「運には恵まれました」と述懐する楢葉勇雄さん――第13回

千人回峰(対談連載)

2007/09/10 00:00

楢葉勇雄

大塚商会 元副社長 楢葉勇雄

ゲスト:大塚商会元副社長 楢葉勇雄 VS ホスト:BCN社長 奥田喜久男  私が楢葉さんを最初に知ったのは、大塚商会で電算機の営業部長に就任された1976(昭和51)年だった。最初の印象は、聞き上手であり、ものすごく理詰めの話ができ、言葉に魂が入っている人だなというものだった。それで、大塚商会を退かれた後は、当社の顧問になってもらった。魂の入った話ができるノウハウを盗みたいというのが動機のひとつだった。だが、どうやら盗み損ねたようだ。【取材:2007年5月18日、BCN本社にて】

 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第13回>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。
 

弁護士になるつもりがクリスチャンに

 奥田 楢葉さんはクリスチャンだそうですね。

 楢葉 私、子供の頃に親父と約束したことがあるんです。大人になったら、弁護士か学校の先生になるって。弁護士って、正義の味方だと思ってましたから。

 奥田 それで中央大学に進まれた。

 楢葉 そうなんですが、私、高校生の頃、女の子に結構人気があって(笑)、ガールフレンドが二人いたんです。そのうちの一人がクリスチャンだったという事情で…。

 奥田 あれー、この対談で初めてのろけを聞かされましたね。

 楢葉 中央大学に受かって、大学に行ってみると、クラブ活動の募集やってるでしょ。そのなかで、YMCAに惹かれちゃいましてね。Young Men's Christian Associationだったかな、キリスト教の愛好者のクラブだったんですが、彼女の影響がこんなところに現れて、即座に入会しました。

 YMCAには週一回、指導牧師が来て、聖書の研究や賛美歌の練習をしていまして、勉強するという雰囲気はないんです。法曹界に進もうと思ったら、しかるべきクラブか何かに入り、猛勉強しないといけない。ところが、YMCAにはそういう雰囲気は全くなく、いってみれば4年間遊び暮らしてしまった。

 で、司法試験は一度も受けませんでした。それに、私が大学を卒業した1953年というのは朝鮮戦争の特需が一段落したせいで不景気だったんですよ。それで行くところがなくて、教文館という会社を受けたんです。

 ここは、アメリカのキリスト教の宣教師集団がキリスト教関係の書籍の出版や販売のために作った会社で、YMCAの先輩が総務部長をやってました。そんな関係で、YMCAの仲間4人で受けたんですが、どういうわけか私だけが受かった。

 奥田 銀座通りの超一等地にある、9階建てのあの書店ですね。

 楢葉 今は、一般書籍も販売していますが、私が入った頃はキリスト教関係の書籍が中心でした。戦後の一時期は、中古衣料品などの輸入販売も手がけたり。ものすごく景気のいい時代もあったようなんですが、牧師さんなどが経営にタッチしていますので、ビジネスがうまいとはお世辞にもいえず、給料は遅配続きのような状態でした。私は営業に配属され、取次(問屋)や書店回りをしていました。
 

大学同期生の紹介で大塚商会に

 奥田 大塚商会に入るきっかけは何だったんですか。

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