国内最大規模の原発・柏崎刈羽原子力発電所に行ってきた

特集

2016/07/26 11:46

 何かと注目を浴びることの多い原子力発電所(原発)。施設内には滅多に入れないが、今回、東京電力ホールディングス最大の原発、柏崎刈羽原子力発電所の視察ツアーに参加することができたので、レポートしよう。


柏崎刈羽原子力発電所のジオラマ

柏崎市/刈羽村は油田の町から原発の町へ

 柏崎刈羽原発は、上越新幹線・長岡駅から車で約40分ほど、新潟県柏崎市と刈羽村をまたぐ形で立地している。周辺一帯は、元々製油の地として知られる。1899年(明治32年)に日本石油本社が現在の出雲崎町(旧:出雲崎村)から現在の柏崎市大久保(旧:大洲村大久保)に移動。翌年には23社の製油所ができ、そのなかで北越西山油田は年産13万トンと、当時の国内原油産出量の約半分を産出した。 

 石油生産は1930年(昭和5年)にピークを迎えたが、規制緩和後の競争激化や原油価格の高騰、需要低迷などによって縮小し、1973年(昭和48年)には最後の油田が閉山した。油田の衰退に並行して、柏崎市議会や刈羽村議会が誘致を検討したのが原発だった。1969年(昭和44年)から柏崎市/刈羽村議会誘致決議が行われ、1978年(昭和53年)に柏崎刈羽原発の1号機の建設工事を着工。1985年(昭和60年)、1号機の営業運転を開始した。 
 

合計7棟の原子炉建屋、2007年に世界最大規模の原発に

 柏崎刈羽原発は、海岸沿いに約3.2km伸び、奥行きは約1.4km、面積は約420平方メートル(約127万坪)と東京ドームの約90個分に相当する。敷地の割合は、柏崎市が7割、刈羽村が3割だ。 
 


柏崎刈羽原子力発電所の概要

 1990年に2号機、1993年に3号機、94年に4号機、96年に6号機、97年に7号機が営業運転を開始。総出力量は821.2万kWに達し、1997年7月2日の7号機の営業運転開始時には、カナダのブルース原子力発電所を抜いて世界最大の原子力発電所となった。しかし、2007年7月の新潟県中越沖地震以降に2~4号機、東日本大震災以降の2011年8月に1号機、2012年1月に5号機、2012年3月に6号機、2011年8月に7号機が停止し、現在は全機運転を停止している。 
 

 

原発ならではの課題 停止後も継続的な冷却が必要

 原発の発電の仕組みはシンプルだ。大枠は火力発電と同じで、熱エネルギーを利用して水を沸かし、蒸気の力で蒸気タービンを回転させ電気を起こす。蒸気は冷やすと水に戻るので、再び熱エネルギーで加熱し、蒸気を発生させる。 
 


発電の仕組み

 火力発電と原発の違いは、熱を発生させる燃料だ。原発は、ウラン235の原子核に中性子を当てることで核分裂を起こし、そのときに発生する大量の熱を利用している。停止する際は、中性子を吸収する制御材でできた制御棒を炉心に挿入し、核分裂連鎖反応を止める。 
 


原子炉内での核分裂

 しかし、制御棒によって核分裂を止めても、核分裂によって生じた中性子は熱を発し続けるので、継続的な冷却が必要になる。東日本大震災で被害を被った福島第一原発は、原子炉を止めることはできたが、継続的に冷やすことができず、放射性物質を放出する事故につながった。火力発電ならば、冷却する必要がないため、こうした被害は発生しなかった。現在停止中の柏崎刈羽原発も、原子炉の冷却作業のため約6500人の従業員が勤務している。 
 


安全対策について語る柏崎刈羽原子力発電所の林勝彦副所長

 柏崎刈羽原子力発電所の林勝彦副所長は「二度と事故を起こさないように」と、日々危険に備える安全対策に取り組んでいる。柏崎刈羽原発が取り組む最先端の安全対策については、別記事で紹介する。(BCN・山下彰子) 
 

写真でみる柏崎刈羽原発


中央が原子炉で、左が燃料集合体、右が原子炉格納器


タービン発電機


左が使用済燃料貯蔵プール。停止中の現在は分厚いフタ(右)が開いている


特別に公開された原子炉格納容器の内部