元日本代表が選んだ 腸内環境ビジネスというセカンドキャリア――第292回(上)

千人回峰(対談連載)

2021/10/08 00:00

鈴木啓太

鈴木啓太

AuB 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.9.3/東京都中央区のAuBオフィスにて

週刊BCN 2021年10月11日付 vol.1894掲載

【東京・八重洲発】サッカーフリークでなくても、多くのスポーツファンはこの人の名前を知っているはずだ。高校卒業後、名門浦和レッズに入り、日本代表にも選ばれ、長年ボランチとして活躍した鈴木啓太さん。その鈴木さんが第二の人生として選んだのは、指導者の道ではなく起業の道だった。“アスリートの起業”というとなんとなくサイドビジネス的な薄っぺらいイメージもあるが、啓太さんは違った。自身のサッカー選手としての経験を活かし、子どもの頃から意識していた腸の大切さをテーマに、アスリートの力を社会に還元しようと全力でビジネスに取り組んでいるのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.9.3/東京都中央区のAuBオフィスにて

「毎日ウンチを見なさい」という母の教えがいまに活きる

奥田 トップアスリートだった鈴木さんが、現役引退後に手がけたビジネスのテーマが「腸内細菌」。ちょっと変わった選択のように思えるのですが、どんなきっかけがあったのですか。

鈴木 調理師免許を持つ母は、私が幼い頃から「腸は大切だから、毎日ウンチを見なさい」と言っていました。色や形を聞いて、体調をチェックするんです。それだけ私の健康に気をつかってくれていたのですね。それが、腸内細菌に関心を持つ最初のきっかけだと思います。

奥田 お母さんは、いわば専門的な立場から家庭で健康のサポートをしてくれたのですね。

鈴木 そうですね。私は静岡県清水の出身ですが、身体が小さく細かったくせに、6、7歳の頃から海外でプロサッカー選手になろうと考えていました。だから、食事の面でも母はいろいろと配慮してくれました。

奥田 ずいぶん早い時期から、プロを意識していたのですね。

鈴木 当時、カズ(三浦知良)さんがすでにブラジルでプロとして活躍しており、また、家の近所からプロサッカー選手を何人も輩出するような環境だったからです。

 私の家の10軒先には日産自動車や清水エスパルスなどで活躍した長谷川健太さん(現FC東京監督)、4軒先にはセレッソ大阪やヨーロッパのクラブで活躍した西澤明訓さん(現セレッソ大阪アンバサダー)の家があったんですよ。

奥田 なるほど、身近にすごい人がいると自分にとっても現実感がありますものね。

鈴木 小学校5年のときには、父にサッカー留学したいと頼み込んだこともありました。そんな時期、1993年にJリーグが開幕し、それまでアマチュアしかなかった日本のサッカーチームがプロに移行していくのを見て、その道もあるかと思ったんです。

奥田 鈴木さんのジュニア時代は、サッカー選手にとっての選択肢が広がった時期だったわけですね。ところで、ビジネスとして腸内細菌に取り組もうとした背景には、どんなことがあったのですか。

鈴木 現役時代、トレーナーから「便を記録するアプリを開発した人がいる」と聞いたことが直接のきっかけです。実は、私は高校生の頃から腸内細菌のサプリを飲んでいました。腸内細菌というとチームメイトに変な顔をされるので、当時は「ビタミン剤」と言っていましたが(笑)。

 また、2004年のアテネ五輪アジア最終予選をUAEで戦った際、23人中18人の代表選手が下痢に悩まされましたが、私は日頃から腸を整えていたおかげでそうした症状に陥ることはありませんでした。そんなこともあり、便の記録アプリに興味を持った私はその開発者に会いに行き、それがAuBの立ち上げにつながったのです。

アスリートの腸内環境を分析し 健康増進に役立てる

奥田 小さい頃からお腹のコンディションの重要性に気づいていた鈴木さんが、実際にその分野の開発に携わる人に出会ったと。

鈴木 そうですね。いま、この分野の研究はどこまで進んでいるといった話を聞いた後、「特徴的な人を調べると、大きな発見につながる」という言葉を聞きました。アスリートは、まさに特徴的なフィジカルを持っています。ならば、優れたアスリートの腸内細菌を探して、それを何らかの形で役立てようと考えたわけです。

