしてしまう。それはよくないのでもっと供給を増やす必要があります。例えば自宅で動画がつくれたら、在宅で子育て中の母親でも仕事ができる。その方法をもっと具体的に形にして提供しようとしています。

奥田 それがAppleの動画アプリに入ったりするわけですね。

若尾 Googleが新しい試みとして1分動画で始めるんです。まさに我が意を得たり。今後はこれが主流になっていきます。この動画、タイムラプスといって早送りで見せても1分。かなりの情報量を詰めることができます。

奥田 一つお聞きしたいことがあるんですが、いいですか?

若尾 何ですか。

奥田 若尾さんは何で全国区に出て行かなかったんですか。

若尾 うーん。まあいろいろあります。東京に出てこいと何度も誘っていただいたこともありましたけど、自分がやりたいことをやるには、この場所にいて時間的な余裕がないとできないかなと。

奥田 若尾さんは曖昧がダメなんでしょうね。

若尾 そうなのかな。日々に夢中で気づいたらこうなっていました。後ろを振り返る暇もなくて。ただ、仕事を通じてたくさんの人に出会い、実にいろいろなことを教えていただきました。NECの速水さん、ヴァル研究所の島村所長、そしてサンワサプライの山田会長、当時は社長でしたが。

奥田 なるほど。

若尾 「思考が若い>男のロマン。これを世間では大風呂敷と呼んでいる」。島村さんの言葉です。教えに従い、ずいぶん風呂敷を広げてもきましたが、そろそろ畳む準備も考えないと。

奥田 いや、まだまだでしょう。LANケーブルの構造改革とアダプター撲滅、それに1分動画。いずれも楽しみにしています。今日はありがとうございました。

こぼれ話

 JR尾張一宮駅下車、名古屋駅から快速で一つ目だ。タクシーに乗って若尾さんの事務所に向かう。東京から思いのほか近い。かれこれ35年は通っている。パソコンは開発技術が日進月歩で進化し、インターネットの整備で法人から個人まで普及が拡大した。さらには、スマートフォンの登場で子どもから後期高齢者までが幅広く使う時代になった。ハードの進化、ソフトの多様化、インフラの整備、利用技術の発見と、デジタル環境は「こうしたい」と望むほど高みに向かう。そのつど、私は若尾さんの事務所に通って、同じ質問をする。「これからどうなると思う?」。彼は決まって同じ言葉を返す。「わかってるくせに」である。

 緊急の時には電話で話す。毎回2時間を超える(そういえば、共通の友人であったメルコ創業者の牧誠さんはさらに長時間だった)。電話は突然やってくる。その電話の主が牧さん、若尾さんからだと、まず次の予定を確認してから、「もしもし」となる。お二人からは電話をいただくばかりだった。それもそのはずで、実は私、電話が苦手なのである。

 デジタルの世界は、「思い願うと実現する玉手箱」だ。若尾さんの話も玉手箱のようだ。次から次へと話題の世界は広がる。ハード、ソフト、ネット、利用技術はもとより、私の趣味である山に関しては大先輩格だ。登った山の数、四季を通じた登坂技術、キャンプの技術には学ぶものが多い。1995年9月13日、中房温泉の登山口から燕岳に向けて、きつい坂をひたすら登る。つらい。山に来なかったらよかった、と思う頃、合戦小屋に到着する。そこで若尾さんが一人でニコニコしながら待っていてくれた。スイカを食べながら少し会話をして、燕山荘に向かった。若尾さんと親友になった気がした。後日、グリベルの木製ピッケルをプレゼントしてくれた。今も大切にして、アマニ油で磨いている。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第258回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

若尾 和正

(わかお かずまさ)
 1949年生まれ。岐阜県出身。親戚が経営するベガシステムズ社に入社。ネットワーク設計、ネットビジネスの提案を本業とする傍ら、技術系専門学校の講師やアメリカAMP社のLANスペシャリスト資格ACT I/II/IIIの正規教育機関として後進を育成。現在、自社で勉強会を開催し子育て中の母親を中心に動画クリエイターを養成中。毎週水曜日には、地域密着型ラジオ局「i‐wave」のサテライトスタジオでICTをテーマに歯に衣着せぬDJを務める。趣味はトレッキング、写真、音楽、料理など。料理の腕はプロ級で、ブログでキッチンツールやレシピの発信も。