全国62校の高等専門学校にとって、プログラムコンテスト(高専プロコン)の果たす役割は大きい。受け身の授業では得られない知識を自ら探り、模索するなかから、豊かな創造性が花開く。300人近い高専生が集まる会場で、同年輩のライバルや海外からの参加者の発想を学び、互いに触発されることで、外の世界に視野が広がる。しかし、その誕生には、有志の人々による手づくりの努力があった。

有志の「手づくり」で誕生
学生の能力引き出す檜舞台を


 全国62校の高等専門学校にとって、プログラムコンテスト(高専プロコン)の果たす役割は大きい。受け身の授業では得られない知識を自ら探り、模索するなかから、豊かな創造性が花開く。300人近い高専生が集まる会場で、同年輩のライバルや海外からの参加者の発想を学び、互いに触発されることで、外の世界に視野が広がる。しかし、その誕生には、有志の人々による手づくりの努力があった。(田中 繁廣●取材/文)

●高専の2大イベント プロコンとロボコン

 夏休みが近づくと、高専の校内はにわかに慌ただしさを増す。10月の高専プロコン決勝戦に加えて、高専ロボコンの予選、決勝戦(11月)に向けた作品づくりがいよいよ佳境を迎えるからだ。

 夏休みは作品づくりの合宿と化し、学生ばかりでなく、担当の指導教員も含めて、泊まり込み、徹夜の臨戦態勢となる。もともと産業界で即戦力となる実践的な技術者育成を掲げる全国の高専にとって、プロコンとロボコンは学校の名誉と、学生たちの意地がぶつかり合う2大イベントといってもよい。

 しかし、この両イベントの成り立ちをさかのぼると、発足の経緯には大きな違いがある。ロボコンがNHKの後押しを受けてテレビ放映を前提とした大イベントであったのに対して、プロコンの場合は、少数の有志が発起人となって、手作りのボランティア活動に支えられて発展してきたという経緯があるからだ。

 その生みの親ともいうべき人物が、現・長野高専の堀内征治副校長である。そして、その誕生には高専ロボコンが大きくかかわっている。ロボコンは、1981年に東京工業大学が母体となってスタートしたコンテストだったが、88年から全国の高専が競う高専ロボコンが開始された。

 はじめは乾電池1本で人を乗せて100メートルを走る電気自動車のスピード競技だった。それがロボットコンテストと名前を変えるのは、2年目の89年からだ。しかし、当時は最近のような自律型のロボットではなく、人がリモコンで遠隔操作する方式であった。そのコンテストに興味を引かれて、学生と一緒にエントリをしながらも、何か物足りなさを感じたと、堀内副校長は振り返る。

 その理由とは、こういうことだ。「人がロボットを遠隔操作して、一体となって競技を行うというのは確かにイベントとしては面白い。しかし、教師の立場からすると、リモコンで動かすというのが物足りなかった。むしろ、ロボットの頭脳部分のプログラムをつくることこそが、高専の学生にふさわしいのではないか」。そう考えたのだ。

 「ロボコンとは違う、純粋にプログラムのロジックを競うコンテストをつくりたい」という想いは募る。そして、身近な先輩に相談をするなかで、「全国の高専の優秀な学生諸君を国際会議場のような檜舞台にあげて、一流の審査員の前でプレゼンテーションやデモンストレーションの能力を引き出せる場をつくりあげる」という、現在のプロコンの基本コンセプトが浮かび上がってきた。

●熱意が会議を動かす 本格的な立ち上げへ

 この構想を初めて公にしたのが、89年の「高等専門学校情報処理教育研究委員会(略称・専情委)」の常任委員会だった。まだ若手の教員で、委員として参加するのは初めて。しかも「私案」という形で前触れもなく提案をしただけに、議事は混乱した。

 「初参加の若造がいきなり臆面もなく全国プログラミングコンテストなどという構想を持ち出せば、反発を買うのが当たり前。若かったのとなんとか計画を実行に移したいという一心でした」と堀内副校長は苦笑混じりに語る。しかし、結果的には、その熱意が会議を動かす。

 険悪な雰囲気を破って、「高専と学生のために良いと思うことはチャレンジすべきだ」と、擁護論が出始めたからだ。この時、堀内提案を強力に後押ししたのが、当時常任委員であった松澤 照男氏(現・北陸先端科学技術大学院大学 情報科学センター長)や、桑原裕史氏(現・鈴鹿高専電子工学科教授・専攻科長)といった同年輩のメンバーだった。両氏はその後、創設メンバーとして、プロコンの立ち上げに奔走する。議論は白熱し、一転して90年に全国大会実施の方向で取り組もうという骨子が一気にまとまった。この時から本格的にプロコン立ち上げの準備が始まったのである。

 しかし、実際に全国規模のコンテストを行おうとすれば、まず必要になるのは資金である。NHKのような大スポンサーが控えているのならばともかく、有志の声で始まったイベントだけに、地道に資金を集めるしかなかった。

 実は、資金調達のメドがつくのを待たずに、旧・文部省の生涯学習フェスティバルに参画する形で、第1回プロコンを90年11月3日に京都宝ヶ池の国際会議場で開催するという詳細までが決定していた。堀内副校長が「国際会議場のような檜舞台」と思い描いたまさに打ってつけての舞台までがとんとん拍子に決定していたのである。時期はすでに3月。本番までは7か月しかない。しかも、資金のあてがついていなかった。

 この後、プロコンの立ち上げには、当時のパソコン業界の主要メンバーが大きくかかわることとなる。(次号に続く)

●プログラムの甲子園 全国から300人が集い技を競う

 「プロコン」は、全国62校の高等専門学校(高専)の学生たちが、年に一度各地から集まって開催しているプログラムコンテストのことだ。

 高専は中学でも成績トップクラスの生徒を集めて、5年間の一貫教育で実践的な技術者の養成を目指す。それだけに、1年近い時間をかけて磨きに磨き抜いた作品の技術レベルは高い。

 予選を勝ち抜いて、本戦に出場できるのは、課題部門が20チーム、自由部門が20チーム。競技部門を合わせると、300人近い高専生が会場に集まって、互いの作品を競い合う。

 課題と自由部門は、いずれも作品のレベルだけでなく、ブースでの実演や、プレゼンテーションなどの内容なども審査の対象となる。

 プログラムコンテストといえば、素人にはわかりにくい難解なアルゴリズムや処理速度の速さを競うイメージを抱きがちだが、高専の「プロコン」は、単なるプログラムの優劣を競うわけではない。「プログラムの優劣そのものよりも、生活や社会との関わり合いのなかで、コンピュータをどう生かせるのかという独創的なアイデアや提案力を備えていることが基本的な条件」(山崎誠・第16回プロコン副委員長=長岡高専教授)という。

 最優秀賞には、文部科学大臣賞が与えられる。だから、学生たちは誇りを込めてプロコンを「プログラムの甲子園」と呼ぶ。


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今年1月27日に開催されたBCN AWARD 2006/
ITジュニア賞2006表彰式の模様


※本記事「<技術立国の夢を担う ITジュニアの群像 高専プロコンへの道>第5回 プロコンはこうして生まれた【上】」は、週刊BCN 2006年6月26日発行 vol.1143に掲載した記事を転載したものです。