小説とプログラミングは似ている。納得できるまでやり直しができるから――第130回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/03/05 00:00

広田 文世

広田 文世

トータルシステムデザイン 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年03月02日号 vol.1569掲載

 トータルシステムデザインの創業者であり、現役社長でもある広田文世さん。2014年、会社は創業30周年を迎え、社員数は創業時の4名から現在42名と10倍以上の規模となった。そして、その多忙な社長業のかたわら、若い頃から温めてきた文学への思いを再燃させ、ついに県の主催する文学賞を受賞するに至った。実におめでたい。祝杯は、オフィスのすぐそばにある老舗酒蔵でつくられた取手の名酒「君萬代(きみばんだい)」だったそうだ。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・津島隆雄)

2014.12.10/茨城・取手市の田中酒造店にて(取材、人物以外の撮影は取手市のトータルシステムデザイン本社にて)
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第130回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

フリーター時代の濫読が、現在の執筆の糧に

奥田 このたびは、茨城文学賞の受賞おめでとうございます。山登りと文章を書くのが好きなのは私も一緒なので、本当にうれしいですね。

広田 ありがとうございます。

奥田 常陽新聞に紀行文を5年間も連載されていましたが、こんなうまい文章を書けるのは並みの人ではないはず。文章は、いつごろから書き始められたのですか。

広田 体調を崩したこともあって、大学を卒業して3年間ほど、いまでいうフリーターをやっていたんですよ。そのとき図書館に通って、ずいぶんといろいろな本を読んだのがきっかけですね。

奥田 本好きは学生時代から?

広田 いや、学生時代は山梨大学でワンダーフォーゲル部にいましたから、山ばかりでした。

奥田 最初はどんな本を?

広田 最初は濫読ですね。そのうち、安部公房、三島由紀夫、開高健などの作品に惹かれるようになりました。そうした純文学の作家たちがバリバリ書いていた時代でしたから、そのうち、俺も少し書いてみるかと色気を出しちゃったんですよ。

奥田 そのときは、どんな傾向の小説を書かれたのですか。

広田 安部公房には大きな影響を受けました。私は工学部出身ですが、彼も医学部出身の理系人間。理屈っぽくって読みにくいのですが、理系の人はこういう小説を書くんだなと感銘を受けた覚えがあります。もう一人挙げれば、三島由紀夫のすごく貴族的な部分にも惹かれました。自分の知らない、こういう世界もあるのだと。

奥田 当時は、純文学志向だったわけですね。

広田 はい。ただ、そのフリーター生活の後、事務系の計算センターに就職することになったんです。当時、コンピュータをやっている人はまだ少ない時代でした。就職してからはすっかり仕事人間になって、30代から50代にかけては小説を書くことからは離れてしまいました。

奥田 その間も、本は読み続けていたのですか。

広田 今回書いた小説の史料となるようなジャンルの本も読んでいましたね。安部や三島などの純文学に耽溺していた若い頃は、司馬遼太郎や池波正太郎、山本周五郎などをちょっとバカにするような雰囲気がありましたが、40代くらいからはとてもおもしろく読むようになりました。

奥田 そういわれれば、広田さんの小説は司馬遼太郎や山本周五郎のタッチですね。60歳を過ぎて再び執筆されるようになったそうですが、20代前半に刺激を受けたことが伏流水になって、いま噴出してきているわけですね。

広田 そんなにかっこいいものじゃないですよ(笑)。
 

納得がいかなければ何度でも書き直す

奥田 ところで、小説を書く際にはいろいろと工夫されると思うのですが、本業のプログラムを書くときもそうなのでしょうか。

広田 まさに、その通り。小説を書くのとプログラムをつくるのは非常によく似ていると思います。小説は、俳句や短歌のように文字数が限られ、一発で決めなければならないものとは違います。私はそういうことが下手ですし、一回で完成形は書けません。一度書いた原稿に全面的に赤字を入れて、打ち直してプリントし、それにまた加筆したり削除したりして、文末は「だろう」がいいのか「だった」がいいのかなどと思い悩みながら、文章の直しを繰り返します。3回か4回は、原稿が真っ赤になりますね。

奥田 それは論旨を変えるのではなく、表現を変えるだけですか。

広田 中身を変えることもありますし、全体のバランスを見て大きく入れ替えをすることもあります。

奥田 著名な画家の作品をX線で撮ると、まったく違う構図が浮かび上がることがありますが、それに似た感じですね。

広田 そうですね。要するにプログラムをつくる場合も同じで、われわれの仕事は一発で完成形をつくらなくてもいいんだと、いつも社員に言っています。修正とテストを何回も繰り返して、最後に正しいプログラムをつくればいいと。

 これは、一度書いて納得がいかなければ書き直して、ということを繰り返す小説の世界と似ています。それが、おそらく自分の性分に合っているんですね。

奥田 でも、そういうことをしているときが楽しいのかもしれませんよ。玩具をいじっているみたいで。

広田 お言葉を返すようですが、あるとき妙齢のご婦人に、私が小説を書いていることについて「素敵なご趣味ですね」といわれたことがあります。ちょっとムッとしましたね。天気のいい日曜日、本当は筑波山にでも登ってビールでも飲んでいれば幸せなはずなのに、こたつの中で辛気臭く「だろう」がいいのか、「だった」がいいのかと……。それのどこが結構なご趣味かと(笑)。

奥田 いやいや、素敵なご趣味ですよ(笑)。

広田 ところで、いま、一番好きな作家は開高健なのですが、その代表作の一つに『夏の闇』という作品があります。文庫でも出ていますが、直筆原稿を縮刷版にしたものも出ているんです。その原稿にはほとんど加筆や訂正もなく、そのまま本になっています。本当に優秀な人は、ああいうふうに淀みなく書けるものなのかと思いました。

奥田 たぶん、それは清書したんですよ(笑)。

広田 そうか、私はウブだから素直にそう思ったのですけれど。そういわれれば、そうかもしれないなあ。

奥田 似たような話ですが、講演で話した言葉を文字に起こしてみると、そのまま文章になるという人も稀にいます。これはすごいと思いますね。

広田 松本清張もそうですね。彼は、ある時期からほとんど原稿用紙に書いていません。語り下ろした言葉が、そのまま小説になっちゃうんです。

奥田 そうですか。すると広田さんがおっしゃるように、開高健も書き下ろし、即、完成だったかもしれませんね。

広田 何か「本音と建前」のような話になってしまいましたが、今回、私が書いた小説のテーマにも、まさにそのような要素が潜んでいるんです。

奥田 幕末の水戸藩における本音と建前ですか。それは興味深いですね。(つづく)


 

執筆の資料となった歴史書の一部

 小説とはいえ、史実を踏まえることは大原則。広田さんが『桜田門外雪解せず』の執筆にあたって参考にした『水戸学』『吉田松陰』などの書籍。一篇の物語の陰には、その数倍、数十倍の史料が隠れているのだ。
 


 幕末の水戸藩をモチーフにした小説が「茨城文学賞」を受賞した。藩士たちの心の動きがひしひしと伝わってくる。

Profile

広田 文世

(ひろた ふみよ) 1947年1月、千葉県千葉市生まれ。茨城県土浦市育ち。69年3月、山梨大学工学部応用化学科卒業。72年、民間計算センター入社。84年、トータルシステムデザインを設立し、代表取締役に就任。2014年、幕末小説集『桜田門外雪解せず』(筑波書林)を出版。同書が茨城県藝術祭で「茨城文学賞」を受賞。