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経験は50%役に立ち 50%じゃまをする――第105回(上)

千人回峰(対談連載)

2014/02/20 00:00

解良 喜久雄

解良 喜久雄

ゴルフ場用品株式会社 常務取締役

構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年02月17日号 vol.1518掲載

 解良とは珍しい名字だが、カイラと書けば、もしかしたらと思われるクルマ好きの方がおられると思う。幻のスポーツカー『トミーカイラZZ』を、冨田義一氏(トミー)とつくりあげた人である。根っからのクルマ好き、ものづくり好きが嵩じて頂点のF1の製作にも関わってこられた。いま、『トミーカイラZZ』は京都大学発のベンチャー、グリーンロードモータースによって、電気自動車として復活を果した。ものづくりにかける情熱の継承ともいえる。ものづくりの現場に長くおられる方は、独自の哲学をもっておられる。解良さんもしかり。紡ぎだすように示唆に富んだ言葉が出てくる。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2013.12.13 東京都千代田区のBCN本社にて】

2013.12.13 東京都千代田区のBCN本社にて
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第105回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

単純に好きだからクルマにのめり込む

奥田 カーレースの頂点、F1まで手がけられました。すごいご経歴ですが、解良さんはクルマのどこに惹かれるのでしょうか。 

解良 単純に乗り物が好きなんです。でも、飛行機はあまり好きじゃない。高所恐怖症なんです。だから、クルマで高い橋の上を走るときなんかは、横を見ないでパーッと走り抜けますね。 

奥田 レースのドライバーをやっておられた若い頃は、どんな感じでしたか。

解良 あの頃は、単純に好奇心というか、やっぱり楽しいですよね、スピードが出るというのは。だから、危ないなんて考えたことがありませんでした。いけいけどんどんで。競い合って、レースでは結果がはっきり出ますから、そういうのにすごく惹かれましたね。乗れば乗るだけ、改良していかなければいけないという部分が必ず出てきますから、それを自分で考えて解決していくプロセスが楽しかったですね。

奥田 自分で乗って、そのうえ自分でクルマをつくってしまう人は少ないですよね。

解良 僕のほかに2、3人はいました。あの頃は、設計屋さんだとか、クルマを走らせる人だとか、そういう仕事を専門にする人がいなかった。設計を教えてくれる人が、日本には誰もいなかったんですよ。だから、僕は全部、自己流です。

奥田 それは何年くらいのことですか。

解良 1970年前後ですね。もちろん日産自動車やトヨタ自動車など自動車メーカーはありましたが、軽自動車の360ccのエンジンを積んだクルマでやるレースが始まって数年ですから、まだ、専門の業界や業種はなかったんです。

奥田 それは何という名前のレースなんですか。

解良 FJ360(フォーミュラジュニア)です。先のことは考えずにいろいろつくっていました。75年につくったF2をベースにした国産のF2マシンで、星野一義と中島悟が2年連続でチャンピオンになりました。後にも先にも国産マシンでの連続優勝はこのときだけだと思います。

奥田 ドライバーとクルマが噛み合った結果ですか。

解良 そうですね。

奥田 クルマに乗りながら、ここを直そう、あそこを直そうというアイデアが次々と浮かんでくるわけですか。

解良 あの頃は、自分でハンドルにストップウォッチをつけて、走りながら区間タイム測定をしてどこが遅いか考えながら走って、クルマを降りた瞬間には何をしなければならないかがわかっていて、ちょこちょこっと自分で調整して、また、走ったりしていましたね。

