大杉先生は大柄である。しかし、話し方や所作は実に穏やかで細やかだ。現在に至るまでの詳細は本文で触れるが、きっかけの一つは、大学時代、研究室が同じフロアだった障がい児教育者の宮武宏治教授とたまたますれ違ったところ「ガタイがいいから」とスカウトされたのだという。確かに肢体不自由のある子ども達たちを支えるためには筋力が必要だが、それだけではないはず。その教授はきっと、大杉先生が備える優しさも見抜いて声をかけられたのに違いない。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.3.3/皇學館大学 大杉教授研究室にて

いろいろな人がいるのがあたりまえだった5歳の頃

奥田 先生のご専門を教えてください。

大杉 障がい児教育です。それに教育工学を用いるという方法を採用しています。

奥田 教育工学をもう少し噛み砕いて説明していただけますか。

大杉 教育の中に工学的な手法を取り入れるということです。コンピュータもその一つです。工学が対象とする領域はとても広いのですが、自然科学をいかにわれわれの生活に生かしていくかという考え方になります。その考え方に沿って実際に機器製作も行います。

奥田ということは理念だけではなく、ものづくりもされる、と。先生がその分野を選ばれた理由は?

大杉 大学時代、教育学部で障がいのある子どもに関わっている時に、機器を使うことでできないことができるようになると思ったからです。ちょうど電動車椅子が世の中に出た頃で、それをどのように障がいのある子どもたちに使うかを卒論のテーマにしました。

奥田 そういう教育に取り組まれたのはどうしてですか。

大杉 大学生の頃、同じフロアに研究室があった障がい児教育の教授から「君、いい身体をしているね。障がい児教育をやらないか。」と声をかけられまして…(笑)。

奥田 障がい児教育に身体は関係あるのですか。

大杉 あるんですよ。肢体不自由の子たちを支えるには力が要りますが、この分野に関わる方は女性が多いので、もっと男性が必要だと考えられていた時にたまたま僕が通りかかったらしいです。

奥田 それがきっかけで。

大杉 はい。ただもっと遡ると僕が5歳くらいの頃の話になります。隣家に僕より一歳上で小児麻痺(ポリオの後遺症)のあるお子さんがおられました。その子自身で話をするのは難しい状況で、彼のお母さんがいないとコミュニケーションが取れなかったんですが、よく遊びに行っていました。

奥田 コミュニケーションが取れなくても遊んでおられた。違和感はなかったんですか。

大杉 うーん。小学校へ入る前だったこともあるのかな。単にそういう人もいるんだなという感じでした。向こうのお母さんが「うちの子は病気で身体が動かなくなったのよ」とおっしゃるので、ああ、そうなんだと。

奥田 納得されていた。

大杉 そうですね。実は近所にろう学校があって、そこでも遊んでいました。なので、世の中には本当にいろんな人がいるんだなと思っていました。

奥田 なるほど。それは現在の大杉先生を形成する入り口みたいなものですね。大学を卒業された後は?

大杉 地元の滋賀県で小学校の教員として6年ほど勤めた後、特別支援学校に来ないかとオファーをいただいて移りました。

奥田 それも地元で。

大杉 はい。滋賀大学教育学部附属養護学校(現:特別支援学校)です。ここに在職しながら横須賀にある国立特殊教育総合研究所(現:特別支援教育総合研究所)にも研修に行かせていただいて、そこから今の教育とのつながりが濃くなっていきました。1992年くらいですね。

奥田 研修はどのくらいの期間?

大杉 2か月半で寮暮らしでした。そこで生涯の師匠となる先生と出会うことができました。成田滋。先生とおっしゃって、この先生のおかげで兵庫教育大学で博士号を取得することができました。今もおつき合いさせていただいています。

奥田 教育工学をみっちり学び、恩師にも出会えた研修だったわけですね。

視線入力を使えば、市販のゲーム機が操作できる

奥田 ちょっとストレートな物言いをします。特別支援教育というと、何か限られた“特別”ではなくて“特殊”なイメージがあるのですが……。

大杉 (しばし考えて)まあ、昔の特殊教育はそうだったと思います。障がいのある子どもはどこか違う特別な学校に行くというような。

奥田 今は違うんですか。

大杉 子どもの病状や保護者の付添など条件はいろいろありますが、障がいがある子ども地元の学校に通えるようになってきていますね。

奥田 今、ふと思ったのですが、“障がい”といってもいろいろな障がいがありますよね。

大杉 そうですね。特別支援学校は盲・聾・知・肢・病という種別があって、最も多いのは知的障がいで、全体の80%くらいになります。ただ、近年は特別支援教育の対象はLD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害発達障がい)、高機能の自閉症のある人など通常学級に在籍する特別な教育ニーズのある子どもも含めるようになり、その範囲は広がってきています。

奥田 先生が取り組んでおられるのはどの分野ですか。

大杉 肢、つまり肢体不自由のある人たちです。

奥田 パラリンピックに出場される人たちと同じと考えていいのでしょうか。

大杉 パラリンピックは、もともと戦争でケガをされた兵士の訓練から始まっています。僕たちの領域はスーパーアスリートスポーツとは少し異なりますね。

奥田 特別支援教育にはまとまった組織があるのでしょうか。

大杉 全国的な大きな組織がいくつもあります。その中で僕が活動しているのが日本教育情報学会の中の「特別支援教育AT研究会」です。

奥田 ATは何の略ですか。

大杉 アシスティブ・テクノロジーです。大学や学校現場で障がいのある子どもへの機器による支援を研究されている先生方が共に活動している研究会です。

奥田 教育工学がここに生きてくるわけですね。

大杉 そうです。僕がメインで研究している「視線入力」もそうです。

奥田 視線入力とは?

大杉 目を使ってカーソルを動かし、画面にあるキーボードから文字を選んで入力する方式です。福祉分野においては比較的新しい技術です。

奥田 かつてスティーブン・ホーキンス博士が用いていたのがそれですか。

大杉 いや違います。博士のは候補が順々に示されるのを、指先で小さく軽いスイッチを操作・選択して文章を作成していくスキャン入力方式でした。

奥田 視線入力について、もう少し詳しく教えてください。

大杉 最初にユーザの視線を機械に認識させた後、画面にあるキーボードを一定時間見つめる(視線停留)ことで文字を確定することができます。入力した文字を人工音声にする「発話」という機能もあるので普通に会話をすることも可能です。

奥田 なるほど。それを使えばコミュニケーションが図れますね。

大杉 それだけでなく、視線を操作して市販ゲームで遊ぶことも可能です。先日リリースした「miyasuku Game」というソフトは、視線でコンシューマゲーム機が操作できます。

奥田 ということは、障がいがある子もない子も同じゲームで一緒に遊んだり対戦したりができるわけですね。それはいいなあ。

大杉 広島にある株式会社ユニコーンという会社の協力を得て実現しました。熊本地震後に取り組み始めたので、かれこれ4年。成果がまとまったことがとてもうれしいですね。(つづく)

『広島モーターサイクルレース全史』三保浩一郎著

 著者の三保さんは歯科医でライダーだったが、2011年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。本書は発症後に視線入力だけで書き上げられた。病気を受け入れながら、あくまでも前向きに突き進む三保さんの姿勢に、大杉先生は強く、強く打たれたという。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第256回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。