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蛇口の向こうに 膨大な世界が拡がる水ビジネス――203回目(上)

森 一政

森 一政

北九州市海外水ビジネス推進協議会 顧問、エース・ウォーター 顧問

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2018年2月26日号 vol.1716掲載

 かつて日本には「水と安全はタダ」といわれていた時代があった。タダとはいわずとも生まれてからずっと水を使わない日はない。水は私たちの生活に欠かせない。だが、あまりに身近過ぎるために改めて意識することもなかった。森さんは水と水ビジネスを中心に、現場に携わってきた者だけが目にすることのできるワクワクする景色をみせてくれた。森さんのもつ技術力と経営力と政治力にひたすら感服である。(本紙主幹・奥田喜久男)


2017.11.14 /北九州市上下水道局 会議室にて

免許をもっていない人間に
新車を買ってあげたのと同じ

奥田 今や海外水ビジネスで大きな成果を上げている北九州市ですが、最初に森さんが取り組まれたのはいつになりますか。

 厚生労働省から依頼されて、初めてカンボジアに行ったのが1999年です。

奥田 当時はすでに水ビジネスという事業が成り立っていたのでしょうか。

 いや、まだです。90年頃から、厚労省がチームリーダーとなった技術プロジェクトに参加して、アフリカのマリやインドネシア、エジプトなどにも行ってはいましたが……。

奥田 カンボジアはそれとは違っていた。

 当時カンボジアはひどい内戦の後、日本も援助して水道施設の整備が進んでいたのですが、現地に専門家がいない。現地の人材育成を各方面に要請しても誰も手を挙げてくれない。だから、一つ引き受けてくれないだろうかと。

奥田 厚労省から頼まれたわけですね。

 先のプロジェクトなどで厚労省にはお世話になってましたから。

奥田 その時の森さんの立場はなんですか。

 北九州市水道局の給水部長でした。ちょうど大分県の耶馬溪貯水池から6万9000トンの水をもってくる大事業が終わった頃で、「次に何かせんといけんな」と思っていたところでした。私の持論は事業をしない組織は絶対衰退するというものです。

奥田 おっしゃる通りですね。

 それに水道事業は人材育成が一番ということも常に頭にありました。カンボジアの件は国のお金でうちの職員を研修することができる。じゃあ協力しようと。

奥田 実際に始めてみていかがでしたか。

 私は常々海外では日本の常識は通用しないと思っているんですが、カンボジアもまさにそうでした。浄水場や水道管は新しくなって飲める水がつくれるのに、彼らは飲まないんです。

奥田 それはどういうことですか。

 飲むより先に量の確保、つまり水汲み作業の解消が先決だと。内戦前も後も女性や子どもの水汲みが日常化していたのですが、水が確保できれば水汲みをしなくていい。そうすれば女性は働きに行けるし、子どもは学校に行くことができます。

奥田 飲む、飲まないの問題ではないわけですね。

 そういう状況に加えて、管は新しいのになぜか漏水量が多い。調べていったら盗水。管のあるところまで勝手に穴を掘ってつないで水を引いてしまう。いい加減に接続して、溶接も何もしないから継ぎ目からどんどん水が漏れてしまうんです。

奥田 個人が勝手に水道管をつないでしまうということですか。

 こそこそ盗っていくだけじゃなくて、タンクローリーで乗りつけて、消火栓から大量の水を盗んでいくということもありました。これじゃいかんということで、まずは水量の管理を徹底しようと総延長1300kmの配水管網を41のブロックに分け、流量と水圧を計測し各箇所にテレメーターを設置してPCと連動して数値がチェックできるようにしました。

奥田 そういう機材というかシステムを、カンボジアの職員は使いこなすことができるんですか。

 最初はできませんでした。内戦で学校の先生や医者など、教育のある人間の多くがポル・ポト派によって葬られてしまったので、人がいないのです。ですから当初は、海外に出ていた人間が帰国してリーダーになって推進しました。その時思ったのは、浄水場や水道管を新しくしたところで、免許をもっていない人間に新車を買ったようなもんだなと。