奥田 そうさせる原動力はなんなのでしょうか。

解良 単純に好きだからというのと好奇心でしょうね。
 

“なぜなぜなぜ”の問と解から最高のものが生まれる

奥田 やはり幼い頃から、ものづくりに対しての好奇心は旺盛だったんでしょうね。

解良 そうですね。最初はUコン(ユーコン)やラジコンの模型飛行機から始めて、免許が取れる年になって、やっと二輪、四輪にいきましたね。高校の頃は、勉強机の上にバイクのエンジンをドンとおいて、チューニングをやっていました。学校の勉強は大嫌いでしたけど、原動機を教える授業の時に、誰かがエンジンってどうして回るんですかって単純な質問をしたら、先生がウッと詰まったので、ぼくが黒板に仕組みを画いて、これがこうなってと説明をすると、先生が、「おまえ、詳しいな」「すみません。趣味でやっていますから」。そんなこともありましたね。

奥田 工具は使える。構造もわかる。自分でも乗る。乗るたびにやりたいことが出てくる。そういう連続ですね。

解良 そうですね。いま考えると、好奇心が人よりちょっとだけ強かったのかなと思います。才能は関係ないですよ。好奇心だけでやっているという。それだけです。

奥田 好奇心は、何が源泉になっているのでしょうか。

解良 やっぱり、なぜなぜなぜという“なぜ問答”ですね。壊れたら、なぜ壊れるのか。これはなぜ優秀なのか。なぜダメなのかというのを、自分なりに迷走しながら、考えて実行していくのがおもしろかったですね。

奥田 なぜなぜなぜが生まれてくる範疇というのは、どんなところですか。

解良 自分でもわかりません。その場その場でパッと浮かんだことに対して、なぜという疑問を感じるだけです。要は、目の前にあるものが、なぜダメなのか。なぜ人はダメというのか。なぜ自分もダメと思うのかというのを、ひも解いていけば、たぶんこれと違うかなというのを、迷走しながらも考えつくわけです。それが当たると、一人でニタッと笑ったりしてますね。

奥田 それはメカですか、それともデザインですかね。

解良 どっちもありますね。デザインというのは形ですよね。ですから、いろんな形があって、その形に意味があると思うんです。だから、あるときは非常に機械的なところにいくし、ある時は非常にクリエイトなところにいく。すべての形って、絶対的な意味があると思うんです。だから、それをなぜなぜなぜと言いながら、自分より少しでも知っている人がいたら、なんでなんでとたずねて、ああ、なるほどなあと思ったり、それからまた自分で考えたりするわけです。

奥田 見た目の美しさというのがありますよね。

解良 僕は、それこそが絶対に大事だと思います。レーシングカーでもそうですけど、突き詰めていくと、熟成してきれいになるんです。無駄がなくなるというか。自然界の動物がそれを証明しています。

奥田 なぜが生まれたら、すべてに解を求めるのですか。

解良 そうです。あるとき改造してナンバーを取るときに、認証の問題でなぜなぜなぜって、霞が関の一番偉い人までいって、なぜ、ダメなんですかって。そこまでいかないと自分に納得しないというか。

奥田 ものづくりに対する思いとファミリーネームの一部が解だから、とことん、「なぜ」に解を求められるのでしょうね。(つづく)

若かりし頃の解良喜久雄さん


自分でつくったクルマに乗ることは、味見と毒見だという。ドライバーに危険な思いをさせたくないという思いがそうさせるのだ

Profile

解良 喜久雄

(かいら きくお) 1946年、新潟県弥彦生まれ。65年、日通商事大洋日産自動車入社。元来のクルマ好きが嵩じてレースの世界にのめりこむ。FJ360(フォーミュラジュニア)の設計、製作、レース参戦を足がかりとして、FJ1300、GC、F2、F1と数々のレースカーを製作。日本のレース界に旋風を巻き起こす。その後、自身の名前をつけたチューニングブランド『トミーカイラ』を冨田義一氏と立ち上げ、『スカイライン』『インプレッサ』をベース車にした数々のチューニングカーを手がけてきた。しかし、それに飽きたらず、『トミーカイラZZ』『GARAIYA』とオリジナルカーの製作に発展。還暦を迎えて、過去の経験を生かし、現在はTORO社製のゴルフ場管理機械のアフターサービスのほか、顧客対応に従事、阪神甲子園球場の整備機械を考案(特許取得)、現在に至る。