奥田 鈴木さん自身がアスリートだったからこそ、そのアイデアが生まれたと。そこで知り合いのアスリートに依頼して、数多くの便を集めはじめることになるのですね。

鈴木 そうですね。同じ内容の食事を摂り、同じ運動量をこなしたとしても、太る人もいれば痩せる人もいます。ということは、食べたものをどう吸収するかということには個人差があり、そこには腸内細菌が関わっていると考えられるのです。よく、現役のときは「あいつら何を食っているんだろう」と選手同士で話したことがありますが、いくらすごい身体のアスリートでも特殊なものを摂取しているわけではなく、一般的な食材を使ったものを食べているはずです。ということは、やはり吸収のしかた、つまり腸内細菌が大きなカギになると考えられるのです。

奥田 お母さんの家庭での実践を、アカデミズムの世界で実証するような形ですね。ところで、アスリートの便はどのくらい集めたのですか。

鈴木 今年7月の時点で750人分を超え、検体数は1700を突破しています。その便のサンプルは共同研究をする香川大学に送ってDNA解析を行い、データベース化しています。こうした研究によってエビデンスを蓄え、アスリートの腸内環境では、一般の人の約2倍の酪酸菌があり、また競技ごとにその特徴が異なることがわかりました。

奥田 AuBの設立は2015年10月ですが、このとき鈴木さんはまだ現役選手ですね。

鈴木 そうですね。引退したのは翌年の1月です。その寸前にこの事業に出会えたことは、とてもいいタイミングだったと思います。腸内環境の改善というテーマに取り組むことは、自分の使命なのではないかと思ったくらいです。

 ただ引退後には、ビジネス経験のないスポーツ選手が起業をしてもうまくいくはずがないと、ずいぶん言われました。でも、少年時代も、自分よりサッカーがうまい子どもがたくさんいたため「君がプロサッカー選手になるなんて無理だ」と言う大人も少なくありませんでした。だから諦めずに続けていれば、不可能は可能になると思っているんです。

奥田 わが社に鈴木さんの熱狂的なファンの女性社員がいるのですが、彼女が見せてくれた2006年、07年の「Number」に掲載された記事を読んだところとても驚きました。現役バリバリのサッカー選手である鈴木さんが「ハーバード・ビジネス・レビュー」に出てくるような語彙を操っていたからです。

鈴木 えー、本当ですか。そう言われるとうれしいですね。今年一番うれしいかもしれない(笑)。

奥田 その言葉から、この人はすごくマネジメントのできる人だと感じましたね。道は違えど、根っこは同じだと。以前、元日本代表監督の岡田武史さんにもこの対談でお話をうかがったことがありますが、あの方も本質は経営者でした。たまたまサッカーをやっていたというだけで。

鈴木 おっしゃることはよくわかります。私は、ビジネスのテクニカルな部分の経験はありませんが、本質は一緒だなと感じています。なぜ、そう思ったかというと、優秀な監督の言葉は、いまの自分にめちゃくちゃ突き刺さるんですよ。

奥田 それは興味深いですね。後編ではそのお話からじっくりとうかがいましょう。(つづく)

リーデルのワイングラス

 鈴木さんのお気に入りは、現役時代は試合に勝利した後の一杯で使っていたリーデルのワイングラス。いまは、めったに登場する機会はないそうだが、とっておきのお祝いのときなどに使う大切な一品ということだ。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第292回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

鈴木啓太

(すずき けいた)
 1981年7月、静岡市清水区生まれ。2000年3月、東海大学付属静岡翔洋高等学校卒業、浦和レッドダイヤモンズ入団(1月)。06年8月、トリニダード・トバゴ戦で日本代表(A代表)デビュー。同年12月、Jリーグベストイレブン選出(07年も選出)。07年度年間最優秀選手賞受賞。09年1月、浦和レッドダイヤモンズ主将就任(11年まで)。15年10月、AuB(オーブ)設立。取締役に就任。16年1月、浦和レッドダイヤモンズ退団、レッズ一筋16年間の選手生活を終える。AuB代表取締役に就任。