奥田 まさに言い得て妙ですね。

 だから免許をもつ人間を育成しなければならない。マンツーマンで指導しました。

水道局は、水道事業管理者が
管理運営する組織

奥田 盗水となると森さんたちが動くのではなく、カンボジアの公安警察が取り締まるわけですか。

 この地区でこれだけの水量が漏水しているとか、あの地区は消火栓とかで大量に水を抜きよるから見張ってくれと報告するわけです。

奥田 お話をうかがっていると、水道の技術供与だけでなく、行政としての管理機能みたいなものも即応していくのですね。

 日本の常識が通じないと言ったのはそういうことです。同じ水でも、日本は飲む水、向こうは水汲みから女性や子どもを解放する水。視点がまったく違います。今は首都では、技術が向上し、飲用可能宣言をしています。

奥田 赴任した方は、技術だけ教えていればいいというわけではないのですね。森さんは、水道局に入られたのはどうしてですか。大学では電気が専攻ですよね。

 北九州市に入職した際、配属されたのが水道局だったんです。水を運ぶには電気が必要ということで。入ってみたらダムはある、浄水場はある、巨大なポンプはある。何ということだろう。蛇口の向こうには膨大な施設がある。

奥田 おもしろい表現ですねえ。そんなこと普通は思いませんよ。

 水道局というところは、水道事業管理者が経営する。市役所ではないんです。市長は予算の調整権をもつだけです。だから一度予算を通したら何にどう使うか、どこと契約するかもすべて水道事業管理者の責任と法律で定められているんです。だから水道は税金を使わない、何をするにも水道料金です。

奥田 税金を使ってないんですか。

 ただし設備投資にものすごくお金がかかるので、国の補助制度がいろいろあるんです。それを勉強しないとダメ。申請しないと補助はおりませんから。

奥田 そういう組織だったんですね。

 私が水道局に入った72年の頃、水道局は赤字再建団体を脱却したばかりだったんです。北九州は市内に大きな水源がないので遠く離れたところから水を持ってこなければいけなくて、ものすごくお金がかかるんです。

奥田 地理的に厳しい状況にある立地ということですね。

 かかるお金は借金をしていたんですが、利子が途方もなく高かった。覚えているのは年8%です。でも先ほど話したように市は助けてくれません。自分たちで何とかしなくてはならない。どこにどれだけ投資したらリターンはこうだという風に事業を組み立てて行くのが、若い時からあたりまえでした。

奥田 20代の頃からそういう現場にいらしたと。

 例えば何かをつくるのに100万円かかるという時、ただつくるのではなく電気代がこれだけ安くなるとか、故障が少なくなって経費のムダがなくなるとかをクリアしておかないと予算がつかない、という初歩的なことから始まりました。

奥田 常に費用対効果を考えて事業をしていらしたわけですね。

 それだけの意識をもって取り組まないといけない。在職の間、何もせず期間が過ぎるのを待つだけなんて言語道断。将来にツケを回すことはならん。高い意識をもって水道事業を経営することが必要だと、現職の頃から口をすっぱくして言ってきました。(つづく)
 

送別会の時、
サプライズで渡されたアルバム


 10年前、森さんの退職の送別会には400名近くが集まった。担当者たちは森さんには内緒で遠くカンボジアや大連まで連絡をとり、メッセージを寄せてもらったそうだ。ページごとにぎっしり書き込まれた数々のできごと。退任式での森さんは涙目になっている。


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第203回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

森 一政

(もり かずまさ)
 1946年門司市生まれ。福岡大学工学部電気工学科卒業。72年北九州市入職、水道局に配属。水道局業務部長、総務部長などを経て2002年北九州公営企業管理者(水道局長)となる。07年から10年にかけ、財団法人北九州上下水道協会(現:北九州ウォーターサービス)理事長、顧問を歴任。10年北九州市海外水ビジネス推進協議会副会長に就任。現在は同協議会およびエース・ウォーターの顧問を務める。高校時代は柔道部所属、大学では少林寺拳法同好会を設立。